ブックタイトル桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2015

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桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2015

「私たちがグッド・デザインと呼ぶものは、その環境とバランスのとれた関係に立って、総合―別の言葉でいえば、統一あるいは全体―を形づくる一単位に他ならない。グッド・デザインというものが生まれにくい理由は、その創造が、デザイナーのなかに、感情と知性の高度の円熟を要求するからであり、そういう人物は、めったに見出せないからである。昔の人々は、この課題を解決するのに、数百年という時間をかけ、多くの手と心を用いた。斧の場合がそうであり、茶碗の場合もそうであった。その頃「デザイナー」は個人ではなく、試み・選び・棄てることを積み重ねてゆく、社会的な過程の全体であった。」16「Good Taste」が「Good Design」を選び、そして、「Good Design」が「Good Taste」を育てるという循環運動の成果は、勝見によると、一定の様式として人々の目の前にたちあらわれてくる。グッド・デザイン運動は「汎地球的な生活様式の創造」17というのだ。勝見の場合、様式の問題は、20世紀前半の機能主義批判、つまり、日本における無反省な近代デザイン受容への批判としばしば表裏をなしている。また、栄久庵憲司が指摘するように、勝見の言う「生活」、そして「様式」には、「『官』に対する抵抗の姿勢」が見え隠れする18。勝見が民藝運動を擁護していた理由からもわかるように、勝見はしばしば日本の工芸・デザインが輸出振興といったいわゆる上からの政策で問題化されてきたことを批判した。そこで問題となるのは、「様式」とはいかなる様式なのか、様式の内実である。勝見は、1958年に『グッド・デザイン』(図1)を出版し、自ら選んだグッド・デザインを紹介している。しかし、勝見は自身を様式の創造者とはみなしておらず、あくまで自分の選ぶグッド・デザインが「一種の触媒」となり、「読者ひとりひとりのグッド・デザインの選択に導いてゆく」のを目的としている。様式を創造するのはだれなのか。勝見が言うのは「無名のデザイナー」つまり「一般民衆」である。先に述べたように、様式の創造において真に無名の人が参加していない、様式が「一部の趣味人」のものになっているということで、同時代の民藝は非難される19。様式の現出は、いろいろな立場から選定されたグッド・デザインが「相互に批判し合い、淘汰し合って、一般民衆の生活のなかに浸み透って行き、そこから再び、地下水が湧き出るように、時代様式として盛り上がってくる」というイメージである。その様式は「平均的な生活の共通項」20として発見される。一部の趣味人のものでしかない民藝には様式、そしてそれを共有する生活がない。生活は、様式あってこその生活なのである。図1勝見勝著『グッド・デザイン』表紙30