ブックタイトル桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2015

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桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2015

し、今日あえて「民芸品」と称せられているものは、ある時代においては民衆の必需品であったかもしれないが、1950年代の「今」の生活にはそぐわないとする。そして、益子焼のコーヒーカップや民藝家具を例にあげ、それらがかつての太い柱や梁からなる日本家屋には適したかもしれないが、今の「スマートな今日の経済的製品―本当に経済的であるかは疑問であるが―に取巻かれている都会人」の生活とは隔たりがあるという。デパートという「特別装置」での民藝品売場や不適正な価格といった、民藝に与えられた特別な枠組みに前田も疑問を呈したように、水尾比呂志は「民藝の趣味化や営利の手段化、ブーム現象」がこの頃目立ってあらわれてきたことを指摘している10。こういった「民芸ブーム」という民藝の形骸化は、柳宗悦によって「内敵」と懸念されていたところであったが、民藝がすでに現代の生活用品ではなくなっているという批判に対して柳は、民藝が生活に適合しなくなったのではなく、「安っぽい洋間の文化住宅、二三流の西洋的な暮らし方」が民藝に適合しなくなったと反論している11。しかし、当時の雑誌記事での民藝への批判は、民藝が今日の生活用品としては成り立たず、現代の民衆の生活のためにはインダストリアル・デザインが民藝のかわりの位置をになうべきという視点からなされるものであった。その視点の背後にあったのは、やはり手対機械という生産方法における対立的な図式である。さらには戦後インダストリアル・デザイナーとして華々しく活躍するようになっていた柳宗理と父親柳宗悦の関係も注目されていた。勝見もまた、柳宗理の活動を理解するには、どうしても「日本の伝統との対決による近代性の確立」という問題は回避できないとし12、宗理と宗悦の関係に注目している。『芸術新潮』1955年12月号にも「民芸とインダストリアル・デザイン」という柳宗理が執筆した記事があるように、柳宗理自身もはやくから民藝に関心を寄せ、戦前より民藝への批判と評価をくりかえし述べていた13。しかしながら、インダストリアル・デザインによって商品が大量につくられ廉価で売られるということさえ実現すればよいというわけではない。それが寄与する先に、勝見は「生活」あるいは「生活様式」があると言う。2-2.グッド・デザインと民藝『工芸ニュース』1954年1月号に、勝見勝や当時産業工芸試験所にいた剣持勇、そして民藝協会理事長の村岡景夫が出席した座談会「製品の品質とデザイン」の記録がある14。この座談会でまず勝見がとりあげたのが、デザインにおける「良質生産Good Quality」の問題である。勝見は、戦前からの指摘と同じく、日本においてはデザインにかかわる政策が常に輸出貿易振興といった面から打ち出されてきたことに対する不審を示し、「何とかして“Good Quality”の問題にもってゆかなければ」ということに意識がむけられてきていると述べた。そして、民藝は「Good Quality」へというデザインと共通の動機をもっているということで、民藝関係者もこの座談会で発言を求められた。先ほどのべたとおり、戦後インダストリアル・デザインあるいはデザインということばは意識的に普及させられ、実際に業界も急激な展開をみせた。「デザイン・ブーム」と呼ばれるほど新しい職種としてデザインやデザイナーの話題が新聞や雑誌でとりあげられたが、1950年代の後半にさしかかるころにはすでに「デザイン」ということばが先行する状況には反省の眼が向けられていた。そのようななか、海外の「グッド・デザイン」(運動)の情報が『工芸ニュース』でも紹介されるようになり、デザインに関する言説は、デザインという職域の確立、普及ということから、勝見が述べた「良質生産Good28