「基礎教育」雑感
真鍋一男
PAGE | 1 | 2 |


 形は機能や意味に従うべきだが、形はまた機能や意味を啓示する。色や形はデザインのまとめであり、とどめであると同時に、発想のはじめであり、契機でもある。その意味で造形性はやはりデザイン活動に最も大切な統合力であり、デザイナーに不可欠の能力と言わなければならない。かように、デザイン教育が造形芸術教育であってみれば、構成的造形実習をおろそかにして性急に狭いデザイン教育の方法や技術をとり上げる前に、各種の哲学、心理学や芸術観ないし芸術意識をふまえた現代の芸術教育論を広く考察し実践してみて、基礎、専門の別を問わず、造形教育者として正しい態度や資質をみがき、その教育約成果を次代に送らなければなるまい。

 わが国戦後の民間研究団体三主流たる創美、新しい絵の会、造形教育センターのそれぞれの意義は言うに及ばず、国際的には、技術や科学の支配に対して芸術の創造的、個性的形成が人間性の恢復を期待して、反技術、反科学主義的さらには反専門主義をとり、美的心情の全体能力の育成によって調和的文化を形成しようとしたドイツのベツラーらのミューズ的教育論、画一模倣を排し、抑圧を解放し自個発展を主張したアメリカのアドドリゥスらの創造的芸術教育論がある。また表現主義以来非合理的な内的生産力や感情能力を重視するミューズ的運動の主流トリュンパーやランガーに対して、構成主義、機能主義をふまえ技術と芸術の協調主義をとり、技術の人間化を説くドイツのフェンニッヒやイギリスのホワイトヘッド、また個性主義的芸術教育論のリードなど、学ぶべきことのいかに多いことであろう。

 ふりかえって、大学期におけるデザイン教育は、学科講義群の外に三つの系列の実習群が必要と考える。その第一系列は、発達に応じた構成、構造ないし絵画、彫塑的な造形実習が、具、抽ならびに次元の上で学生の中で互に対立し、また相高かめあって、物に対する美的構成感覚に伸ばされるべき造形学習である。第二系列に、各樺デザイン活動に必要な要素技術の試行ないし修練、第三系列にそれぞれ専攻するデザインのオリエンテーションや綜合的な創造体験といった系列である。そしてこの三系列はどれも不可欠のものであり、またそれぞれの系列で初歩的なものから高度なものを包含している。したがってこの三系列は順序に段階的に配列されるべきものでなく、むしろバランスを保ちながら平行的に配列されるのが本来望ましいと考えるのである。しかし第二系列の要素技術の修練は当然第三系列の専門的な技術に合成されるべきであり、また第一系列は第三系列の解析、発想や造形的統合性に昇華されるべきものを含んでいる。われわれ桑沢のL科とD科の教育課程の相異は、比較的に言えば、Lは1・3型、Dは2・3型の方式と言えるので、それぞれ異る成果を反省してみなければなるまい。近年職能教育観の台頭により、L科にも第二系が第一系の時間をおびやかす傾向がみられる。上からより下からの基礎教育尊重が教育の本体、初心不可忘、偏聴招乱。浅薄な教育課程いじりを、桑沢のために慎重にしたいものである。

 
Back