日本で最初の『デザイン』学校で未来を創造する【専門学校桑沢デザイン研究所】

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【月刊インタビュー】桑沢卒の素敵なあのひと

今注目のクリエイターにお話を伺う連載。
第2回目は、本・雑誌・ポスターなどを軸としつつ幅広いジャンルのデザイナーとして活躍するあのひとです!


グラフィックデザイナー /アートディレクター 渡辺 和音さんさん

2005年桑沢デザイン研究所 総合デザイン科 ビジュアルデザイン専攻卒業。
工藤強勝デザイン実験室、株式会社スープ・デザイン(現:株式会社ブートレグ)を経て、
2018年4月、屋号「「ThereThere」」として独立。

―― オンラインでのインタビューになりますが、本日は宜しくお願いします。今は東京にお住まいなんですか?

宜しくお願いします。東京に家を建てたんですが、1階が事務所で2階が自宅になっています。小さいですが庭もあって、緑が楽しめます。

―― 素敵ですね。それでは、アートディレクション並びにデザインを担当された学校案内書のお話から伺いたいと思います。

―― 学校案内書のコンセプトやこだわりを教えてください。

まず雑誌のような作りにしていますが、これは長年エディトリアルデザインの経験を積んできたことに由来します。その方が自分らしさが出ると思ったので、このような構成にしました。パッケージは各冊子の表紙から梱包する袋まで全てアルミで覆い、極力人間的要素を無くして、今からデザインと向き合う学生に「未来」を感じてもらえるような佇まいを目指しました。「デザインする部分」と「しない格好良さ」を形にしてみたかったというのもあります。表紙も極限まで要素を減らして、工場出荷時のような洗練された状態を作ってみたかったんです。

あとは紙媒体に限らず、QRコードを使ってモバイル端末と連動したり、学校案内書だけでは収まらない形のデザインにしたいという気持ちも強かったですね。それもあって、QRコードが自然に馴染むような、機械っぽいデザインに着地しました。

―― 制作期間は、どのくらいかかりましたか?

最初にお話をいただいたのは、去年の6月でした。そこからどういう風にしようか考えて、デザイン案を提出したのは10月くらいです。過去の入学案内を拝見したんですが、毎回非常にこだわって制作されているなあという印象でした。ご依頼を頂いたデザインについては、枠にとらわれず自由に考えていいとのことで、とても楽しく取り組めました。就職支援誌のjob/jobは2年前からご依頼をいただいていたので、今回同封されているもので3作目になります。

今年はコロナウイルスの影響で卒業生作品展が中止になったり、多々イレギュラーなことが発生したので、入稿ギリギリまで粘って素材を集めました。なので実際に資料を請求された方の手元に発送されたのは、今年の5月下旬くらいですね。

今自分が一番良いと思うデザインが届くことで、桑沢への進学を考えている方にもなにか感じ取ってもらえたらいいなと思っています。

―― 合計6冊ありますが、各冊子のサイズや紙へのこだわりは?

できるだけ要素を削って「無個性」なデザインにすると決めていたので、各冊子はあえて全部異なるサイズにして、そこから個性を感じてもらえるよう努めました。一部は情報量に適したA4サイズという決まりもありましたが、他の冊子も全て同じにしてしまうと差異が無くなってしまうので、逆にバラバラにすることで違いを目立たせました。

紙については、コンセプトに沿ってあまり派手じゃない方が適しているのと、発送の関係から重量制限があったので、出来るだけ軽い種類を選んでいます。また同一の紙を使用することで、コスト削減と統一感を両立できるよう気を配りました。表紙はアルミ蒸着にすることで、表情をもたせて、今回のコンセプトと合うようなデザインにしています。

―― 桑沢生時代のお話を聞かせてください。

1浪した末、桑沢へ入学しました。デザインに興味を持ったきっかけは、10代の頃にイギリスのTOMATOというデザイン集団(1990年代にタイポグラフィを使用した映像制作で大ブレーク)がSONYのCMの最後に統一で流れるタイポグラフィを作っていて、それを見てかっこいいなと思ったのが始まりです。当時は高校生で進路を考える時期だったので、こういう世界もあるんだと少しずつ知っていって、デザインを志しました。

入学してみたら、課題だけに留まらず、自分の作品作りをしている人が多かったんです。そのモチベーションの高さに影響を受けて、自分も課題以外で何か作らないとまずいなぁと思って。最初の展示は2年生の時に形になったんですが、桑沢の同級生や美大生合わせて8人くらいでテーマを決めて、それぞれの作品に温度を感じるよねという話から「℃」展という企画を行いました。桑沢時代はそれを含めて合計2回、実際に会場を借りて自主展示を行いました。

高校生と浪人していた時にデザインの基礎を勉強していたので、2年生になって自分なりの答えを求められるような授業が多くなってから、本当に楽しくなりましたね。入学前からグラフィックデザインを志していた気持ちは、変わりませんでした。

――特に思い出に残っている授業はありますか?

2・3年次は、文字に向き合う授業が楽しかったです。授業を受けていくと、文字をしっかり組む組まないで全然違うように見えるとか、文字そのものの格好良さに惹かれたのが記憶に残っています。

3年次のゼミもタイポグラフィを選んで、自分の表現を探しました。文字とデジタルの要素を合わせて表現してみたかったので、文字がたくさんある中に絵が現れるような作品を作っていたと思います。ゼミの先生がタイポグラフィ年鑑というコンペを開いていたので、それに応募して入賞もしました。

当時は特別本が好きだったわけではなくて、アートや色々な方面に興味があったんです。社会人になってから様々な仕事をこなしていく中で、エディトリアルデザインが好きなんだなという気持ちが徐々に明確になっていきました。

―― 就活はどうでしたか?

