ブックタイトル桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2015

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桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2015

エレメントデザインの可能性~民家における柱について~大松俊紀|スペースデザイン担当Toshiki Omatsu今回は住空間において、“柱”というエレメントが、どのように扱われてきたかを歴史を追ってお話ししたいと思う。古代の民家における柱:一本柱の象徴性から四本柱の脱象徴化へ『日本書紀』に登場する「土室(ツチムロ)」は、日本における最も原始的な住居の一つに近いのものと考えられる。このような竪穴式住居は「伏屋A式竪穴住居」とも言われ、旧石器時代後期から遺構が見つかっている。それは、縦穴を掘って、その周りに土饅頭のように土で覆いをつくり、上部に穴を(fig.1)オンデレイッケ島の穴居あけた住居で、『環海異聞』(1805)に見られるオンデレイッケ島の穴居(fig.1)とも似ていたと推測される。このような住居では、上部の穴から出入りするために梯子が掛けられていたことが『古事記』にも記載されている。そしてその梯子は、単なる出入りのための道具でなく、天と地を繋ぐ象徴的な存在でもあったという(fig.2.3)。縄文時代に入ると五~六本の柱を円形に立てた竪穴式住居が登場する。そして、弥生時代後半に入る(fig.2)トンプソン・インディアン竪穴住居(fig.3)海岸コリヤーク族の竪穴住居54