ブックタイトル桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2013

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桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2013

書く事によって、?遂良の字が見えてくる。そして自分が見えていなかった事に気づく。春日其四句副島種臣【そえじまたねおみ】1828 ? 1905明治期の政治家にして書家。佐賀藩士。号は蒼海また一々学人。国学者枝吉種彰(南濠)の子として生まれ,副島家の養子となった。兄神陽も学者となり、弘道館で大隈重信、大木喬任、江藤新平、島義勇らを教えた。尊王攘夷運動に奔走したが、のち藩が長崎に設けた致遠館監督となりみずからもG.H.F.フルベッキに英学を学んだ。維新政府の参与、制度寮判事となり、政体書の起草に参画、1869年(明治2)参議となり、1871年11月岩倉具視の欧米差遣にともない外務卿に就任し、マリア・ルース号事件、琉球帰属問題にあたった。蘭亭序龍民帖河東碧梧桐【かわひがしへきごとう】1873 ? 1937中村不折【なかむらふせつ】1866 ? 1943明治-昭和時代前期の俳人。明治6年2月26日生まれ。高浜虚洋画家・書家。東京生。名はす。また小山子とともに正岡子規に学び、新聞「日本」の俳句欄の選者を引き正太郎・浅井忠に洋画を学び、渡仏してジャ継ぐ。のち新傾向俳句運動をおこし、中塚一碧楼(いっぺきろう)ン=ポール=ローランスに師事する。帰朝らと「海紅」を創刊、季題と定型にとらわれない自由律俳句にす後は太平洋画会の代表作家として文展で活すむ。大正12年「碧(へき)」、14年「三昧(さんまい)」を創刊。躍。書は六朝風を得意とする。帝国芸術院昭和12年2月1日死去。65歳。愛媛県出身。本名は秉五郎会員。昭和18年死去、78才。(へいごろう)。作品に「碧梧桐句集」、紀行文に「三千里」など。63