日本で最初の『デザイン』学校で未来を創造する【専門学校桑沢デザイン研究所】

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卒業生インタビュー

米山 浩太郎

総合デザイン科 ビジュアルデザイン専攻
2016年卒業

米山 浩太郎 / デザイナー

米山 浩太郎

デザイナー

  • 1994年東京都生まれ
  • 2012年聖徳学園高等学校卒業
  • 2016年株式会社 たき工房入社

デザインの仕事をしたいと思いはじめたのは、18歳の頃からです。幼い頃から、絵を描いたり物をつくったりするのは得意でしたが、大人たちから「絵がうまいね」と美術の道を勧められると、子どもだった自分は反発しました。かえって「絶対その道には進まない」と。一般の大学に進もうとしていました。ところが高校3年生のある放課後、黒板に落書きした絵を見た友人から勧められて、今度は素直に美術やデザインの道に進むことにしました。美術大学を目指しましたが失敗し、浪人しました。2回目の受験もうまくいきませんでしたが、二浪はしないと決めていたので、たまたま募集していた〈桑沢〉の二次募集に応募して、入学することができました。

〈桑沢〉の授業では、与えられた課題に応じて制作していくのが単純に楽しかったです。なかでも印象に残っているのは、3年のときに受講した、ドイツのバウハウスを再現した授業です。世界のなかで自分の知らない国をプレゼンする、あるいは音楽を聴いてわいてくるイメージを 形にすることなどの課題でした。それは私にとって未知の、新しい発想でした。いろいろな分野に触れることで、ジャンルを超えて通じるデザインの考え方があることがわかったのは、〈桑沢〉での一番の収穫でしょうか。それまではデザインといえばグラフィックだと思い込み、ファッションなどの分野にはまったく興味がありませんでした。〈桑沢〉でいろいろな分野で活動する人たちと学校のイベントなどで制作をともにすることで、ビジュアルデザインがスペースデザインなどにも通じることがよくわかったのです。学校の課題のほかにも、自分自身を確かめるために自主制作に取り組みました。文字そのものに関心があったので、新しい漢字をつくったり、知人同士で展示会をしたりすることで、表現の幅を広げられたと思います。

いまは駅の構内に張り出される広告や新聞広告など、広告媒体の仕事をしています。プリントメディアもウェブなどの電子メディアの広告もあり、予算も規模も大きなものが多い。在学時代は小さな作品を多くつくりましたが、大画面の広告制作となると、掲出時の状態を想定して微調整していくことが必要です。ロゴをつくるときにも、周囲の環境に合わせたり、さまざまなルールを守ったりする配慮がいる。そういう事情は先輩のアドバイスを受けながら知り、模索しています。その都度異なる環境のなかで、大勢の眼に触れる媒体をつくる。そのために試行錯誤していく過程そのものが、新鮮です。

 <インタビュー 2017年3月>©桑沢デザイン研究所

米山 浩太郎

左=中部経済新聞「AI記者」新聞15段、中=中部経済新聞「AI記者」WEB、右=中部経済新聞「AI記者」ロゴ

 <インタビュー 2017年3月>©桑沢デザイン研究所

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