就活に関しては、範囲を狭めずざっくり進めていた感じです。ともかく就職しなきゃという焦りはあったので、卒業前に桑沢の求人で見つけた工藤強勝さん(今年度から所長に就任)のデザイン実験室に就職しました。エディトリアルやタイポグラフィに特化していて就職してから更に勉強させてもらえるなと思ったのが1番大きかったです。本当はもっと勉強したかったんですけど、卒業したらすぐに就職しなきゃいけないという制約もあったので、今後どう動いたら自分が成長できるかを考えてそのように決めました。

―― 工藤強勝デザイン実験室では、何年ほど働かれましたか?

6年ほど勤めて、雑誌や写真集、美術館の図録などを手がけました。 工藤さんが手書きでデザインしたものをPCで起こすというアシスタント的な作業と、自分たちで考えてデザインする2つの仕事です。もちろんデザインするのも楽しかったんですが、工藤さんはどこがこだわるべきポイントなのか明確な方だったので、デザイン意図を汲み取って起こしていく作業はとても勉強になりました。ただ、自分のデザインをもっとやってみたいというのと、同世代の人とやっていきたいという気持ちが段々芽生えてきて、6年後にスープ・デザイン(現:株式会社ブートレグ)に転職しました。

―― そちらの会社を選ばれた決め手はなんでしたか?

日頃から気になる雑誌はどのデザイン事務所が作っているかをチェックしていて、その中でもちょっと変な雑誌を作っていたのがスープ・デザインだったんです。TRANSITもそうですが、カルチャー系の雑誌が多くて、文化や人にフォーカスを当てているのが特徴ですね。

工藤強勝デザイン実験室にいた時、自分が今後デザインしていきたいのは「本や雑誌」だというのが明確になっていたので、興味を惹かれるスープ・デザインでチャレンジしてみたかったし、経験してきたことが活かせるだろうなと思いました。

元々建築家やデザイナーが集まって起業した会社です。僕が入社した時には建築とグラフィックで会社も分かれていてグラフィックの方に在籍していました。入社後はアートディレクター兼デザイナーとしてTRANSITに関わりましたが、苦労もたくさんしたので特に印象に残っているプロジェクトの1つです。最終的には、7年ほど勤めました。

―― アートディレクターにはどうしたらなれますか?

まずデザインがしっかりできる人じゃないと、無理だと思うんですよね。デザイナーを飛び越してなるのは難しいと感じています。デザイナーを経験する過程で信頼が構築されていったりするし、全体が見えている状態でディレクション出来る方が良いです。デザイナーとして1人前になってから、ディレクションを手がけられるようになる印象ですね。

―― いつ頃から独立を考えていましたか?

スープ時代は独立するために働いていた節もありました。代表の尾原さんもここで勉強して独立しろというスタンスだったので。副業をしていたわけではなくて、厳密に言うとスープ・デザイン内の「ThereThere」として活動していいと言われたのがきっかけで、スタッフ3人で活動していました。その後、ThereThereとしてもっと活動していきたいという思いが強くなったので、2018年に独立した形です。

独立後の仕事で印象に残っているのは、ミツカン未来ビジョン宣言というCMです。桑沢時代の同級生と初めて一緒にやれた仕事です。後藤くんという友達で、CMなどのディレクターをしています。一緒に仕事やろうと声をかけてくれて15年経って一緒にああだこうだいいながらやれて刺激的でした。クリエイティブディレクターの松岡正剛さんから「なにか新しいことがしたい」というお話をいただいて、2画面に分割した下の画面を担当しました。上の画面に動画が流れていて、下は文字やドローイングといった情報が流れるようなデザインです。松岡さんのお話も重みがあって面白くて、楽しかったです。とても興味深く、勉強になりました。それまで紙媒体を手がけることが多かったので、分からないことも多い中で四苦八苦しながら挑戦しました。

―― 会社員時代と独立してからとでは、変化はありましたか?

やはり会社に属していると会社のトーンがあるので、ある程度は合わせる必要がありますが、そのトーンに自分の表現は守られているとも言えます。独立するとより自分の表現が明確になっていないといけないので、以前よりそのあたりはシビアに考えています。ただ自分のカラーを全面に出したいわけではなく、そのものがどういう存在であるべきなのかということをデザインを通して表現していきたいと思っています。その中で良い違和感みたいなものを探していきたいです。

―― 最後に、エディトリアルデザイナーを目指す学生に伝えたいことはありますか?

この頃、休刊になる雑誌が増えてきたなという時代の変化を感じています。これからエディトリアル業界を目指す学生に伝えたいことがあるとすれば、あまり本や紙だけにこだわりすぎないほうがいいんじゃないかということです。他の媒体と連動する楽しさもあるし、これから先、最初から紙だけに絞って学ぶのは危ういんじゃないかなと。この先変わるかもしれないですが、視野を広く持ちながらやっていくのがいいんじゃないかな。紙の良さもありますし、それ以外の良さもある。表現の幅を広げるためにも、まずは1つにこだわらず学んでいってほしいと思います。


インタビュアー:はやしわかな
桑沢デザイン研究所 総合デザイン科 プロダクトデザイン専攻卒業。
海外で働きたい気持ちが強く、卒業後すぐに海外就職。
建築系3Dアプリの開発に携わり、デザイナーやエンジニアをサポートする仕事に就いている。
<2020年7月>
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