日本で最初の『デザイン』学校で未来を創造する【専門学校桑沢デザイン研究所】

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【月刊インタビュー】桑沢卒の素敵なあのひと
今注目のクリエイターにお話を伺う連載。第7回目は、フォトグラファーとして活躍しているあのひとです!


写真家 草野庸子さん

1993年、福島県生まれ。桑沢デザイン研究所でグラフィックデザインを専攻し、在学中に2014年にキヤノン写真新世紀優秀賞(佐内正史選)に選出される。以後、写真家の道を歩み始め、現在ではファッションやカルチャー誌をはじめとする数々のメディアで活動。写真集に『UNTITLED』『EVERYTHING IS TEMPORARY(すべてが一時的なものです)』『Across The Sea(roshinbooks)』『YOKOKUSANO/MOTORA SERENA』。

―― 今日(インタビュー日時:3月11日)は、東日本大震災からちょうど10年目です。福島県出身の草野さんが桑沢に入学されたのは、震災直後ですか?

震災の1年後に入学しました。高校2年生の時に地震があって、その影響で校舎が壊れ、高校最後の1年は最寄りの大学とプレハブで授業が行われました。また、福島第一原子力発電所から50km圏内にあったので、6月くらいまで休校になったと思います。今までとは全く違うことになったという感じだったかな。 震災直後で放射能による人体への影響がどれくらいあるか分からない状況だったので、休校になった期間は母の知り合いがいる東京に2ヶ月くらい居候して、平面構成やデッサンを練習していました。

―― 桑沢を目指すきっかけは何だったのでしょうか。

高校では美術部に所属していて、美大で絵を描きたいと考えていました。ただ美大の油絵科を志望しても、対策のできる美大予備校が近所に無かったんですね。浪人するかどうかを親に相談したところ、母親から桑沢を教えてもらったんです。自分で調べていくうちに興味が湧いてきて、AO入試で受験し、桑沢に入りました。

―― 桑沢在学中には、第37回キヤノン写真新世紀優秀賞(佐内正史選)を受賞されています。応募したきっかけは何でしたか?

東京に出てきて一人暮らしを始め、なんとなく友達の写真を撮り始めたのがきっかけです。友達と夜遊びしたりなんだりっていう時に、フィルムカメラでパシャパシャ撮っていました。ちょうど2年次に手製本で冊子を作りましょうという授業があって、周りの子は自分の作品を綺麗に撮ってポートフォリオを作っていたんですけど、私はプライベートで撮り溜めいている友達の写真を冊子にまとめて、写真の授業を担当している鈴木先生に提出したんです。そしたら、結構褒めてくださって。当時はまだInstagramも流行っていなくて、交友関係のある人から「いいね」と言ってもらえるくらいの、狭い世界での話でした。でも写真家として経験を積んできた鈴木先生に褒めてもらえて、「私の写真って、良いんだ。」という発見があったんです。そこから、もうちょっと広い世界での”自分の作品の見られ方”に興味が湧いてきた、というのが写真新世紀に出した一番のきっかけですね。

―― 写真新世紀での受賞を知った時は、驚きましたか?

例年の締め切りは秋から冬ですが、最終プレゼンなどが行われる東京都写真美術館の建て替えがあったので、6月いっぱいで締め切りでした。新世紀に応募しようと決めたのが6月頭くらいだったので、急いで構成し、手製本で冊子を作り、送ったのを覚えています。でも本当に何にもならないと思っていたので、応募したことを周りにも話さず、ただ満足していました。

受賞を知ったのは、忘れた頃にかかってきた電話です。写真新世紀では、選出された5人が東京都写真美術館で展示をし、プレゼンを経て最優秀賞が決まります。電話は、その展示構成とプレゼン内容を話し合うためにお会いできる日はありますか、といった内容でした。

驚いたと同時に、私を選んでくださった審査員の佐内正史さんが好きだったので、とても嬉しかったです。

―― 写真新世紀での受賞後、3年次では写真ゼミだったと聞いていますが、どういったテーマで取り組みましたか?

写真ゼミで取り組んだ卒制では、父親にゆかりのある東京・福生のあたりが好きだったのをきっかけに、その風景やポートレートと、渋谷の街で暮らしている私の周りのものを撮影して、構成しました。私がいた頃の写真ゼミは5人くらいしかいなかったので、結構壁を大きく使わせてくれた記憶があります。

それとは別に、仲の良い同期4人で裏卒展という自主展示も行いました。「飲みながら卒業を祝いたいよね」と話していたので、渋谷のバーを借りて、写真新世紀に出品した作品と、卒制で撮った写真を混ぜた作品を展示したと思います。その後、写真新世紀で撮った作品を、浅葉ゼミに所属していた同期に再編集してもらい、「UNTITLED」という写真集を300部自費出版しました。

―― 撮影の技術的な部分は、授業やゼミで学べましたか?

自ら吸収しようと思えば先生も応えてくれますし、勉強できる環境は十分にあります。1年次の写真の授業では、街に出てテクスチャーを30枚撮影してくる課題がありました。一般的に「写真」というとポートレートのイメージが強いかもしれませんが、その課題はとてもデザイン的なテーマだったと思います。渋谷の街中で撮ってきたテクスチャーをみんなで並べて見たりして、面白かったですね。画面の中で空と木を入れる割合を考えたり、どれくらい余白を作るかを考えるのは、写真の技術だけでなく、造形的な教養を含めた授業だと感じます。

また、社会に出てから実際の現場で学んだ部分も大いにあります。私の写真を見て依頼してくださる方は外での撮影が多いので、スタジオで撮影する時はライティング専門の方を呼ぶ時もありますね。

現在、クライアントに確認する時などはデジタルを使う場合もありますが、基本的にはフィルムで撮影しています。今後デジタルで撮影すると幅が広がって良いと思いますが、フィルムが好きですし、作風を知った上でお仕事の依頼を頂く機会も多いので、今後もフィルムで撮っていきたいです。

―― 一方、就職について在学時はどうお考えでしたか?

