ブックタイトル桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.45 2017

ページ
35/90

このページは 桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.45 2017 の電子ブックに掲載されている35ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

概要

桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.45 2017

ばを過ぎてからのことである。つまり個人の住宅が近代化の対象となり、そこでいかに生活するかが問題になって「収納」が語られはじめた。『住宅』と『婦人之友』はまさに、異なる立場からではあるが、明治以降に新しい生活と住宅のあり方を追求することを課題とした雑誌であった。大正期までといっても住宅あるいは生活に関連する資料の量は膨大であり、まだ網羅できていない資料もある。そのため本レポートは研究の経過報告というかたちにとどめるが、明治期末から大正期の間に「収納」が問題となる場ができていたことを確認し、その時「収納」の為手には誰が想定されていたのかを明らかにする。1.明治期末から大正期までの「収納」関連記事の背景―近代的「家庭」と「主婦」1908(明治41)年、羽仁もと子と羽仁吉一により『婦人之友』(婦人之友社)が創刊された。この雑誌では創刊まもなくから、住宅の「収納」に関する記事がみられる。羽仁もと子・吉一といえば、キリスト教思想を背景とした「生活即教育」をうたう自由学園(1921(大正10)年創立)の創設者として知る人も多いかもしれない。羽仁夫妻は『婦人之友』に先駆けて『家庭之友』(内外出版社、1903(明治34)年)を創刊していた。誌名の「家庭」ということばは今でこそ一般的に用いられているが、このことばが定着したのは明治20年代以降になってからと言われている。明治以後の社会構造の変化にともない、都市に住む新しい階層、つまり中流階級と呼ばれる人たちが出現した1。彼らは積極的に新しい生活様式を取り入れようとするなかで、新しい「家庭」のあり方を摸索するようになった。明治期以降の「家庭」は江戸時代までの「家」とは異なるものであり、「家の場合は戸主の支配権によって統率される共同体だったのに対し、家庭は夫が率いる核家族で、職住は分離され、消費と労働力再生産の場」2であった。しかし、明治の民法おいては、依然として戸主である夫と妻や子どもの関係は対等ではなく、前時代の家父長制が引き続き色濃く残っていた。核家族化した家庭において大きくなったのは、妻への家事の負担である。「近代的な性別役割分業が貫徹し、女性が妻として家内領域を管理していく家族こそが、家庭であった」と小山静子は『家庭の生成と女性の国民化』のなかで述べている。家内領域を管理する妻はやがて「主婦」と呼ばれるようになった。「主婦」ということばも明治20年代後半には雑誌などを通じて広がりはじめ、主婦が担う「総合的な家庭管理」は「家政」ということばとなった。同時に、家政学は、核家族の増加にともない家族・世代間で伝達し難くなった33