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【月刊インタビュー】桑沢卒の素敵なあのひと
注目のクリエイターにお話を伺う連載。第6回目は、美術制作の現場で経験を積み、有名アーティストのPVやTV、CMのセットデザインをされているあの人です!


DIOPSIDE(ダイオプサイド) 磯貝 さやかさんさん

2007年 桑沢デザイン研究所 昼間部 総合デザイン科スペースデザイン専攻卒業。
映画、TV、PVなどの美術制作を行う株式会社ヌーヴェルヴァーグで13年間経験を積み、映画「TOKYO!(SHAKING TOKYO)」(ポン・ジュノ監督)、PV「マリーゴールド(あいみょん)」を始め数々の制作に携わる。
2020年独立し、DIOPSIDEを設立。

―― 今日は宜しくお願いします。早速ですが、桑沢入学までの生い立ちを教えて下さい。

神奈川県横浜市の出身です。小さい頃から絵画教室に通い、将来は画家になりたいと思っていました。「美大に行ったら画家になれるよ」と先生に教えて貰ったのですが、もしかして生計が立てられないのではないかと考え始めて、中学生になる頃には専門学校も視野に入れて進路を調べていました。高校は神奈川県立神奈川工業高校のデザイン科を選び、手書きで図面を描いたり、コピックを使って車のレンダリングをしたのを覚えています。

当時は、絶対プロダクトデザイナーになりたいわけではなかったんです。ただ、デザイナーとして世の中に自分がデザインした商品を生み出してみたい、という好奇心がありました。「とにかく実践」というイメージが魅力的だったのと、就職に強そうなのが決め手となり、推薦入試で桑沢に入学しました。

―― 桑沢入学後は、スペースデザインを学ばれたんですよね。

劇団四季の「ライオンキング」を見に行ったのがきっかけです。舞台セットや空気感に、ハートを掴まれてしまいました(笑)。プロダクトデザインだと1:1でサイズ感を見るのですが、空間はスケールの大きいものを模型で構想を練ります。それがとても面白くて、今でも出来上がる過程に楽しさを感じますね。

高校までにデザインの基礎は学んでいたので、桑沢の1年次は特に立体・ハンドスカルプチャーの授業が新鮮で楽しかったです。専門の授業以外では、デザインの現場で働くプロに話を聞くレクチャーシリーズ、江戸時代の文化を学ぶ講義、金箔を貼る実技などが印象に残っています。

絵画教室とは別に書道も長く習っていたので、卒業制作は「住宅と書」というテーマで制作しました。本来建築物は図面に沿って制作されるのですが、テーマに沿って書の形で模型を作ってみようというアドバイスを頂き、はね、はらい、止めなどの特徴を落とし込んでいきました。もう少しディティールまで作り込めたら良かったのですが、新しいコンセプトに取り組めたと感じています。

―― 就職活動はどのように行っていましたか?

卒制を行いながら、就職先として魅力的だなと思っていた会社でインターンをしていました。ちょうど広島にあるマツダスタジアムのコンペがあったので、図面や模型を作るお手伝いをしたのを覚えています。最終的にその会社の提案が通って、今のマツダスタジアムのデザインに採用されました。

就職を見据えて通いつつ、会社の人たちにも「おいでよ」と言われていたのですが、なんとクリアできない採用条件があると分かって(笑)。応募自体難しかったので、就活は一旦リセットし、課題に集中することに決めました。

今思えば、「今後どういった仕事をしていきたいか」をゼロから見直す良いきっかけになったと思います。高校生の頃、フリーペーパーで読んだドラマのセットデザインが頭の片隅にあり、「そういえばやってみたいかも」と思い出しました。そして、たどり着いたのがプロダクションデザイナーという今の仕事です。

桑沢在学中は卒制に集中し、卒業後に就活を再スタートしました。ポートフォリオはただのファイリングではなく、A4サイズで製本した記憶があります。実は姉も桑沢卒なので、ビジュアル面についてアドバイスを貰ったりしていました。そんな中、いくつか美術制作関連の企業へ応募し、一番返事が早かったのがヌーヴェルヴァーグという会社です。採用試験などを経て、桑沢卒業後の5月から所属が決まりました。

入社後初めて行った現場は、安室奈美恵さんのMV撮影です。セットの図面を引いたり、制作物がちゃんとできているかを確認したり、掃除や撮影の手伝いから始まりました。キャリアのスタートから専属のデザイナーに付く方もいますが、ヌーヴェルヴァーグでは、アシスタントのアシスタントから始まります。大道具や小道具、造園、造形など、覚えなければいけないことが山ほどあるので、下積みが長い世界ですね。

その次に印象に残っているのは、ポン・ジュノ監督の「TOKYO!(SHAKING TOKYO)」という作品ですね。ちなみに、カンヌ国際映画祭で話題になった「パラサイト 半地下の家族」の監督です。TOKYOはオムニバス形式になっており、そのうちの1つに出てくる、架空のピザ屋のロゴや、ピザ箱などちょっとした小道具のデザインを担当させて貰いました。

「自分の名前でデザインできるようになるには、10年くらいかかるよ」と言われていた通り、今活躍している方はそれくらい下積みしているように見えます。技術や知識がある程度身について、8年目くらいから少しずつデザインを担当できるようになりました。それも最初は撮影時の背景にパネルを立てるだけですが、すごくドキドキしたのを覚えています(笑)。大道具さんに発注して、絵コンテからカメラのレンズを想定し、このくらいあれば大きさが足りるかなと考えたり、色や素材の見え方を考え抜かないといけないんです。

―― とても職人的な世界に聞こえますが、「辞めたい」と思ったことはありましたか?

