日本で最初の『デザイン』学校で未来を創造する【専門学校桑沢デザイン研究所】

アクセス
MENU
LINE YouTube Instagram Twitter Facebook

卒業生インタビュー

デザイン専攻科 ファッションデザイン専攻
2001年卒業

阿賀岡 恵 / 靴下デザイナ一

阿賀岡 恵

靴下デザイナ一

  • 1978年東京都生まれ
  • 1998年青山学院女子短期大学芸術学科卒業
  • 5年間、福助株式会社商品本部に勤務
  • 2007年株式会社アヤメウィーブスを設立

自分のスタイルを確立できたアイデア出しの授業

肩書は靴下デザイナーです。「靴下にもデザイナーがいるの?」と思われる方が多いと思います。学生時代は私も同じでした。〈桑沢〉に靴下デザインの授業はありませんでしたし、自分が想像していたファッションデザインの仕事は、オンワードやコム・デ・ギャルソンなどのアパレルでした。靴下の会社に就職が決まったときに、「靴下のデザインって、何をするのだろう」と思ったほどです。
入社当時、靴下の値段は1200円くらいが上限でしたが、インポートは3000円もして、その間の価格帯がすっぽりと抜けていました。しかも、大きい会社は売れるものをつくりたいわけですから、べーシックなアイテムではないピンクや黄色の靴下の大量生産は躊躇します。ここにすき間があると思って、2007年に靴下のブランド「Ayame」を立ち上げて以来、運営から営業、デザインまですべてを一人でやってきました。

〈桑沢〉に入学した理由は、1990年代に渋谷系と呼ばれていたサブカルチャーが大好きだったからです。〈桑沢〉の卒業生のラップグループ•スチャダラパ一や、ソラミミストとしても活躍している安齋肇さんの大ファン。個性的で幅広いカルチャーに根づいた〈桑沢〉に惹かれました。
いっか独立をしたいという思いもあり、ファッションデザインを専攻しました。当時は一般的にはまだ、ファッションという洗練されたものはサブカルチャーとは対極にありましたが、渋谷や原宿ではファッションで独立している人たちが身近にいて、その双方が結びつくことも現実的に思えたのです。
〈桑沢〉では、デッサンを含め基本的なことをみっちり特訓されました。特に、アイデア出しの授業は、社会に出てから役立っています。甚礎がなかったら実社会では行き詰まるでしょう。

先日、部屋を掃除していて、〈桑沢〉時代の作品が出てきました。カビやホコリなどを写真に撮り、それを展開して柄や服にする企画です。先生から「面白い」とほめられたことを覚えています。アイデアは何でもよいのです。例えば、パッと目に入ってきた景色も柄にできるでしょう。現在私はテキスタイルが専門ですが〈桑沢〉で学んだことは、織物に変換する力として役に立っています。
観察する力、発想を転換する力、それを創造する力を〈桑沢〉で培いました。クリエイションは頭を使う仕事で、特にファッション業界は、若い感覚を重視するために移り変わりが早い。そんな中、デザイナーとして自分のスタイルを確立できたのは、〈桑沢〉で身につけた基礎があったからだと思っています。

 <インタビュー 2018年3月>©桑沢デザイン研究所

阿賀岡 恵

阿賀岡さんがデザインし、商品化されたもの

 <インタビュー 2018年3月>©桑沢デザイン研究所

卒業生一覧に戻る