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桑沢デザイン研究所教員研修会レポート2012

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2011年4月25日(月)相変わらず何度やっても法帖の様には書けない。いわゆる、「ヘタ」というやつだ。法帖の文字を見れば見るほど自分の字の細かい所の間違いや形の違いが見える。レタリングではホワイトで修正できるが書道は一気に書くので修正はきかない。臨書はクロッキーに似ていると思う。線による写生だ。絵の対象物は主に人物や自然だが、臨書は必然的に過去に書かれた文字になる。膨大な文字の歴史に残って来た遺産を見て書く。一度限りの時間で線を作る。書き直しは許されない。筆の動きは飛行機のタッチ・アンド・ゴーに似ていると思う。着陸後すぐ離陸する訓練のことだ。空中での速度や姿勢が大切で紙上での線はその動きの痕跡だ。紙に書かれた線は事前の空中で始まっているのだ。線はじつに多彩だ。他の筆記用具に比べると筆の上下の深さが出ることから線の強弱やスピード、方向の回転などが格段に出やすい。だから書き手の精神状態までもが出てしまうのか。書は本当に恐ろしい。比田井天来(1872 ? 1939)の雁塔臨書。2011年6月2日(木)形臨、意臨、背臨という言葉があるらしい。臨書は「法帖」に「臨む」ということだが、その「臨み方」に幾つかの道があるという。そういえば書道雑誌に全く似ていない臨書があったのを思い出す。また、似ているけれどなんか変。という臨書もある。物の本によると、形を正確に再現することを「形臨」。書人の気持ちをつかみ取り臨書をすることを「意臨」。法帖を見ないで自分の記憶で臨書をすることを「背臨」と呼ぶらしい。とはいえ私のような初心者はどうしたって「形臨」。なぜなら形が見えなければその書の気持ちや勢いを汲み取ることができない訳だから。手島右卿(1901 ? 1987)の雁塔臨書。徳野大空(1914 ? 1974)の雁塔臨書。52