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個性のセッションからの発言 1973年世界インダストリアルデザイン会議
金子 至  


 1973年世界インダストリアルデザイン会議は10月11日から13日の3日間、京都国際会議場で開催された。この会議はICSID(国際インダストリアルデザイン協議会─36カ国58団体)が隔年毎に開催される国際会議であるが、東洋での開催は始めてであり、日本誘致には8年の歳月がかかっている。今回の会議は"人の心と物の世界"(SOUL AND MATERIAL THINGS)のテーマのもとに、自然、人間、社会、文化の四つの内容をもち(他に教育、デザイン政策、デザイン振興と啓蒙、デザインと企業の分科会、福祉、炎害、開発途上国の特別分科会がある)さらにそれぞれを3つの分科会に分れ、例えば"人間"(INDIVIDUALS)のところでは、形態(aesthetics)、生態(identity)、個性(individuality)のように日を追ってパネルデイスカッションが行われた。今回私がパネリストとして参加したのは、この個性のセッションである。

 さて貴重なこの研究レポートにパネリストの発言を掲載することは内容として相応しいとは思われないが、この会議全体のレポートが各セッションの全容をそのまま掲載することはあまりにも膨大であり、それぞれの結論のみをまとめる方針をとったので、一発言をこの研究レポートをかりて記しておくことは私にとって幸いなことである。

 しかしパネルディスカッションという性格から、モデレーターの進行やまとめ、各パネリストのテーマに対する解釈、提言、意見や討論などをとりまとめなければ意味をなさないものである。一パネリストの発言のみでは一方的な結果に終ることは自明であるので、その点ご諒解いただきたい。時間的には討論を含めて2時間のうちここに書かれたものは20分の発言に過ぎない。

モデレーター リチャード・スチブンス(Richard Stevens)英国
SIAD理事 デザインマネジャー
ゲストパネリスト ロルフ・ガーニッヒ(Dr.Rolf Garnich)西独
インダストリアルデザイナー 哲学者
パネリスト ウエルナー・ジーゲル(Werner Siegel)東独
インダストリアルデザイナー
  亀倉雄策 日本
グラフィックデザイナー
  金子 至 日本
インダストリアルデザイナー

個性への考え方

 はじめに私は"個性"についての結論を今日もってきておりません。ここの皆様から後の討議でお教え願いたいと思っているわけです。さて、私は大学で製品用役論という講義をもっております。簡単に申上げますと、完成された製品そのものをデザインの観点から分析して、いってみれば外側から内へ向って、そのものの本来のあり方を探り、次へのデザインの条件設定へ移行させようというものです。そのような考え方で"個性"と思われる以外の意味を抽出してといってもはっきりしませんが、その残ったものが個性ではないかと考えたいわけです。

 さて一般的に言えば、"個性"は人間に限らず用いられる言葉でありますが、同義語の"人格"は人間に限って用いられる言葉であります。そして個性の方は、人間の独自性に焦点があてられますが、人格の方は人間の諸特性のトータルな把え方に焦点があるといえます。

 ところで人間の個性やその人格についてお話する前に、人間は自然環境の諸条件によって人間の性格に基本的な違いがあることをまず考えておかなければならないと思います。日本の方々はすでにご存じと思いますが、1935年に和辻哲郎の書かれた"風土一人間学的考察"によりますと、自然と人間との関りあいについて述べておりますが、この結論だけを一部紹介しますと、日本を含む東アジアの湿潤地帯は世界的にいって動植物のもっとも豊富な地帯であります。そのような自然環境での人間は自然と人間の合一を考えます。そこには受容的、忍従的な性格を生むと述べております。これに対して西アジアの乾燥地帯は、人間の住むにはまことに過酷な砂漠という自然に対して、人間は自然に対立的にならざるを得ない。その環境は人間に意志の強さを生みます。それに対しヨーロッパの自然は冬湿潤、夏乾燥という牧場的地帯においては理性的、合理的な人間像が生まれ、自然に対しては支配的であります。

 ヨーロッパの造園と日本の造園を比較してみるとこれは明らかな違いを感じられることでしょう。日本の庭園はたしかに人工を加えておりますが、それにしても自然をよく写しとって、あるいは自然の縮小形として造園しますし、また遠景の山を借景として利用するなど、住宅も自然とたち切らない形で自然を受容的にあつかい、自然との合一を考えております。西欧の造園はそれに対し幾何学的であり、人工のあとは明らかであって、自然に対し支配的態度が見えます。また日本人の受容的という点では、昨日、一昨日とこの世界会議の他のセッションを聞いておりましたが、日本のパネリストはテーマに忠実であって、日本の聴衆もまた同じくテーマを追いかける質問が多い印象を受けました。外国のパネリストは、テーマの部分をとらえて自分なりの展開をされているように感じました。

 さてこのような自然環境の諸条件といっておりますのは、気候、気象、地質、地味、地形、景観などを総称した"風土"によって人間への関りあいをもち、それぞれ異った思想や宗教を生むことでも明らかであります。

 これらの異った人間が行動し、そこに作り出し、見出し、また形づくる道具の世界は、それぞれ基本的に異った世界を生み、それぞれの地域の伝統ともなって、それらの諸道具から再び人間への関りあいをもって今日に至っているわけであります。このかかゎりあいは人間と自然との関係の次にくる、人間と人間の作った道具との第二のかかわりあいでもあります。


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