賞を頂いてから写真ゼミへ入り、その面白さをどんどん発見していく中で、「写真の道で何かしたい」と考え始めました。卒業後の選択肢として、スタジオに入るか、または誰かのアシスタントに就くかの2つでとても迷いましたが、写真新世紀の作品を見て何件か仕事のお誘いがあったので、一旦アルバイトでもしながら好きな写真を撮ろうと決めて、就活はしなかったです。自分の展示をしながらお仕事を貰えるようになっていったらすごく楽しいな、やりたいことに近いな、でも大変だろうな、とは感じていました。

―― 卒業されてから約6年経ち、直近では「泣く子はいねぇが」という映画でお仕事をされています。何か印象に残っていることはありますか?

まずプロデューサーから直接ご連絡を頂いて、監督を含めたスタッフの方に会いに行きました。以前、曇り空を撮影した作品があるのですが、「目線が合っているんだけど合っていないような気がする」という表現で褒めてくださって。この映画も秋田県が撮影場所だったので、「晴天より、曇り空のイメージで撮りたいんだよね」というお話をされていて、私も台本を読んでから、一緒にお仕事させていただく運びになりました。

また、プロデューサーが秋田県でどうしてもこの作品を撮りたくて、数年間の直談判を経てなんとか許可が下りたそうです。そんな経緯も踏まえ、地元の方の応援がたくさんあったのが印象的でした。

ポスタービジュアル撮影の他、現場のスチールや帯同する物についてもできる限り関わって欲しいとの要望で、東京と秋田を行ったり来たりするのが1ヶ月ほど続きました。 仕事で撮影すると1-2日で終わってしまい、特にチーム感が無いんですが、この現場ではみんな一丸となって撮り切るぞという中に混ぜてもらった気がします。だからこそ、物語に入り込んで撮る時間を多くもらえたのが良かったなと思います。すごく楽しかったです。

―― RIE HATAさんの「RED」という写真集にも参加されています。クリス・ブラウンや防弾少年団など、有名アーティストへ数多くの振り付けを提供している方ですが、このお仕事を依頼された経緯は何でしたか?

KEISUKE YOSHIDAというファッションブランドの撮影で、まずはアートディレクターの長畑さんと初めてお会いしました。彼が刊行している「STUDY」というファッションマガジンと、KEISUKE YOSHIDAで私が担当した写真なども含めた合同展示を行ったところ、何かでRIE HATAさんがご覧になられたみたいです。それで長畑さんにアートディレクションを全てお願いしたいとの依頼があり、撮影は私に依頼していただきました。

撮影は3泊4日でロンドンに行きました。RIEさんがセルフスタイリングすると同時に色々な提案もしてくださって、より良い作品を作るために本当に柔軟に対応してくださる方だったので、私も素直に提案しやすくて、かなりの枚数を撮影したと思います。

初めてお仕事をするRIEさんと、慣れ親しんだわけではないロンドンという土地で、結構な枚数が撮れたのは彼女のパワーのおかげです。1対1の撮影だと、被写体とどう混ざり合うかが重要になってくると思います。

―― 他に印象的なお仕事はありますか?

「猿楽町で会いましょう」という映画のポスタービジュアルを担当しました。未完成映画祭という、予告編を制作してグランプリに選ばれたら本編制作の予算が出る映画祭があり、第2回未完成映画予告編大賞を獲得した作品です。

監督の児山さんとは、桑沢卒業後に携わった企画のインタビューで初めてお会いしました。その時に「僕が映画を撮るなら、草野さんにお願いしたいとずっと思っていました」と言っていただいて。私の作風も分かった上での依頼でしたので、とても楽しく撮影できました。

コロナウイルスの影響で公開延期になってしまったのですが、今年6月に上映予定です。

―― それでは最後に、草野さんのようなフォトグラファーを目指す学生の方に、伝えたいことはありますか?

桑沢でデザインの基礎を学べたのは、とても良かったです。ハンドスカルプチャーや、手書きで4cm×4cmの立方体を並べて大きな立体物に見せる課題、カラーチャートの制作など、細かい手作業が今の根底になっているんだ、と感じるタイミングも結構あるんですよ。自分の写真の並べ方だったり、絵の中の配置だったりとか。

進路に関していえば、最近は自己発信できる場も増えているので、自己プロデュース次第という気がします。興味があったら誰かのアシスタントに付いても楽しいだろうし、スタジオで基礎を学んでもいいし、無理して続ける必要はないので、現場を見てみるのがとても良いと思います。どの選択肢が合うかは、本当に人それぞれですね。

また、杉並区にあるフロットサムブックスの小林さんというオーナーに、最初の写真集から置いてくださって、良くしていただいているんですけど、学生のうちに展示や本をたくさん見ておけば良かったなと思います。

写真専門の学校だと最初から道が決まっているかもしれませんが、桑沢ではまず色々な分野に興味を持てる良さがあって、最終的にデザイナーになっても写真家になっても活きてくるはずです。

UNTITLED
EVERYTHING IS TEMPORARY
(すべてが一時的なものです)
Across The Sea(roshinbooks)
YOKOKUSANO/MOTORA SERENA

インタビュアー:はやしわかな
桑沢デザイン研究所 総合デザイン科 プロダクトデザイン専攻卒業。
<2021年03月>
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