ブックタイトル桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2015

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桑沢デザイン研究所教員研修会研究レポート2015

され、脱象徴化されたことは事実である。本来「象徴」化という行為は、公共の場における神との関係で初めて成立する神聖な共同性の行為であって、決して個人的なものではなかったのである。そしてそれは、古代以前に社寺建築が生まれる過程でも同じようなことが言えるのだ。中世の民家における柱:消えた四本柱からその復活へ(fig.8)近江湖北地方の「むなはしらや」原始住居の系譜として、自然のままの股柱を用いた民家がある。股柱は、Y字に分かれた部分に梁や桁を通すなど、構法的な原始性があるだけでなく、それが住宅の中心で心柱のような象徴的役割を果たすこともある。沖縄では、伝統的な建物にヌキヤとアナヤ(アナ(fig.9)沖縄のアナヤ断面図ブリ)(fig.9)があり、ヌキヤは通し貫を用いて軸組を固めたもので、軸組と小屋組に分かれる。アナヤはヌキヤより古く、建物の中央にY字の股柱を立て、そのY字の枝の先端に棟木を、そして股の部分に梁を架けて、それぞれを垂木で結ぶ構造である。中柱(なかばしら)構造とも言われる。ヌキヤが庶民の住宅として普及するのは19世紀末頃で、それまではアナヤが主流であった。アナヤ以外で股柱を使用した民家は、北陸地方に特有なもので、現存しているものは非常に少ない。17世紀中頃に建てられた福井県坂井郡の坪川家住宅(fig.10)や、同じ福井県内の旧瓜生家、堀口家、そして岐阜県の(fig.10)坪川家住宅57