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桑沢デザイン研究所教員研修会レポート2012

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2011年9月8日(木)話題の「空海と密教美術」展へ行って来た。とても感動した。学生風に表現するとチョー!マジ!ヤベー!という表現がこの場合、表現の整合性があるかと思う。空海、弘法大師ともよばれている。昨年行った中国の西安(かつての長安)に遣唐使として渡り、密教の教えを日本に伝えた平安時代の僧である。調べてみると西暦804年の12月23日に長安に入っている。?遂良が雁塔聖教序を書いた、ほぼ150年後の事になる。空海もあの大雁塔へいって雁塔聖教序を必ず見たのだろう。考えてみれば玄奘三蔵がインドから教典を持ち帰り、空海が中国より日本に教典を持ち帰ったという東京国立博物館「空海と密教美術展」。入場1時間待ちの大変な盛況だった。ことはまるでリレーのようだ。今回の展示で一番まいったのは「聾瞽指帰(ろうこしいき)」だ。全長約12mの巻物は空海二十代の前半に書いたと言われている。すごいエネルギーだ。脂ぎっている!空海が遣唐使として中国に行く前から相当のエリートで高度な教育を受けていたのだろう。密教の教えは奥深く、言葉で表し尽くすことはむずかしかったのであろう。また当時の一般民衆は文字を解さなかったので、空海は帰国後その教えを「絵や像を通して伝える」ということを言っている。そのため造形をとても重視した。会場の後半は密教宇空海(774 ? 835、弘法大師)宙を表す“大曼荼羅”。制作当時は色彩もギラギラハデハデで極彩色の立体3Dフィギアーだったのだと想像する。今風に言うと空海はアートディレクターだと思う。コンセプトを伝えるために文字・絵・色彩・立体像など、あらゆるメディアを通して表現した。会場をゆっくりと2回ほど回覧し、いよいよ閉展の時間の頃、会場のあちこちにいかつい黒ずくめのスーツ姿が目立ち始めた。アノ筋の人にしては顔が端整だ。会場入り口ではさらに警備が厳しい。黒スーツでいっぱいだ。美術館の幹部が入り口に並んでお空海が二十代に書いたと言われる聾瞽指帰(ろうこしいき)。54