ブックタイトル桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2013

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桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2013

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桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2013

身の妻も外国人であった。少年を国外へ密航させようと思った男性は、ある時、その費用を稼ぐための用事で入院中の妻のもとへ行けなくなり、代わりに少年に小包を届けるようにうながす。翌日に自分で病室を訪れてみると、誰もいないベッドの上に小包が紐を解かれずに置き去りにされていた。彼は不吉な予感を抱くが、しかしすぐに呼ばれた別室へ向かうと、妻が奇跡的に回復し微笑み佇んでいる。少年も近所の人の手で、いつもは野菜売りに使用される台車の底に身を隠されて運ばれ、港に着くと今度は船底へとかくまわれ、警察官もあえて見逃すことで外国へと密航するのに成功する。こうして少年の移動にともない用いられるコンテナ、小包、台車、船などに関わった人たちには、何らかの奇跡が訪れる。ある者は命を長らえ、ある者は周囲の人に優しくなり、またある者は互いに独りの存在として認め合い、助け合うように変化する。せられる者の意識を形づくることができること、メディアは自意識やアイデンティティ形成に関わることが理解された。メディアを介して、利用者の存在と意識が生み出され、物語が展開される。そのように見てとる視点から映画の作品世界を受容し、制作者の創造性を理解することができるなら、同じ視点による作品制作はもちろん、映画以外の作品世界を生み出すクリエイションへも、応用の可能性が開かれている。ただし、課題へ取り組むことでふと「視点が変わる」ということは、新鮮な眼で世界と出会い直すことができるということでもある。創造すること、制作することへの憧れは、この感覚をひとつの出発点とする。取り組む過程での充足感を忘れて、あわてて応用だけへ急がないようにと、最後に自戒を込めて記しておきたい。6.本稿ではいつもと異なる仕方で観られる映画というメディアと、作品の内部で用いられ作品世界そのものを生み出すメディアという、二つの水準のメディアが登場する。そのためにいささか読者が混乱しやすい記述になっているかもしれない。改めて最後に整理すると、本稿では、気づけばふと「視点が変わる」経験を生み出すという目標に向けて、しばらく取り組んできた実習的な課題の成果をまとめた。映画を鑑賞するのではなく観察するという、いつもと異なる仕方で映画というメディアを利用することで、作品世界の中で登場人物がメディアを利用する様子に注目するという作業に取り組んだ。その結果、映画の作品世界におけるメディアは、第一にそれを介して利用者を存在させうること、それはときとして幽霊や死者のように直接見えない存在でもありうること、また第二にそれを介して利用者を特定の属性をもつ存在として出現させうること、なりすましや詐称も含めて、何らかの地位や帰属先を得た者として存在させうることが明らかになった。さらに第三としてメディアを介して存在さ[注]1.学園祭のトークショーでは「いつもと異なる仕方で観る」ことになった経験にふれた。例えば映画作品『イル・ポスティーノ』(M・ラドフォード、1994年)を素材に、詩人の師と彼によって目覚めた弟子のあいだで用いられるカセットテープについて話をした。師へ届けようとして届かなかった、いまは亡き弟子からの音声が、教える・教わるという関係の豊かさと重みをよく示す作品で、メディア利用をめぐる工夫が、観客の心を揺さぶる物語展開を生み出す、好適な事例としてとりあげた。またその場では「いつもと同じ仕方で観ること」が、それほど地域・時期を超えるものではないことについてもふれた。講師として通う際に撮りためた、会津若松行きの車窓(磐越西線)から見た猪苗代一帯を上映しつつ、1800年代以来、浸透し自明となった風景の眺め方やそれに端を発した環境イメージの拡がりなどに関する、歴史研究の成果にふれた。このことに関してはヴォルフガング・シヴェルブシュ『鉄道旅行の歴史:19世紀における空間と時間の工業化』(法政大学出版局、2011年)を参照。13