日本で最初の『デザイン』学校で未来を創造する【専門学校桑沢デザイン研究所】

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ホーム 就職・キャリア 卒業生インタビュー F.E.A.R EXPRESSIONISM(RE:SHAZAM)/ 小林 春奈さん
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【月刊インタビュー】桑沢卒の素敵なあのひと
今注目のクリエイターにお話を伺う連載。第5回目は、漫画家やアーティストとコラボしたグッズやアパレル商品をデザインしているあの人です!


F.E.A.R EXPRESSIONISM(RE:SHAZAM) 小林 春奈さん

2011年 桑沢デザイン研究所 昼間部 総合デザイン科ファッションデザイン専攻卒業。 舞台衣装製作、リサーチ会社などを経て、アーティストとの公式コラボ商品などを扱うブランド(RE:SHAZAM)を設立。

中学時代から目指していたデザインへの道

―― 宜しくお願いします。
まずは桑沢入学前のお話を聞かせてください。

私は、山梨県河口湖町(現、富士河口湖町)の出身で、家から富士山が見えるところで育ちました。小さい頃から絵を描くのが好きだったので、中学生になった頃には美術系の仕事を志していました。それから受験に備えて美術予備校へ通っていたのですが、浪人生のレベルの高さに圧倒されてしまい、現役で美大に合格出来るのだろうかという不安を感じていた頃に、「美大と同じレベルの人たちが集まる桑沢という学校があるよ」と紹介してもらいました。

予備校に通っている頃から、地元でデザインを学ぶのは難しいだろうなと感じていました。桑沢は渋谷と原宿の間にあり、アンテナがたくさん張られた場所としても魅力的でした。また他の専門学校と違い、3年制でデザインを長く学べます。元々グラフィックデザインを志望していましたが他の分野にも興味があったので、1年生の時に幅広く学んだ上で専攻を決められることが桑沢を選んだ決め手です。予備校でしっかりと試験対策をして一般入試で受験しました。

気付かされたファッションデザインの魅力

―― 1年次で特に印象的だった授業はありますか?

やっぱりファッションの授業ですね。1年生のファッションの授業では、帽子やベストを制作しましたが、“布を使わずに帽子を作る”という課題は衝撃的で、私がファッションデザインに思い描いていたものとは異なる新しいアプローチ方法を学ぶことができました。

あるとき、ファッションの授業を担当していた先生から声をかけて頂いて、「どんなデザインがしたいの?」と聞かれ、「グラフィックデザインで、浅葉克己先生みたいな格好いいポスターを作ってみたい」と答えたんですね。そうしたら、「あなたがやりたいデザインはあくまで平面上でしか表現できなくて、ファッションなら人が着ることで成立するし、360°立体的にデザインできるのよ」とアドバイスを頂き、なるほど!と思いました。ファッションといえども建築の要素があったり、音楽があったり、あらゆる分野を統合したようなデザインが出来るんだと先生の話を聞いて目から鱗が落ちる思いをしました。元々、人間の生活に必要な衣食住に関わる仕事がしたいという気持ちがあったので、2年次からファッションデザイン専攻に進むことにしました。

―― ファッションデザイン専攻に進んでから、印象に残っていることはありますか?

桑沢では講義の授業が好きで、特に、ファッションジャーナリストとして世界のファッションデザインを長年見てきた平川武治先生の講義が印象に残っています。知られざるファッション・デザイナーの裏側やある有名デザイナーが成功するまでの話など、興味深い内容でした。

パターンメイキングやドローイングの授業もあったのですが、やはり「概念を学べる」というのが桑沢の特徴だと思います。ファッションデザインは服を作るだけではなく、写真やグラフィックデザイン、空間などそれら全てがファッションを形作る構成要素の1つになります。それらを変えることで全く違うデザインにもなるし、そういった幅広い視点から考えられるようになったのが非常に良かったですね。実は桑沢卒業後に別の場所でもパターンメイキングの勉強をしたのですが、そこでは技術だけを学ぶので、桑沢でデザインの考え方を身に付けたことは今の仕事で活かされてると思っています。

それと、2、3年次になってくると、学外のコンテストに興味がありました。装苑賞(新人デザイナーのためのファッションコンテスト)などで賞を取ってみたいという気持ちもあって、そちらに力を注いでいました。

▼ナゴヤファッションコンテストの作品

―― 3年次の卒業制作は、どのように取り組まれましたか?

私は、いつか自分のブランドを立ち上げたいと考えていて、ランウェイで作品を美しく発表したいと思っていたので、藤田ゼミというファッションショー形式で発表を行うゼミを選びました。

卒制のテーマは「老いの表現」にしました。人に着目したテーマにしたいと思っていて、老いという誰しもが目を背けたくなることをプラスに変えられる表現をしたいと考えていました。授業では、おじいちゃんやおばあちゃんの写真を集めたコラージュ制作から始め、徐々に服に落とし込む作業を行いました。自分で決めたテーマを、どのように服に落とし込むかを考えて、トワルを組みながら(形を検討する布を使い、仮のデザインをする)最終的なデザインを決めていきました。授業では毎週のように講評会が行われ、お客さんにどうやってテーマを伝えるかなど、足し算引き算をしながらファッションショーに向けて調整していきました。卒業生作品展で発表した作品は納得しているものとは言い切れませんが、やりきったと思います。

働きながら見つけたファッションデザインの新たなかたち

―― 就職活動はどうでしたか?

