日本で最初の『デザイン』学校で未来を創造する【専門学校桑沢デザイン研究所】

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本記事は、高校生向け新聞である「進路新聞」を発行している大学新聞社が本校卒業生の田村大氏をインタビューした内容を掲載しています。

アーティストは、あらゆる芸術において高い技術を持つ専門家のことを指します。今回は、力強いタッチのイラストが評判の、DT合同会社(本社東京・足立区)代表兼アーティスト/イラストレーターとして活躍する田村大さんにお話をうかがいました。現在のお仕事内容やアーティストとしての心構えをはじめ、進路を模索する高校生のみなさんにメッセージを送っていただきました。

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アーティスト/田村大さん

モットー: Life is drawing
受賞歴:ISCAカリカチュア世界大会(ISCA)総合優勝(2016)、4位(2015)

似顔絵制作会社に7年間勤務し、在籍期間中に3万人の似顔絵を制作する。
2016年に似顔絵の世界大会であるISCAカリカチュア世界大会において総合優勝した後に独立。
独立後は自身がプレイヤーとしてインターハイベスト8の実績を持つバスケットボールを中心としたイラスト制作を中心に活動。

ペン・カラーマーカーを用いてダイナミックに手を動かして描く、躍動感あふれるスタイルを最も得意とし、 日本を代表する選手である八村 塁や渡邊 雄太を始め、ステフィン・カリーやシャキール・オニールなどの著名なNBA選手からも高い評価を受ける。
その他、メンフィス渡航時にはNBAからの密着取材を受け、NIKEのジョーダンブランドとのオフィシャルコラボレーションを行うなど、バスケットボール分野での実績を多数保持している。 また、バスケットボールに留まらず、野球、サッカー、テニスなどのイラスト制作にも着手し、ロジャー・フェデラー選手のツアー100勝達成時には公式サイトに記念イラストが掲載された他、読売巨人軍、福岡ソフトバンクホークスとオフィシャルコラボレーション商品をリリースするなど、スポーツ全般へと活動の幅を広げている。
Instagramアカウントのフォロワーは10万人を超え、NHKや日本テレビでもイラストを取り上げられるなどメディアからの注目度も高まっている。
2019年からは、クジラやオオカミ、ワシなどの野生動物の絶滅危惧種をA1サイズの大きさで繊細かつ力強いタッチで描き、 イラストレーターと並行して新たにアーティストとしての活動にも挑戦。
アートの分野では、京都で100年の歴史を持つ画廊、松本松栄堂の展示会への出展するなど、新たな挑戦を続けながら着実に実績を積んでいる。
初の画集「DT」を2021年11月25日に発売予定。

アーティストの仕事 質を落とさずに早く描く

―― これまでのご経歴を振り返っていただけますか。

大学を卒業後、専門学校桑沢デザイン研究所(東京都渋谷区)に再進学しました。専門学校を卒業した後はバスケットボールの専門メーカーでデザイナーとして2年間、グラフィックやロゴ制作などに携わっていました。そして、似顔絵制作会社に7年間勤務し、現在は友人とDT合同会社を設立してアーティストとして活動しています。

―― 現在のお仕事内容について教えてください。

広告に使用するイラストや商品のデザイン、店舗の装飾に使うアート作品などを手がけています。依頼があった企業のブランドや世界観をダイレクトに顧客に伝えられるようなイラストを中心に制作しています。
しかし、一日中仕事場にこもってイラストを描いているわけではなく、日中は、例えば人と会っていたり運動をしたりというように、外出していることが多いと思います。打ち合わせや取材、納品などは基本的に自分で行うため、朝と夜にイラストを制作しています。

―― お仕事をする上で心がけていることを教えてください。

イラストを描く上で気をつけているのはスピードです。クオリティを落とすことなく早く描けるというのはビジネスにおいて非常に重要です。また、SNSで作品を発信する際は、撮り方や投稿頻度に注意しています。長い時間をかけて納得のいく作品に仕上げたのに、発表を疎かにしてしまえばすべて台無しになりかねないため、ていねいかつ早い発信を心がけています。
また、ビジネスに限らず年齢や性別、キャリアなどは関係なく人とのつながりを大切にしていて、みなさんに敬語を使い尊敬の念を持って接するようにしています。

―― やりがいはどのようなところにありますか。

企業のデザイナーとして働いていた当時は、商品を売るために最初から多くの人に伝わるデザインを意識していました。多くの人に伝わるデザインはメッセージ性が強いと伝わりにくくなりますが、逆に弱いと大勢に届かない場合があります。
一方、いまの仕事には必ずモデルがいて、伝えたい対象をしっかりと絞った上で制作しています。私が描くモデルは一流アスリートの方なので、ご本人だけではなくファンの方にも喜んでいただき、多くの共感や感動が生まれます。そこが私にとってやりがいを感じる瞬間です。

K-1 フェンシング 浅田真央選手 ―― 反対に大変な部分はどのようなところでしょうか?

