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編集者ノート

 これは昨年3月にでた第1号につぐ第2号である。創刊の目的は大学・研究所などで定期的に刊行するところの「紀要」のようなものを、当研究所ももとうとするところにあった。われわれの専門である「デザイン」においては、それが芸術・科学・生産技術などの要素を同時に併せもちながら、日常的な世界での意味と機能に直接つながろうとするという曖昧さと歴史の浅さから、まだ「学術的」に研究することや、創造・研究の成果を「学術的」にまとめて記述することが困難であり、また慣習づけられていないなどの事情によって、当初からこの「レポーツ」の編集の方針は確然としていなかった。第2号においてはそれがいくらかでも確かな方向におもむくという姿勢が感じられなければならなかったのだが、失敗している。編集会議では、デザインにおける、またはデザイン教育における「基礎」に重点をおくのがよいという意向が強かった。編集責任者はこれを、これからの高卒入学者の体験と心理に対応した意味での、生活の種々の相における、また歴史と社会における綜合的な偏らない展望、造形的創造の感覚と自信、発想・発展の諸方法の開発、および適性と可能性の発見、ついで専門分科への導入の問題として実際的な教育プログラムの考察されることを要望した。この第2号はおそくとも昨年12月半ばに出来するという予定でそのように了承されていたのだが、原稿の寄せられるものが全然なく、止むを得ず新年に入ってから俄かに指名、催促を重ねてようやくページ数にして第1号の7割ほどの量のものがまとまった。これは衰退であり、「レポーツ」においてのみの衰退でないことは否定できないだろう。全面的にではないかもしれないが徐々にある面においてすでに存在の意味が混乱し薄弱になったのではないかと危惧される。

 1・2号ともに綿密、周到、難解な論文を発表されそのテーマと追求方法の「学術的」である点においてひとり「異彩」を放ち、当研究所研修委員会の活動に活力を賦与されていた郡山正先生は、彗星のごとくあらわれてわれわれの仲間に加われ未だ日が浅いにもかかわらず、専任教授を辞して女子美大に移られると聞いている。この突然の損失にわれわれは訝るよりも沮喪するだろう。

 この号はページ数が減り、部数もひかえたため、用紙の質と印刷を改良して写真なども鮮明にすることができた。表紙デザイン・本文の組立ては前号にならった。

 巻頭の郡山正先生、およびつぎの魚住双金先生の報告は、昨年6月研修委員会でとりきめた研究助成金の配分があって、それぞれの研究実験制作費が補助されたため義務づけられていた。
(矢野目 鋼)


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