ブックタイトル桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2015

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桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2015

(fig.24)春原家住宅(fig.26)黒丸家住宅(fig.25)春原家住宅平面図江川家住宅は、室町期と江戸時代初期に建てられたものが現在は一つの住宅になっていると言われる。平面右手の江戸時代に建てられた部分を見ると、大きな正方形に近い平面のほぼ中央に、四本の太く、棟まで到達する長い柱が立っていることが分かる(fig.27)。これらの柱は、元々掘立柱であったことも分かっており、有名な「生柱(いきばしら)」(fig.28)を囲うように立てられたように見える。以上の例を見ても、四本柱の竪穴式住居との直接的な流れがよく見て取れる。(fig.27)江川家住宅平面図近世の民家における柱:大黒柱の登場、それは“象徴”行為の大衆化近世に入り、上屋柱を飛ばす技術が発達し、更に指鴨居が発達することで、土間や土間境に残された数本の柱がその継手仕口の関係から徐々に太くなり、いわゆる大黒柱として象徴的な存在になっていく。大黒柱は、諸説あるものの、「大黒様」を祀った柱である説がもっとも有力である。大黒様とは、密教の大黒天が元になり、神道の大黒主と神仏習合した日本独自の神を指し、神田明神の大黒天像はよく知られている。地方によっては、「ロックウ柱」や「大(fig.28)江川家住宅の「生柱」61