ブックタイトル桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2013

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桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2013

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桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2013

図E.『言の葉の庭』図F.『永遠の僕たち』あることを、自分自身にも示そうとする。何かに所属しつつも、していないように見せるという、中途半端で不安定なバランスの中で、男子高生によるカバンの利用は、キャプテンに特別扱いがされなくなるまで、執拗に続けられることになる。『言の葉の庭』(新海誠、2013年)では、新宿御苑をモデルにした公園の中の東屋(休憩所)が、雨が降る日にそこを利用する男子高生と元教師の女性を、ひとつの季節の中で交錯させつつ、それぞれの意識を変化させる。ひそかに靴のデザイナーを志望する男子高生は、雨が降る日の午前中は東屋を訪れ、学校をサボり、そこで独りスケッチをして過ごす。同じように独りで時間を過ごし、昼間から缶ビールを飲む女性とある日、出会う。彼女はじつは男子高生が通う学校に勤める教師だったが、トラブルに巻き込まれ、職場に行くのをためらうようになっていた[図E]。それぞれが雨の日に所属先から避難し、独りで時間を過ごすために利用されていた空間は、梅雨の季節を迎えて、共に雨に濡れずに、それぞれの葛藤と向き合い、気持ちをやり過ごす空間へ変化する。さらに弁当のおかずを交換したり、靴に関する本を贈ったり、靴のモデルとして足を測らせたりすることで、二人は互いの孤独感が束の間でも和らぐ時間を手に入れる。『永遠の僕たち』(G・ヴァン・サント、2011年)では、儀式的で上演的な「ふり」や「ごっこ」に利用される路上という空間を介して、死と隣り合わせに生きてきた男女が、互いをかけがえのない存在として認め合う。自動車事故で両親を失い、自身も臨死体験をし、それ以来元日本兵の幽霊が側らに現れるようになった青年と、幼少期から癌患者として再発をくり返しながら過ごしてきた女性が、他人の葬儀にまぎれて参列する、いわば葬式ごっこの場で出会う。青年は両親の墓の前で彼女のことを今は亡き両親へ紹介するふりをしてデートの申し込みをしたり、病院の死体安置室に忍び込み、それぞれの人が死に至った理由をわざといい加減に憶測したりするなど、死にまつわるさまざまな空間のなかで、独りで抱えてきた不安や恐怖心を分かち合える相手との時間を、人生で初めて過ごす。さらに路上に二人で倒れ込みながら、まるで検証された死亡事故現場のように、チョークで互いの体の周囲に人型の輪郭を描きながら、自らの臨死体験について語り合う[図F]。そして互いに支え合いながら、それぞれにとってあまりに身近な死について、少しずつ考えを進めていこうとする。5.映画の作品世界では衣服、カバンといったファッションに関するモノや東屋、路上といったスペースに関するモノに加えて、さらにグラフィックやプロダクトに関するモノも、メディアとして利用されている。11