照明デザイナー 市川善幾さん
1992年東京都生まれ。東京都立工芸高等学校を卒業後、2013年に桑沢デザイン研究所に入学。総合デザイン科 スペースデザイン専攻を卒業。
設計事務所、照明メーカーを経て、2021年に照明デザイン事務所 AURORA(アウローラ)を立ち上げ独立。照明デザイナーとして多くのプロジェクトに携わる。
無限に想像を広げられるスペースデザインに魅力を感じた
―― 市川さんがデザイン分野に興味を持ったきっかけをお聞かせください。自分が生まれる以前のことですが、母がファッションデザイナーとして働いていたそうで、当時の話を聞く機会は少なかったものの、そこに大きく影響を受けていると思います。姉がデザインを学ぶことのできる工業高校に進学するなど、家庭内では身近な分野でした。私も幼少期から絵を描くことが好きだったので、小学生のころにはお年玉でiPadやペンタブレットを購入してイラストを描いていました。私たちの世代ではポケモンのゲームが流行していて、それを真似してフリーソフトでドット絵を作成したりもしていましたね。他に胸を張って得意だと言えることもなかったので、中学時代には漠然とデザインの道に進む未来を想像していました。
―― 高校ではプロダクトデザインの学びに触れたとおうかがいしています。そうですね。中学卒業時には「デザイナー」という職業への憧れがあっただけで、ファッションやグラフィックといった多様な業種があることはあまり知りませんでした。そんななかでたまたま進んだところが、姉と同じ工業高校の「マシンクラフト科」というプロダクトデザイン系の学科だったんです。具体的には、金属の溶接や鋳造などを学べる学科でした。学校自体は有意義で楽しかったのですが、自分がイメージしていた「デザイナー」との乖離を感じて、別の道を模索するようになりました。
―― そこから〈桑沢〉に進学されたのはどうしてだったのでしょうか?当時通っていた高校では、卒業後に〈桑沢〉に進む先輩が多くいたんです。そうした先輩から話を聞いていて、実践的なデザインの知識を学ぶことができる点に強く惹かれました。もちろん、デザインの基礎を徹底的に学ぶので忙しいという話も聞いていましたが、卒業してすぐに役に立つ力を身につけたいと考えていた自分には理想的な学校だと思いました。
スペースデザイン専攻を選択したのは、さまざまな授業を受けるなかで特に広がりのある分野だと思ったからです。プロダクトの場合は限定された範囲でデザインを考えますが、スペース(空間)の場合は無限に想像を広げていくことができる。スケールを限定しないところに面白さを感じて、さらに学びを深めたいと思いました。
2年生のころ、鳴川肇先生の授業で「液体が漏れない模型をつくる」という不思議な課題が出されました。4人1組でチームになり、ひとつの素材を選んでコーヒーを入れるための模型を製作するというものです。私のチームは素材として「砂糖」を選択しました。コーヒーを入れるためにはカップやフィルターが必要になりますよね。そうした装置をすべて砂糖でつくらなくてはならなかったんです(笑)。
加熱による形状の変化など、砂糖の性質を細かく調べる必要があり、自宅でも理科の実験のようなことを繰り返しました。その過程で、プロダクトや空間をデザインする際には、熱や重力といった自然のエネルギーを深く考慮する必要があるのだと思い至りました。課題を出した先生の真意はわかりませんが、「光」という自然現象と関わる現在の仕事にもつながる学びがあったと思っています。
このように、最初は意図のわからない課題から新鮮な気づきを得られた経験が在学中には多くありました。高校までの勉強とはまったく違っていて、先生から「デザインに教科書はない」と言われたことも印象に残っていますね。
恩師がデザインした照明を買ったことが大きな転機に
―― 卒業後はいくつかの職歴を経て、2021年には照明デザイン事務所AURORA(アウローラ)を設立された市川さん。独立までの経緯をお聞かせください。もともとファッションに興味があったため、卒業後はアパレル系の設計事務所に入社しました。ただ、自分がイメージしていた仕事とのギャップが埋まらず、1年半ほどで退社。何もせずにひとりで暮らす日々が続きました。そんなとき、〈桑沢〉の恩師である内田繁先生がデザインした「l'uovo(ウォーボ)」という卵型の照明を買って部屋に飾ったんです。すると、何の面白味もなかった自分の部屋が、一気に素敵な空間になるのを感じて。照明のデザインに携われば、自分もこんな感動的な体験を生み出せるかもしれないと思いました。