企業で働くことにこだわりを持っていなかったので、好きなアパレルブランドで経験を積ませてもらい、自分のブランドを立ち上げられたらいいなと思っていました。友人と一緒に就活してみたりはしたものの、卒業時まで就職は決まっていなかったですね。卒展で発表は出来たんですが、その直後に東日本大震災が起こってしまい、何もかもぐちゃぐちゃになってしまって。全然就職どころじゃなくなっちゃって、自分に何ができるのか、ポジティブに自分を見つめ直す時期として作品を制作していました。しばらくして就職している友人から声がかかり、バレエやダンスウェア、テーマパークの舞台衣装を製作する会社のお手伝いをすることになりました。

―― 舞台衣装の製作は初めてだったと思いますが、どうでしたか?

アパレルとは異なる、非日常的なファッションの道もあるんだなと自分の知らない世界を知ることができました。アイススケート選手や某有名テーマパークのパレード用に衣装を作っていたのですが、舞台衣装は、激しい動きをしても耐えられるように作られていて、かつ、美しく見えるようにデザインされているんです。この会社には1年ほど在籍していましたが別の友人から声が掛かり、ロックバンドの舞台衣装制作の会社へ転職しました。職場に一週間ほど缶詰になり、帰れない時があるほど大変だったのですが、学んだことも多かったですね。

舞台衣装を経験できたのは大きかった反面、自分が進みたい道ではないなという気持ちもあり、その後アパレルマーケティングの会社に転職しました。街に出て今の流行を調査したり、世界のファッションブランドから次に流行しそうなものをピックアップして、会社の商品企画に活かすための仕事です。商品企画に始まり、どういう構成をすればお店が1つ出来上がるかなど、ブランドの運営についてとても勉強になりました。

―― その後、F.E.A.R EXPRESSIONISMで仕事をするきっかけがあったと伺っています。

自分のファッションブランドを立ち上げるのに、アクセサリー作りから徐々に派生していったらいいなとぼんやり考えていた頃、「ラフォーレ原宿にお店(F.E.A.R EXPRESSIONISM)を持っている面白い人がいるよ」と教えてもらって出会ったのが今の夫です。F.E.A.R EXPRESSIONISMでは、古着を買い付けてきて、新たにグラフィックをハンドプリントしたり、シルエット自体をリデザインしたり、もう寿命が終わってしまったと思われるものに新しい価値を生み出しているのが印象的でした。彼とはすっかり意気投合してしまって、一緒に仕事をすることになりました。

▼『RE:SHAZAM』のデザイン制作のきっかけとなったアイテム(ラフォーレ原宿のショップで販売していた商品)

現在は、商品企画を私が担当し、イベント全体の企画は夫が担当しています。 新ブランドとして『RE:SHAZAM』を立ち上げたきっかけについての話ですが、自分が好きなキャラクターの服を探していたときに、全然オシャレなものが見つからなかったんですね。自分だったらこうゆう風にキャラクターを使ってデザインするのになぁと考えるようになったときに、「世の中に無いのなら自分たちで日常使いできるようなファッション性が高いものを作ろう!」という気持ちが出てきたのがきっかけで、オタクの人たちだけが着るような、いわゆるグッズのようなものではなく、アパレルに近いものを目指しました。 『RE:SHAZAM』では、他のアパレルがやらないようなひと手間加えた商品作りを意識していて、桑沢在学時からこれまでの仕事に至るまで自分が学んできた技法をすべて使ってオリジナルのものを製作しています。

―― 仕事をする中で、印象に残った出来事はありますか?

約一年前に、ホラー漫画家である伊藤潤二先生の商品を、企画からイベント運営まで担当させて頂いた時です。青山にある古民家を改装して作ったスペースを貸し切って、先生の商品を展示させて頂いて、壁にアニメーションを投影したり、空間演出までこだわって企画しました。イベントに参加した方の中で、感動して泣かれるファンの方がいて、その方から「普段使いできるこんな格好いい服があるんですね」といった声を頂いて、ファンの方たちが求めているものを自分たちは手掛けているんだということを実感しました。

―― 最後に、これまでを振り返って今後に向けた取り組みについて教えてください。

学生時代は自分の名前が冠を飾るようなブランドを立ち上げたいと考えていましたが、自分が好きなものと好きな服の作り方で、1つのブランドを運営しているのは大きな変化ですね。流行を問わず何年も着て頂ける、また作品を使用させて頂いた作家の方の歴史に残る商品を作っていきたいです。


インタビュアー:はやしわかな
桑沢デザイン研究所 総合デザイン科 プロダクトデザイン専攻卒業。
海外で働きたい気持ちが強く、卒業後すぐに海外就職。
建築系3Dアプリの開発に携わり、デザイナーやエンジニアをサポートする仕事に就いている。
<2020年10月>
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