視覚構造の基礎概念について
下村 千早
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 一つは、造形領域―それが人間の精神現象に対応しているという前提の故に―に含まれている心理的事象の側面に構造がその秩序の源泉を見出す場合である。ここで使用される心理という言語の意味は、19世紀末ウィリアム・ジェームズが「心理学とは精神活動の科学である」といった、その研究対象と基本的に同じものを意味しているが、それ以後の心理学が開拓した人間の精神活動すべての領域を含むものではない。それは造形心理学者アルンハイム(R.Arnheim 1904-)が、その研究活動の支柱とする心理的思考の原理―ゲシタルト理論が対象とする心理と、その延長にあるものである。視覚現象について、ゲシタルト理論が示す視覚的要素に関する法則、要素相互の関係に関する法則あるいは諸概念は、心理事象にその秩序を求める構造の基本構造、単純構造である。例えば、正方形の画面の四等分割によってできる各々の正方形の面は、各々その構造に与えられる心理的秩序が異っている。それは、各正方形が全体にたいして心理的に同質でない故である。心理事象と対応する空間の部分集合は、その量的大小に関係なく、その心理的不等質性故に、置換し合うことは不可能である。要素がある位置を中心にして集中しているという場合、そこで使用される「中心」とか「集中」とかという造形概念は、空間の心理的不同質的性格を基礎としている。現代造形の重要なる概念の一つである運動感一運動視ではない―の表現に見られる構造は、やはり心理的空間の法則に従って作用をうけた図形配置に依存している。したがって心理的構造は、要素およびその相互関係が心理的「力」によって機能するとき、造形的に意味ある視覚現象となる。心理事象に依存する構造は、最初の構造的造形家カンディンキ一に、その最も質の高い例を見ることができる。最近ではJ.Albersの連作「Homage to the square」に純粋なる例が見られる。「円はきわめて単純であるとともに、またきわめて複雑な事例である……。円が単純なのは、その周縁すなわち円周に加わる圧力が直角形に較べて平均しているからである……。」「青は典型的に天上の色彩である。その濃さが極度に増すと青には安息の要素が現われてくる。黒にまで沈んでしまうと、それには非人間的な悲哀の倍音が伴ってくる。それは終りのない、終りなどありえぬ厳粛な気分のうちへ、無限に沈潜してゆくのだ。」「対象はすべて独自の生命と、そこから必然的に流れでる或る効果をもつ存在である。人間ほたえずこうした心理作用を受けている。これらの作用も三つの要素、すなわち対象の色彩の作用、対象の形態の作用および色彩と形態から独立した対象そのものの作用から成り立っている。いま自然に代って、これらの三つの要素を意のままに用いる芸術家が現われる。この場合にも合目的性が標準になる。対象の選択は、人の魂を合目的に動かす原理=内的必然性の原理にもとづかねばならぬ。」 Kandinsky われわれは、視覚現象の構造に与えられる秩序が造形心理事象にその多くを関係しているような傾向を、現代の造形作品、造形方法の中に最も多く見出すことができる。しかしまたわれわれは、その視覚現象を決定する心理的事象がその基礎を、個々人により、また時と所によって変化するところの精神的内容の、すなわち時間的に制限され規定せられた現実であって、不変な論理的同一性の中に確保されうるものではないという表象に置いているという性格をも知らねばならない。

