"個性"のセッションからの発言
金子 至
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 人間は工作人(HOMO FABER)といわれているように、現在までに多様な道具を造り出してきました。しかし人間は始めに道具になるものを自然の中から見出し、それが第一の道具(TOOL)となって、その道具からつぎのもの(道具)を生み、さらにつぎつぎと道具を生んでいったわけであります。それは自然の中から、その人間が何かの目的を可能にしようというところからの創意であり発見であります。いいかえれば、その人間の住む地域の自然材料からの発見であります。そして発見された自然材料によって目的を可能にしようとする時に素朴な技術がそこに生まれます。

 道具から道具への歴史は、その地域の素材の質と量によって、その土地特有の道具を生み出す"産地"となって今日各地に続いています。土という素材をとれば、わが国では17世紀初頭、磁器砿脈の発見によって始めて白磁を生み、鋳砂の産出される場所に鋳物産業を生むことになったのであります。

 ここで私は自分の専門の立場から"個性"を人間の造り出す、完成された道具の形からフィードバックして、人間の個性へと考えていきたいのです。その形から個性として残るもの、また個性以外のものを抽出してみることが、個性への手掛かりかと考えます。そこでつぎに5つの項目を形態に分けてお話を進めていきます。

 まず第一に道具そのものの働きの機能であります。飛ぶ機能に忠実な飛行機の外形線にもわずかな余裕の選択はあります。そのわずかな曲線の差の選択の自由は、選択者の最終的決断の美に対する個性によって決定されることもあります。

 第二は材料と加工技術の真実性からくる形態であります。1859年に発表されたオーストリアのトーネットの曲木いすは、現代に至っても、その材料的真実性を裏切ってはおりません。同じように木造船の曲線は、木材の組成に忠実な形態として、また水を切る流体に対する機能の合一の形態としてみられます。また工芸の多くは、素材別に分かれ、その加工技術からくる性質を、工芸家が常に繰返し鍛練することによって、真実性を確めようとしております。しかし、そのため時として技術が個性化し、道具本来の働きを忘れて、見る道具、飾る道具になってしまうことがあります。

 第三の問題は生産からの形態であります。特に工業化による大量生産に対して、省力化や企業独自の生産方式によって、時間的にもその量を確保しようと考えます。生産を中心に押出すことによって、形態は本来の道具の機能を陵駕し、使用の意味を変えさせます。単にコストを下げるだけの生産性に終ってしまう場合があります。しかしよい意味での生産性は、極力道具の形態を煮つめる方向をたどるため、形態の単純化が、少量生産では得られない特徴となってきます。

 第四は流通に対してであります。パッケージングやコンテナによる諸条件によって、本体である道具の形態に変化を与えます。家具のノックダウン・システムはそのよい例ですし、スカンジナビア・フアニチュアの一例でもいえることですが、デザインはスウェーデンで行い、東欧二国で製造され、ソ連と共通のコンテナで、ソ連を経由して日本に輸送されるため、経済的に大きな意味をもたらせているわけです。

 第五は使う側の心理的な問題であります。道具のファッション化やステータスシンボル化は、その本質は心理的な諸要素から形態に変化を与えてきます。1965年イギリスのマリー・クワント女史の発表したミニスカートは、女史がその後、自ら止めようとしても、その流れはすたらずに今日に至っています。それはすでに"流行"ということばではなく、多様化の一要素として定着した例でもあります。若者と車についても同じようなことがいえると思います。しかしこれが時代的個性といえるかどうかわかりません。

 以上5つの項目は、デザインにおける形態の質の分類でもありますが、このなかに形態上の問題からどのように個性ある形を抽出するか、または、個性以外のものをどう抽出したかということであります。しかし今日インダストリアルデザインによる製品群は、自然の育んだ素材から二次材料へと、その等質化や均質化とあいまって、科学、技術の普遍化によって、世界的に生産される道具の格差は近接していることは事実であります。だが始めに申したように、個性以前に考えられる地域差というより風土差が、同質の水を飲んだ風土的人間の資質そのものが、それぞれ大きく個性にも影響を与えていることになるのではないかと考えます。

 そこで極く荒けずりにその風土的な意味を個人的な見方としていうならば、合理的、論理的な構築による形態は、ドイツ的形態と思われますし、マッスと曲線による秀れた形はイタリア的と考えます。特徴あるオリジナルな形態、シトロエンDS-19の例はフランス以外では出来ないとさえ思うのであります。そして日本は形態より緻密な処理が目立ちます。

 そしてそれぞれの風土のなかでインダストリアルデザインによる個性は、デザイナー一個人の個性というより、その企業の方向や、技術と生産と流通の部門、企画とデザイナーの総合個性、またはチームによる個性という風にも考えられます。さらに製品の多様化が、どう使用者の個性と結びつくかが今後の焦点ともなりましょう。トヨタ自動車での一車種の例をとっても、エンジンの大きさを3種として、車形の違い、インテリアの種類、メカニズムの違い、車体色の各種に分けると一車種は約180種類を数えることとなります。しかし自転車はさらにイージーオーダーが可能であり、使用者の個性を満足させることも出来ます。

 まとまりがありませんが、インダストリアルデザインによる形態から個性に対して問題を提起した次第です。後ほど討議のところで煮つめていきたいと思います。これで私の発言を終ります。ありがとうございました。

左から金子至/亀倉雄策/スチブンス/ガーニッヒ/シーガル
左から金子至/亀倉雄策/スチブンス/ガーニッヒ/シーガル


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