ブックタイトル桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2015

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桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2015

(fig.14)近世民家の構成(小屋組と軸組)(fig.15)古井家住宅まで達する長い棟持柱に細い横材を何本も突き刺す理由からか、柱はその分太くなっていることが分かる。現存する旧茂木家住宅は後世の改造が多いというが、様々な情報を元に復原された室町時代の構造では、棟木を支える一番太い棟持柱とその両側のより細い入側柱の三本を横架材で連結し、同等のものをもう一組向かい合わせてつくられ、計六本の柱が主体となっていたという。ここで注目したいのは、それらが様々な理由から改造を繰り返し、古代の四本柱の竪穴式住居の発展形式と筆者が考える「四つ建て」、または「四つ造(つくり)」の形式に非常に近い現存の状態になったことである(fig.18)。「四つ建て」とは、甲府盆地の東部の民家に特に多くみられるもので、関口欣也博士によると「四本の柱をたてて四角な枠をつくり、この枠から四周に梁を出して側をつくる」構造と言われている。「四つ建て」の民家の四本の柱はどの例をとっても比較的太い。そこから見えるのは、四本の柱を住まいの中央に立(fig.16)古井家住宅平面図て、まず住まいの“核となる空間”を明示・構築するためにも、そこに太い柱が必要だったのではない(fig.17)茂木家住宅だろうかと筆者は考える。旧茂木家住宅の場合、六本の柱から「四つ建て」の四本柱へ至ったのは、近世民家において、住まいの中に、再び象徴性を取り戻そうという密かな民衆の思いがあったのではないかと推測する。現存する「四つ建て」の民家としては、山梨県塩山市から神奈川県川崎市の民家園に移築された旧広(fig.18)茂木家住宅平面図59