ブックタイトル桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.44 2016

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概要

桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.44 2016

43見出せるような状態のことである。また純粋とは、あらかじめ自らに含まれているものだけを含むような状態のことである。要するに、絵画を絵画たらしめる条件以外のものを捨て去ることが、絵画に求められたのである。 たとえば、描画の一回性(分割することも繰り返すこともできない行為であること)や描画の直接性(対象や記号を媒介とせず、絵具の在りようだけを提示すること)などが、この条件に数えられた。これを文字通り受け入れるならば、絵画を絵画たらしめるのに不都合な要素をキャンパスから締め出すために絵具を塗り拡げることこそ画家の仕事だ、ということになる。まるで除菌のようなこの行為を、果たして描画と呼べるのだろうか。 かくして、絵画史を学習するほどに描くことに困難を感じるという状況が生じる。1970 年代半ば、画家・宇佐美圭司はこうした困難を失語症になぞらえて「失画症」と命名した。1990 年代半ばに私が感じていた困難もこれと同種のものであった。1990 年代半ばといえば、1970 年代から80 年代にかけて台頭したポストモダンと呼ばれる文化状況が、バブル経済の崩壊とともに停滞し、モダニズム見直しの機運が生じていた時代である。モダニズムが批判的に再評価されるなかで「進歩する自己批判」という戦略の見直しを主張する論考や作品も散見された。これらに励まされ、自分を「失画症」からの救済するために設計したのが「培相」という方法である。培相の戦略とその課題 「培相」は、特定の画題や主張をもたずに数多くの線を収集することから始まり、それらを重ね合わせ、つなぎ合わせ、切り離し…といった操作へと展開する。こうしたプロセスのなかで線の群れは絶えず変転し、そこから時折「相=様態としての形」がすくい上げられる。これがキャンパスに写し取られ、記録として保存される。 このように「培相」は段階的に進行する複数の選択から構成されており、この点で描画の一回性(分割不可能性)から距離をとっている。また「培相」は特定の対象を持ってはいないが、「相=様態としての形」の発生に導かれており、この点で描画の直接性(非媒介性)も相対化されている。以上の理由により「培相」は20 世紀半ば以降の絵画が標榜する描画とは似て非なる「手続き」とみなしうる。それが描画でないならば「失画症」は発症しないだろう、という理屈である。こうした迂遠ともいえるアプローチは、宇佐美の先の論考において「プリベンション(prevention:予防策などの意)」と呼ばれ、「失画症」対策として有効とされた。 実際に500 点ほどの作品を生み出した実績から、「培相」は「失画症」へのプリベンションとして有効であったといえる。しかし改善の余地がないかといえば、そうではない。特に問題なのは「描画」を「手続き」へと偽装するために20 世紀半ば以降の現代絵画を感じさせるような表現性を強く規制してきたことである。第一に支持体サイズの規制がある。現代絵画はおしなべて大型であり、この傾向を避けるため、作品のサイズは300×300mm に抑えられた。第二に素材の制限がある。絵画的表現の大仰さと距離をとるため、あえて簡素で日常的な材料や技法を使う方針を立て、線を編集するプロセスはトレーシングペーパーやコンピュータ上でおこない、「相=様態としての形」を下地処理を施さない綿にカーボン紙で転写するにとどめた。 こうした規制はプリベンションの効き目を確かのものにした。しかし開始から20 年が経過した現在、「培相」を再起動するにあたってこれらの規制をそのまま維持するべきだろうか。「培相」が途絶えてしまった原因の一つとして、規制の強さからくる展開の乏しさがあったことは否定できない。