ブックタイトル桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2014

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桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2014

る。これは他の「創造の病」を持っていたと言われる世界的な芸術家ゴッホや草間弥生らが障害者芸術の枠で語られることは殆どないことで理解出来る。精神障害の芸術性を巡る状況は精神・気分障害者の表現に対する評価を社会的に上げていったが、障害者の疎外環境を改善するという意識は見られない。障害をせっかく創造・発見へのエネルギー貯蔵の場と社会は認めながら、その作家の障害は別の所で判断されることになる。更に言えば産業化と効率化を重視するようになって、障害者は能力を持たないものとして社会から隔絶される風潮となった。そこへ社会的包容力を拡大しながら差別意識を乗り越えていく「エイブルアート」運動が起こったが、ここから障害者が自分の作品に望む望まないに関わらず、「個の発信」が周囲からサポートされ著作権管理等にまで進んでいることに危惧を感じる。現代美術家の和田千秋は障害児の親として「全ての人は障碍者である」「いつ病気や事故で障碍をおうかもしれないという意味では人は全て潜在的な障碍者である」と提唱している。彼は芸術表現を通じて障碍に対する主に健常者側の意識を揺さぶっている。(彼は「障害」ではなく「障碍」と表記している)健常者と障害者が地続きであり、障害と無関係な人間は皆無であることを提示している。房しょうぶの代表福森伸は「<縫う>という行為そのものが素材の持つ可能な限りの<強いできごと>を出現させている。それは作者が<創り出す作品>より<創り出す為の時間と行為>に幸福を感じているから」と表現している。それはピカソが目指した子供の絵画であり、本来の「芸術性」といえるかもしれない。ここで前述した地続きの意味で、子供、創作者(芸術家?)、障害者が繋がってくる。表現病理学は狭義に芸術表現を対象とするが、例えば評価を受けた作品を理解しようとする場合、それを生み出した作者そのものに迫ろうとする。つまり作品の意味を作者と言う人間を通して理解しようとする。そして作者の伝記(biography)等に気分障害等の病理現象を確認出来る場合その特異な病理点を手がかりに表現病理学を使いこの人物を理解する可能性が出てくる。障害者の制作姿勢やその結果である作品を照らし合わせることで、治療としてのアートに更に繋がっていく気がする。障害者が何かを創作する直前のマグマ貯蔵と噴出後の制作状況、そして成果物に寄り添うことで気分・精神障害者の苦悩を含めた心身状態を掴むことが出来るのかもしれない。NPO法人「日本障害者芸術支援協会」の設立制作作品<制作過程>アールブリュットやアウトサイダーアートが障害者の作品を重視し商品化にまで発展してきた。世界的な活動を展開している「工房しょうぶ」(鹿児島)は刺繍の分野で斬新な作品を生み出していてNUI・PROJECTとしてアメリカのクリエイティブグロースアートセンターや東京都庭園美術館で障害者たちの展覧会を行ったが、色面が立体として浮き上がる程に差し込まれる針と糸。その行為とこだわりの集積と集中力が、見る者を圧倒する。これを工能力が傑出している状態というのは、その能力を支える反対の偏りとのバランスによって生み出されているともいえる。その反対の「偏り」にあたるものが障害なのかもしれない。能力が傑出している人はそれ以外のことには恐ろしく未熟だったり人格のバランス異常や極端な劣性があることも多いと言われる。この対極的な構造を持った障害者の中に多くの芸術家、発明家、政治家、企業家が含まれてくる。ユングの「<闇・影>は<光>によって生まれるだけでなく<光>を支えているのも<影>である」という言葉が印象的である。障害はなければその方が22