その後、照明機器のメーカーにプランナーとして入社。「光」というかたちのないものをデザインする毎日にやりがいと難しさの両方を感じていました。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、仕事が減少。会社にいても先行きが不透明だと感じたとき、“独立”という選択肢を考えるようになりました。同じリスクがあるのであれば、頑張って挑戦したほうがいいと思ったんです。
プランナーとしてメーカーで働くなかで、照明の役割に違和感を覚えることがありました。例えば、高級感を演出するためにラグジュアリーな間接照明を配置する。当然といえば当然なのですが、自分はこうした照明のあり方が好きになれませんでした。
そもそも、光は自然界に存在するものです。それに加えて人工的に照明を入れることは、むしろノイズを生み出すのではないかという疑念を抱いていました。基本的には自然光を活かしながら、夜には最適な照明で補うことが健全な状態だと考えたんです。
もちろん、建築デザインとしてしっかり考慮されたものであればいいのですが、安直に照明の力を借りる通例を自分のデザインで壊したかった。照明の“必然性”を追求したいという思いが、独立してから現在にも通じるビジョンとなりました。だからこそ、どこにどんな照明を配置するのか、その理由をひとつひとつ説明できるような仕事を心がけています。
〈桑沢〉で身につけた既存の考え方にとらわれないデザイン思考
―― そもそも、「照明デザイナー」とはどのようなお仕事なのでしょうか?クライアントや建築デザイナーから依頼をもらい、空間に合った照明を考える仕事です。例えば、カフェの場合。店内が明るすぎると落ち着きづらくなってしまいますが、暗すぎれば飲食が難しくなってしまう。このように、照明の機能を考慮しながら、客層やコンセプト、店内の雰囲気をヒアリングして最適な配置を考えていきます。メーカーに照明を特注する際には、設計図やスケッチで完成品のイメージを伝えることもあります。
建物の図面を見ながら、「ここにこういう照明があったら自然だな」という配置を探り当てていく過程にやりがいを感じています。主観的な感覚だけに頼るのではなく、より論理的に空間が持っている性質を引き出すような照明の配置ですね。
以前、AURORAで「ブルーボトルコーヒー名古屋栄カフェ」の照明デザインを担当しました。駅と直結した商業ビル内にある人通りの多い店舗なので、従来の手法であればかなり明るくデザインすると思うんです。しかし、私は店舗の雰囲気から、ギリギリまでダウンライトを少なくしたいと考えました。さまざまな計算を重ねた結果、「暗い」という印象を与えない最低限の配置を実現できたので、非常に思い入れのある仕事になりましたね。通例をアップデートし、新たな手法を示せたという意味でも、大きな達成感を覚えました。
〈桑沢〉で身につけた「デザインの本質を追求する姿勢」は役に立っています。常に既存の考え方を疑うことは、デザインにおいて必須のマインドだと今でも思っているので。私が仕事で特にこだわっている、慣習的な照明のあり方を壊したいという思いにも色濃く反映されているのではないでしょうか。
また、膨大な量の課題を経験したことも強みになりました。独立して仕事をしていると、クライアントとのスケジュール調整や定例会議の準備、資料の提出など、大量の事務作業をこなさなくてはなりません。〈桑沢〉の課題を通じて実務の訓練をしていたからこそ、それらに対応できているのだと考えています。
自身の仕事を通じて照明デザインの枠組みを広げたい
―― お仕事における今後の目標をお聞かせください。仕事をするなかで、照明は建築デザインの一分野に過ぎないという認識が根強く残っていると感じることが多くあります。しかし、照明デザインには、「グラフィックデザイン」や「ファッションデザイン」のように、ひとつの独立した分野としてカウントできるほど奥深い世界が広がっています。例えば、「建物に照明を置く」という常識にとらわれず、「照明を起点に建物をつくる」ことはできないだろうか。こうしたことを常に考えながら、照明デザインの枠組み自体を広げ、他ジャンルのデザイン分野との関わり方を変えていくことが当面の目標ですね。
―― 最後に、〈桑沢〉に興味を持っている高校生や社会人に向けてメッセージをお願いします。近年は変わりつつありますが、私がデザインの道を志した当時は、デザイナー職全般に対して「稼げない職業」「地に足のついていない職業」といったイメージを抱いている人がたくさんいました。しかし、実際に学んだ身としては、これほど視野の広がる分野はないと思っています。結果的にデザインの仕事に就かなかったとしても、キャリアや生活を豊かにする学びがある。だからこそ、悩んでいる人は何も躊躇せずデザインの世界に飛び込んでほしいと思います。
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