ロケの関係で昼夜逆転の生活になったり、仕事の拘束時間が長かったり、「もうダメかも」と感じる日々も多かったです。でも、今を乗り越えれば自分の名前で仕事をする、という目標に近づけると思っていたので、頑張ることができました。また、現場で様々な方の話を聞くことが出来て、とてもワクワクしましたね。むしろ吸収するチャンスだと思っていました。当時は男性の多い縦社会だったのですが、今は業界全体で女性の活躍が多い印象です。

最終的にヌーヴェルヴァーグには13年間所属したのですが、10年目くらいからメインでデザインさせて頂けるようになりました。近年担当したMVは、あいみょんの「マリーゴールド」やSEKAI NO OWARIの「イルミネーション」などです。

―― マリーゴールドは、2億回再生されるほど人気の曲ですね。美術制作で印象的なエピソードはありますか?

通常の制作では、まずロケ地の調査を行ってから内容を検討し、再びロケ地に行きます。マリーゴールドは中国・上海で撮影されているのですが、予算と日程に普段より制限がありました。そのため、現場に到着した日にロケ場所を決め、翌日に何を置くか考え、翌々日に撮影するくらいのハードスケジュールで進んだのを覚えています。MVに出てくる部屋には何も無かったので、現地のコーディネーターさんと1日かけてインテリアを探し、即興で制作しました。そんな状況でも、監督やカメラマンを含め、チーム一丸となって良い作品が作れたのではないかと感じています。

―― SEKAI NO OWARIのイルミネーションでは、ゴシック調のインテリアコーディネートが素敵です。美術制作の印象的なエピソードはありますか?

この作品は、監督から直接指名を受けて担当しました。「とにかくグロテスクなものを」というオーダーだったので、装飾担当の方と相談しながら、デザインを決定しています。ロケ地が富士山の近くの山だったので、色々持って行って撮影したのが大変でしたね(笑)

―― 会社所属のデザイナーとしてメインでデザイン出来るようになってから、今年1月に独立されました。きっかけはありましたか?

1年ごとに出来る仕事を増やす、という目標を持っていて、その延長線上に独立もありました。慣れで仕事をしたくないというか、チャレンジしてみたい気持ちが強かったので、前向きに「ダイオプサイド」として独立できたと思います。会社在籍時は予算管理やスケジュール進行も含めて担当していたのですが、現在はそういった部分をヌーヴェルヴァーグにお願いして、デザインに専念できるような体制を整えています。

現在は制作会社から直接指名を頂いたり、知り合いの方から声をかけて頂いたり、スケジュールがあればジャンルを問わず、CMでもMVでもお仕事をしています。最近では、NHKの「岸辺露伴は動かない」という、年末放映予定のドラマセットを担当しました。主人公の書斎や、ストーリーに出てくる部屋のデザインです。放映前に映像を頂く場合もあるのですが、恐らく年末のオンエアーで初めて完成系の映像を見ることになると思います(笑)

―― 磯貝さんのお仕事に興味がある学生さんも多いと思うのですが、就職方法はいくつかありますか?

2つの方法があると思います。どちらにしても長い道のりにはなりますが、1つ目は専属のデザイナーにつくこと、2つ目は会社に所属することです。専属のデザイナーにつく場合、師弟関係にあたる方のデザインにどうしても影響されがちになるので、よっぽど強く希望する方は良いと思います。会社に所属する場合は、色々な現場にいって吸収できることも多いですし、予算管理などデザイナーにとって重要な知識も学べるのが良いところですね。私が独立した時は、会社から応援して頂いて、今でも関わり合いながら仕事をさせて貰っています。

―― 興味深いです。それでは、桑沢を目指す学生の方、また在学生にアドバイスがあれば教えてください。

私は希望していたインターン先へ就職できず、一旦就活をリセットしました。就活では、焦るのが一番良くないと思います。今年独立してから2ヶ月くらいパッタリ仕事が無くなった期間があって、「この先どうなるんだろう」と不安になった時期もありましたが、いつかチャンスは巡って来るはずです。自分のやりたいことがブレなければ、その方向に進んでいくのが一番いいのかなと思います。

桑沢には色々な魅力があるので、行きたいなと思ったら是非目指してみてください。やりたいことがまだ具体的になっていなくても、学校生活の中でそれまで知らなかった新しい発見や自分の変化がたくさんあると思います。自分の変化も含め、全部楽しんで取り組める学校なので、入学したら新しい自分を見つけられるよう頑張ってほしいですね。


インタビュアー:はやしわかな
桑沢デザイン研究所 総合デザイン科 プロダクトデザイン専攻卒業。
海外で働きたい気持ちが強く、卒業後すぐに海外就職。
建築系3Dアプリの開発に携わり、デザイナーやエンジニアをサポートする仕事に就いている。
<2020年11月>
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