浅葉克己 渋谷の桑沢>

2019.03.242.鉄道のミルフィーユ

物資を運び、人を運ぶ、ターミナルに街が生まれる

 横浜や埼玉からも乗り換えなしで着き、都内中心部とスムーズに移動できるようになった渋谷駅。今では1日平均280万人も行きかう駅となりましたが、レールは当初、物資を運ぶために敷かれました。
 遡ること150年程前、新橋と横浜間をつなぐ日本発の鉄道が開通(1872年)します。その13年後に、東北の物資や生糸を横浜港へと運ぶ品川線(現在の山手線)が敷設され、渋谷駅も誕生したのです(1885年)。1907年から、鉄筋コンクリートの建設に必要となった砂利を玉川から運んでくる「玉電」(玉川電機鉄道)が走り始めます。郊外に住むサラリーマンをのせて、東から渋谷駅の手前まで路面電車の東京市電(後の東京都電)が入るようになり、関東大震災(1923年)の後には東京横浜電鉄(現在の東急東横線)が新しい住宅地・田園調布と渋谷を結び、のどかだった渋谷は、東西南北に人とものを移動させるターミナル駅に発展。歓楽街もできていきました。

レール+ビル 駅ビルの誕生

 鉄道に乗ってきた人々を迎え入れる駅ビル。今では一般的な駅と一体化した百貨店ビルですが、発案したのは東急電鉄社長・五島慶太で、経営状況を改善するための打開策でもありました。東京横浜電鉄が、渋谷駅の東側につながってから7年後、渋谷川をまたいで地上7階、地下1階の東横百貨店(現在の東急百貨店東横店)が開店(1934年)します。近代的な白いビルと鉄道がドッキングする都市の風景はここに生まれます。そしてこの頃から渋谷は、ただ物や人が通過するだけでなく、人々が買い物に集まり、生活文化を楽しめる街に変貌していくのです。

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縦に重なる路線

 表参道駅から走ってきた銀座線が渋谷の谷に顔を出すと、高架でそのままビルの3階に向かう。この目を見張る仕組みも、80年前の1938年に始まりました。その当時、地上を走っていた路面電車「玉電」は、山手線や東京横浜電鉄と同じ2階に入っていきました。1階には東京市電がありますから、ビルを軸に上下の縦の移動で乗り換えが済むという画期的な構造。渋谷というすり鉢状の地形を逆手にとった発想は、多数の路線を掌握した東急グループならではのものでした。
現在の渋谷駅は、東横線と田園都市線が地下に入り、相互直通運転が可能となり、路線はますます集約されていますが、スムーズな移動を優先した当時の考えが発展したものといえます。
 9本もの鉄道路線をひき込み、7つのプラットフォームを有する渋谷駅。縦に折り重なり立体交差する路線と、それらを包むビル群は、巨大なミルフィーユのようです。

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