 ここで造形の分野において慣用語となった構成という言葉を、視覚構造という観点から考察してみよう。われわれは構成という概念の最も深い意味と、最も的確な適用をガボ(N.Gabo 1890-)の言葉に知ることができる。「この観念は私にはもっと多くの意味をもつ。この観念は生に対する人間の関係のすべての複合を含んでいる。構成主義哲学はわれわれの存在の中にただ一つの流れをみとめる。―それは生だ。生を高め、生を推進し、成長と拡大と発展の方向に、生に何ものかを付加するものとか行動とかはいずれも構成的である。」「私の知覚のイメージは一つの秩序を要求する。そしてこの秩序が私の構成なのである。私はそうする権利があると思う。なぜなら、われわれみんなが心の世界で行なっていることはこのことであり、科学がしていることはこのことであり、哲学のしていること、生のしていることはこのことであるのだから、われわれはすべて、世界のイメージを、かくあれと思うように構成し、われわれのものたるこの精神的な世界は、つねにそのありかたも、なかみもわれわれがつくるとおりのものであろう。人間だけがひとり、不整合で敵意をもった現実の一かたまりからそれを或る秩序に形づけるのである。これが私にとって構成的であるということの意味である。」われわれが芸術の分野でなく、造形の分野で構成という言葉を使用するときの状態は次のようなときである。すなわち或る造形要素を自分の気分に従って、あるいはその他どのようなルールでもよいが、或る一つの全体に形ち作っていくような状態、およびそうしてできた作品に、その言葉は使用される。視覚構造という観点から構成という概念を定義すれば、それは諸造形要素相互の関係および全体に対する関係になんらかの構造を規定して、或る視覚現象を形成する事象を示している。したがって構成という観念の内には、すでに構造観念は不可欠のものとして含まれている。しかし慣用語としての構成の意味するものは、芸術ではなくデザインという領域と対応する造形活動(専門的であるより創造的であることを意味するが)を考えるとき、あまりにもあいまいであって生産的でない。そのような分野で使用される構成という観念に含まれる構造そして与えられる秩序は、もっと形式的であるべきである。何故ならば、デザインは種々な領域を含んだ大きな有機的組織であり、したがってその組織内相互に共通な伝達可能な媒体にもとづいて視覚現象も構成されなければならない。形式化された媒体のみが、デザインに含まれる諸領域相互に理解可能なのであり伝達可能なのである。そして、形式的な媒体を使用することによってデザインという組織は、全体と部分がすみずみまで相互に関係をもちながら円滑に、調和ある活動をする。近代デザイン史にみられる機能主義運動は、その共通な言語の形成を意図したものであろう。従ってその結果、デザインにとって形式的な媒体から外れて構成されたものはすべて装飾的なものである。すなわち、装飾的であるということは、デザインという組織のもつ秩序に関係していないもの、秩序をより複雑にするものを指示している。形式的な媒体を使用することは、必ずしも悪い意味での形式的作品を意図する、あるいは生の構成を否定するという論理的連関性を肯定するものではない。また、形式的な媒体を使用することは、デザインの、デザイナーの自由一デザイナーにとって自由性とはなにかがまさに問題なのであるが―を奪うものでもない。われわれは、造形の領域で構成という概念がもっと厳密な意味で使用される必要性を感じている。

 二つに、この構造概念については以下の長い引用によってはじめよう。

 「コンポジションとは、緊張の形で諸要素内に含まれている生き生きした力を、正確、合法則的に構成することにほかならない。いかなる力も究極的には数にその表現をみいだす。それは一般的に数的表現と呼ばれている……。そしてその方法が発見されたその時から、コンポジションはすべて数により表現し得ることになるだろう。」Kandinsky

 「私は数的アプローチに基づいて芸術を展開させることが可能だと考えている……。J.S.Bachは、音という素材を数的手段によって完全な形式に総合した。彼の書斎には、常に神学の書と並んで数学の本があったといわれている。

 ……すべての視覚芸術の源泉は、幾何学、平面上のあるいは空間内の要素の相互関係、である。数学は根源的思考の本質的形式の一つとしてばかりでなく、われわれを囲む世界を認識するところの重要な原理的手段の一つである。また数学は本質的に、物と物、群と群、運動と運動の関係の科学である……。それらは形式主義ではない。それは単に美としての形式でなく、形式化された思考、理念、認識である。それは世界構造の基本的観念に関係し、われわれの今日の地点から知ることができる世界像の一部である……。思考過程が正確であればあるほど、基礎的概念が統一的であればあるほど、思考はますます数学的思考の方法にかかわり、われわれは原構造に最も近接する。芸術は、廻り道をしないで、それ自身直接に表現されることによって、より普遍的になり、直接的に感知される存在となる。」M.Bill

