編集者のノート
   


 研究レポートはこれで3回目、第3号をだすことになった。例によって3月の半ば、卒業式にやっとまにあう始末だが、本来ならば、 今学年度の仕事として研修的意味をもたせるためには、遅くとも昨年末にはできあがり、みんなの手にわたり、よく読まれたうえでのいろいろな反響が執筆者にかえってゆくようでなければならないと思う。人事・昇格などに関する年度末の教授会にもまにあわないようでは、せっかくの労作ももったいない。これが、2月、3月の多事多忙のうちに辛うじてひねりだされるので、かげうすく、すぐ4月の新学年がはじまって忘れられてゆく。実はこのレポートだけのことではなく、当研究所では研修委員会を設けて専任教員の研さん・共同研究の体制づけに苦慮しているが、まだその緒さえつかめない暗中模索の状態である。研究所が発足して、12年にしてこうなのだから、この間題の根は意外に広く深いかもしれない。また10年ぐらいだからこそ、こういう問題が強く意識されることになるのかもしれない。当初もちこまれたいろいろの発生的エネルギーの発動力がよくかみ合されず、多分にロスを重ねながら、一段落する時点にきたかともおもわれる。したがって、かりにそうであるとすれば、現在が、そしこれからが本格的な過渡期であって、真の過渡期とはどんなものであるかを否応なしに体験させられることになろう。筆者自身不勉強で、日本のデザイン研究者・教育者・実務家たちがなにを考え、なにをようとしているかよく知らないのだが、実際面ではいわゆる日本の驚異的な経済成長と繁栄のムードにふりまわされ、またとまどっているという一面のあることは見のがせないと思う。また高度成長とともに、単に保守というもあたらない安定政権があって、その独占的政策を実現してゆく。教育に関しても、たとえば中央教育審議会がどんな人間像を押しつけようとしているか、愛国心・大国意識・明治100年はどうか、日本国憲法・教育基本法の精神はどうなったか、教科書はどう変えられたか、普通教育と職業教育をどんなに差別しているか?他方、世界の青年期教育の動向において、科学と労働と芸術はどのように結びつけられつつあるか、などの問題について、われわれはつねによくみつめている必要がある。そしてふらふらとふりまわきれないだけの確乎とした見地にたつ思想なしに、徒らに職業教育を唱えたりすることを戒しめなければならないだろう。イギリスでもソ連でもアメリカでも真剣である。教育の目的、方法は大きく変革されつつある。最近あいついで邦訳のでたPSSC物理、BSCS生物、CBA化学などの高校教科書はすでに有名である。デザインにおいても、直接に教育のみに関してはいないが、最近めだったものに、G・ケペシュのVISION−VALUEシリーズの6冊がでて(その中の1冊はデザイン教育にあてられている)まだ統合された形でではないが、大きな視野をもって今日の造形・デザインの方法論のゆく手をうかがわせようとしている。

 今年の冬は寒気厳しく、2月10日ごろから雪が降り続き、その中で例年の卒業記念展が準備された。その展示をみて、思うにまかせなかったいろいろのことを考えるだろう。しかしわれわれは、枝葉末節にこだわらず、あれらの作品に学生代表菊川康男のいうように学生の顔をみよう。そしてそれはまた教師の顔である点をよく認識し、われわれの仕事の歴史と未来を誤りなく把握しなければならない。

矢野目 鋼