ブックタイトル桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.44 2016

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概要

桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.44 2016

9fig-23_ 一般的な民家の断面図(赤い部分が大黒柱)fig-25_ 伊勢神宮の棟持柱番てっぺんにある棟木まで到達し直接的に棟木を支える柱が存在していた。その後、時代を経て軸組部分は大工さんが作り、小屋組部分は茅葺など植物で葺く行為も含め、地域のものが集まって共同で作るものというように分離が起こっていった。民家の起源の一つである竪穴式住居では、棟持柱が存在しないものも多いが(fig-24)、それがその後、伊勢神宮(fig-25)に象徴的に表されるように、棟持柱を持つことが建築の一般的な構造として普及していった。そしてまた16 世紀前後の小屋組と軸組の分離と共に、再度棟持柱が消滅していく歴史的経緯は非常に興味深い。 旧奈良家住宅の八角形の独立柱のあり方は、実に巧妙で、棟木まで達している訳でもなく、かといって、この時期の民家のほとんどのように、小屋組の下で切れている訳でもない。小屋組の奥深く到達し、微妙な位置で切れているのである(fig-26,27)。柱に込められた思想 「なぜ土間にある大黒柱が八角形をしているか?」という問題と、「なぜそれが棟木まで到達していないか?」という問題は密接に関連しているように思われる。またその二つの理由は、広大な中間領域である旧奈良家住宅の土間空間に、他の民家の土間空間にはない独特な存在感を与えているに違いない。 元来、柱というものは、「天」と「地」、つまり「神(の世界)」と「人間(の世界)」を繋ぐ象徴的な存在でfig-26_ 旧奈良家住宅断面図(赤い部分が独立柱)fig-27_ 棟に達していない旧奈良家住宅の独立柱fig-24_ 竪穴式住居(赤い部分が柱)