ブックタイトル桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.44 2016

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概要

桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.44 2016

10fig-29_ 小屋組の種類(左上が叉首組、左下が旧奈良家の組方である和小屋組)fig-28_ 中尊寺金色堂の四天柱あった。棟持柱の存在は、そういった考え方から生まれた建築部材であろうし、伊勢神宮などが建てられた古代では、棟持柱を持つ建築は、神社などの神を祀る建築を連想させたに違いない(そのため、大昔の民家では伊勢神宮と類似する屋根の形、部材を持つことが禁止されたという話も残っている)。 柱の形において、寺院建築では建物の中心に仏像を配置し、それを囲むように四本の柱を建てる形式が古代から存在し、その柱を四天柱と呼んでいた(fig-28)。四天柱は角柱ではなく、円柱が基本である。時代を経て、四天柱の外側に何重にも柱が建てられるようになっても、一番中心に近い柱は必ず円柱が使用されている。つまり、空高く聳える円柱は古来から、神や仏に繋がる象徴的な存在で、民家などで持つことが恐れられていたのではないかと推測する。だが、東北地方の寒さに耐え忍ぶ強靭な生命力が、民家の天井奥深くから漏れるわずかな光を求め、天空の神へ繋がろうとする“ 上昇する思い” へと昇華していったことは想像に難くない。そのため、円に出来るだけ近い八角形が採用され、棟持柱も棟木まで延びようとするが、そのすぐ下で意図的に切られたのではないかと推測する。