会社を退職しフリーランスになって初めて感じたのは、“田村大”というアーティストを誰も知らないということでした。平成28年に似顔絵の世界大会であるISCAカリカチュア世界大会において総合優勝を果たしましたが、一歩外に出てしまうと誰も私のことをご存じないのです。従って、私の名前や技術を広く認知してもらうにはどうすれば良いのかが最大の課題となりました。
いろいろと思考する中で、今後はSNSが自分の名前を浸透させる有力な手段になると直感し、英語でNBA選手のイラストを描いて発信していきました。そこからですね、外国の方々から多くのコメントや評価を頂戴することができ、少しずつ認められるようになりました。いまはSNSが発達し、リアルタイムで社会に発信することができます。自分の人生の中で、世界中にどれだけ自分のイラストを届けることができるかということに挑戦しています。

―― アーティストとして活躍する上で必要な心構えを教えてください。

技術と認知度、あとは行動力が必要です。まずは、夢や目標を大きく高く持ち、かつ具体的に将来を想像することで自分に必要なモノが見えてくるはずです。
私はしばしば「夢の大きさで差別化する」と表現するのですが、例えば「イラストを描いて生活していきたい」という目標を持つ人は世界に何十万人もいると思います。「大好きなバスケットボールのイラストを描いて生活したい」という目標でも同様でしょう。しかし、「NBAとイラストの契約をしたい」という大きくかつ具体的な夢だったらどうでしょうか。意外と目指しているのは自分だけかもしれませんよね。そうだとすれば、あとは「NBAとどのようにつながるのか」という自分の行動力が必要になるわけです。そうした考え方やイメージの膨らませ方が大切なのだと思います。

レブロン 八村 スペースプレイヤーズ ―― 大学卒業後、専門学校に再進学された理由を教えてください。

幼少期からイラストを描くことが好きでした。しかし、中学・高校時代は美術部に入らずに、バスケットボールに熱中していました。その合間でもタイミングが合えば描いていたのですが、大学3年次の就職活動の時期に、このままやりたくない仕事の合間にイラストを描くだけの人生になってしまうのだろうかと考えました。そんなことでいいのかと。
それなら専門的にイラストの勉強ができる環境に飛び込みたいと思い、通っていたアトリエの講師の方に教えていただいた専門学校桑沢デザイン研究所に再進学を決めました。
専門学校では、1年次にインテリアやファッション、プロダクトなどデザインの基礎を幅広く学びました。2年次は、その中でも特に興味があったビジュアルデザインを専攻しました。また、将来は自分のイラストを多くの人に見て欲しいと考えていたので、広告の勉強にも専念し、その知識や技術はいまでも仕事をする上で役立っています。

―― 進路を模索する高校生にメッセージをお願いします。

やりたいことや夢があるのであれば、“あきらめるためにやり切る”ということが大事だと思います。例えば、就職後も「イラストレーターとして生活したかった」という思いにずっととらわれてしまうと、本当に自分の得意なことに巡り合えなくなる可能性が高くなるのではないかと思います。それならば、納得がいくまでやり切って、仮に、そこに道がないと分かるのであれば別の道に出合えるチャンスです。
好きなことを仕事にするというのは簡単ではありません。しかし、人一倍努力すれば、好きなものに関わることはできます。私もバスケットボール選手を目指してやり切ったからこそあきらめがつきました。そこで得意な絵を描き続けたことでバスケットボールに関わる仕事ができています。“あきらめるためにやり切る”ということは、自分の選択肢を広げることにもつながるはずです。

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インタビュアー:『進路新聞』第52号(令和3年10月5日発行)掲載
記事提供:大学新聞社
画像提供:田村大氏

<令和3年10月5日発行>
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