ブックタイトル桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.45 2017

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概要

桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.45 2017

4)カンディンスキーは画家だっただけでなく、抽象的な構成劇も創作しました。その中で、カンディンスキー自身が「ロマンチック演劇」と呼んだ「バイオレット」は1927年にデッサウの劇場で上演されました。今回最後の課題として、桑沢の学生はこれまでに学んだことを生かしてこの「バイオレット」のワンシーンを再演することを求められました。学生にとってこのように別の分野に足を踏み入れることはどのくらい重要なことでしょうか?「抽象的な環境」において自分自身を感じることは非常に難しいのですが、私はこの「バイオレット」の経験が彼らに新しい抽象概念を与えたと信じています。そして彼らの創造性にも大きな影響を与えたと思います。5)前述したように、バウハウスには以前にもいらしていますね。バウハウスと桑沢デザイン研究所の関係はどのように始まったのでしょうか。私たちの学校の創設者、桑沢洋子先生はバウハウスの教育制度に深く触発されて桑沢デザイン研究所を設立されました。その結果、現在でも当校には一年間の必修基礎課程があり、これは日本の美大や専門学校としては大変珍しい制度です。1954年の設立以来、私たちの学校は常にバウハウスの教育哲学との強いつながりを維持しており、今もウォルター・グロピウス先生がKDSを訪問した際の写真を学校の建物の入口に誇らしげに掲げています。6)デッサウ、バウハウスに住むのはどんな感じでしたか?桑沢の学生は何を学んで帰りましたか?デッサウはとても遠くまた日本の文化とは大きく異なる環境なので、ほとんどの桑沢の学生は最初バウハウスを自分のいる現実の一部分ではないように考えます。しかし、バウハウスの建物の中で当時のバウハウスの学生のように授業を受けることにより、桑沢生もバウハウスを現実のものとみなしはじめます。現在と当時、日本とドイツの間に時間や距離があっても基本的な違いはあまりないのだ、ということを体感するようになります。日本人の学生は内気なことで有名ですから、実験的であったり抽象的で自由に自らを表現する課題を東京の教室で行うことは本当に難しいのです。しかし彼らの日常生活から離れヨーロッパにいることで(何名かにとっては初の海外旅行でした)、ドローイングや色や、自らの体を使って自由に気持ちを表現することが難しくなくなるようです。プログラム全体を通して学生たちは自らの手や体を沢山使って考え、デザインをしなければなりません。そしてそこではコントロールできない予想外の偶発的な結果が大いに歓迎されるのです。全ての学生がこのプログラムの数々の課題を通して、色と形の驚くべき新しい見方に出会ったに違いありません。バウハウス・オープン・スタジオ・プログラムは混みいった小さな東京の教室では体験できないような挑戦的な統合的学習経験を私たちに提供してくれました。リーフレットの文章の翻訳は以上です。1954年の設立以来、バウハウスの教育を大切にしてきた桑沢デザイン研究所の活動がバウハウスのリーフレットに掲載され、バウハウス側にも日本でバウハウスに影響を受けたデザイン教育を実践し続ける学校として桑沢の記録が残ることは大変喜ばしいことだと思います。2019年のバウハウス100周年に向け、引き続きバウハウス関連の国際交流事業に精力的に取り組んでいきたいと思います。11