ブックタイトル桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.44 2016

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概要

桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.44 2016

3 江戸時代には、藩主の来訪も度々あり、一族の総本家として高い家格をもち、近郷では知られた豪農であったという。現存する旧奈良家住宅の建物は、江戸時代中期の宝暦年間(1751 ?1763)に9 代善政(喜兵衛)によって建てられ、この時の棟梁は土崎の間杉五郎八であった(旧奈良家住宅というように、「旧」が付くのは、現在は奈良家が存在しないことを示す)。また、建設には三年の歳月を掛け、銀70 貫を費やしたとも言われている。(両)中門造について さきほどお話しした平面(間取り)で言うと、この旧奈良家住宅は、両中門造と呼ばれる。「日本の民家 第1 巻 農家Ⅰ」(学研研究社)によると、新潟、福島、山形、秋田、岩手の一部では、主屋(と呼ばれる建物の一番大きな母体となる部分)の下手から前面に建物を突出させ、その突出部の正面に大戸口を構えて土間への通路を取るのが一般的で、入口から馬屋、便所などを配置する型が一番多いという。この突出した部分を「中門」と呼び、「前中門」、「厩中門」と呼ぶ地方もあるという。また、新潟県では、前方ではなく後方に突出させ、「後中門」「裏中門」と呼ばれるものもある(fig-4)。 「日本の民家 第2巻 農家Ⅲ」(学研研究社)によると、中門の発生は雪と深い関わりを持っているfig-4_ 様々な中門造の形(一番右が両中門造)と言われる。室内から直接外に出なくてもいいように、屋内と屋外の緩衝部分としての機能を持つが、それだけの理由ではなく、前に門的な前中門をつくることで、家の格式を表現する意図が大きかったのではないかと言われている。民家は機能的な面だけで説明されがちだが、古くから、それぞれの時代の(合理性以外の)非合理的な様々な要素こそが、家を形づくっていることは注目しなければならない。 旧奈良家住宅や秋田市内でもう一つ見学出来た嵯峨家住宅(fig-5)は、下手だけでなく、上手側も主屋から部屋(寝室)を突出させていることから、「両中門造」と呼ぶ。これは、秋田、山形の日本海側に分布する最上層農家の形式であると言われている。fig-5_ 嵯峨家住宅(秋田県秋田市)