ブックタイトル桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.44 2016

ページ
28/78

このページは 桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.44 2016 の電子ブックに掲載されている28ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.44 2016

26史研究の射程となる可能性を探っている。そのため、現在の「収納」の語られかたをふまえたうえで、時間的スパンをひきのばしてみることにより、「収納」にまつわる言説がどのような文脈から発現してきたのか、その系譜を遡行するかたちで構築していきたい。 現在筆者が確認している、「収納」にまつわる言説の系譜を簡単に述べておく。系譜の起点をどこと定めるかは検討の余地があるが、戦前にその可能性を見出せる。まずは1930 年頃より、住居における所有物の「整理」の問題が、家計管理、家庭のマネジメント、能率研究を主眼とした「生活合理化」という文脈においてあらわれた。生活合理化は、1929 年の世界恐慌以後、日本の産業界において広まった産業合理化運動の流れをくんでいる。特に、家庭生活の合理化を出版事業や展覧会の開催によって実践的に推進した、羽仁もと子を中心とする「全国友の会」や『婦人之友』(婦人之友社、1908 年創刊)の活動はおさえておくべきだろう12。 次に、戦後間もなく、当時の住宅事情を背景とした「収納」への言及がみられるようになる。「収納」の問題は、先の『婦人之友』をはじめとする婦人雑誌や、戦後創刊された『暮しの手帖』(暮しの手帖社、1948 年創刊)といった総合生活雑誌でとり上げられていた。それらの雑誌では、戦前より引き続き、「合理化」ということばとともに「収納」がとりあげられたが、戦後「収納」が問題化されたのには、戦後の住宅不足問題、そして生活様式の変化があった。特に、住宅不足解消のために建設された集合住宅における収納部分の少なさ、戦後本格的にすすんだ生活様式の洋式化が、「押入れ」という具体的な「収納」の問題を浮かび上がらせた。押入れについての記述は『暮しの手帖』にはやい例がみられる。合理化という点から畳に布団という寝具をやめることがすすめられ、それにともない、布団を収納するための押入れの存在が疑問視されている。また、家庭に種々雑多なものが混在するようになった生活に、寸法が規格化されている押入れが適合しないことが指摘されている13。同様の指摘は、1955 年に創刊されたデザイン雑誌『リビングデザイン』(美術出版社)でもみられた14。押入れの問題は、その後、布団を収納する以外の活用法とともに、雑誌、書籍で継続的にとり上げられている。 1950 年代半ば以降、高度経済成長期に突入すると、各家庭での家電や家具といった耐久消費財、その他日用品の所有数が総じて引き上げられ、住居における「収納」の問題に関心が高まることとなり、「収納」に関する単行本も出版されるようになる。住居の多種多様なものをいかに限られたスペースに「収納」するかという問題は、1970 年代に入る頃には「整理」や「計画」ということばとの組み合わせとともにみられるようになる。「収納」と「整理」や「計画」の結びつきを強めたのは、情報整理術をあつかった加藤秀俊の『整理学 ― 忙しさからの解放』(中央公論新社)が1963 年に、梅棹忠夫の『知的生産の技術』(岩波書店)が1969 年に、出版されたことが大きい。1970 年には、加藤と梅棹が共著で「整理学」から家庭生活を論じた『家事整理学のすべて』を刊行している。そこでは、「収納」は、「生活」がしたがう「システム」をなすものとして、何かを「しまう」のではなく、「とりだす」ことを前提としてとらえられることになる15。「システム」という視点があらたに住居の「収納」にむけられたことも特徴的であった。また、同じく1970 年代には、「インテリア」の一部として「収納」が語られるようになっていたことも注目すべきであろう16。 1980 年代には、消費の意味が「モノ消費」から「意味消費」へと変化してきたことがしばしば指摘されるように17、住居が「生き方の表現」18 と言われるようになるなど、「収納」が個人の「価値観」や「美意識」と結びつけて語られる例が散見されるようになる。この頃から、『ノンノ』(集英社、1971 年創刊)などのファッション誌でインテリアがテーマで