 引用で明らかなように、第二の構造は数的規定によって決定される。カンディンスキーが予言したように、数的表現は今日では重要な地位をしめつつある。数的表現においては、視覚現象の要素の相互関係とその置換結合の方法が数的あるいは幾何学的事象として取り扱かわれる。造形要素の相互関係、その置換結合の方法に、数学上の思考法と数学的概念が適用される。その要素と関係と操作法は数的対象とみられることになる。視覚現象において、数的とは、造形の長い歴史に見ることができる基本尺、円、線遠近法、比例、作図による造形等も当然含まれるのであるが、それのみではない。今日では電子計算器による操作、統計的要素処理、順列組合せ、斜影変換、位相変換等が含まれる。数的構造によって表現される視覚現象は、性質上その過程が絶対的に論理的であらねばならないので、文学的表現、感情的表現の可能性はまったくない。数的構造の使用による視覚現象の表現可能性とは、近代科学における研究の方法による可能性と同一性を有する。すなわち、数的概念に対応する造形要素のありかたを、置換結合の数的操作をよく把握し、その対応に必然的な連関法則を見い出し、その法則に従った構成を行なうことが表現の可能性とその自由を確立する。数的構造の代表的な例としてsymmetric groupをあげることができる。それはHermann Weylがいっているように、神秘的な美と生命の文法であるとともに厳密な数的概念、つまり同型な変換でかわらない要素の構造という一般概念でもある。しかし、さらに一般的に見ればこの構造は複合構造であることがわかる。この複合構造は、同一、対称、平行移動、回転、拡大という数的単純概念によって構成されている。Symmetric groupの適用の多様な可能性は、結晶、分子構造等の形象、形体に関するもののみにとどまらず、生長系線、時間系、神経反応機構、操作法……等の範囲までも含まれる。そのような適用の自由さは、Symmetric groupの概念を構造的に把握、解釈することから可能となる。そのようにして意味を知るとき、われわれはSymmetric groupという構造のあらゆる領域に共通なる力を見る。そして、Symmetric groupという構造のもとに、一つの統一ある或る研究対象の構成が可能である。われわれはそこに、自然が見せてくれる驚くほど整った構造を知る。

 われわれは、視覚現象を規定し、構成する視覚構造が、同時に美的構造、技術構造、経済構造、物理的構造、社会的構造であることを目的としている。何故なら、デザインの組織は諸現象の有機的組織であり、有機的組織とは或る統一的秩序に全体と部分が関連結合しているからである。それら諸現象の構造が視覚構造と各々対応するのではなく、デザインの組織の機能を可能にすると考えられる或る対象と構造において同一的対応をすることによって、すべての領域の構造が共通の場を有すると考えられる。そのような対象を原構造と呼ぶことができる。組織の諸構造が原構造にできるだけ接近することが、その組織の有機性をたかめる。数学的構造は、その意味で原構造と重複した概念である。そのように考えるなら、視覚構造の内では、原構造となんらの変換の必要なく対応し接近し得るのは数的構造であろう。デザインの組織の一員としての視覚現象を考えるとき、視覚構造の一つである数的構造の重要性は、デザイナー一個人の私的感情によって嫌悪され破棄されるとしても、その価値を減ずるものではない。

図-15 図-16
図-15   図-16
与構造は形体の変化を規定する。左上の正方形が、右下の形体へと連続的に変化してゆく。

図-17 図-18
図-17   図-18
与構造は要素としての形体の変化と色の変化を規定する。ここで重視されねばならないものは要素相互の関係によってできる組織の変換である。両図とも左から右に移行するに従って、始めの組織が徐々に変化し右に至ったとき、左の組織に比べその性質を異にしている。図−17は形体の組織変換、図−18は色の組織変換である。


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