ブックタイトル桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.45 2017

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概要

桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.45 2017

うとしたこの博覧会では、住宅に関しては台所などの実物模型が展示された。すでに『婦人之友』を創刊していた羽仁もと子は「裁縫室」と「納戸」を出品しており、住宅における主婦の場に焦点をあてていたことがわかる。橋口のあめりか屋も「純西洋風郊外住宅」を屋外展示というかたちで出品した。また、主催者の国民新聞社は伊東忠太指導、遠藤新設計のもと実物大の「中流住宅」を展示した。家族構成を親子四人と女中一人と想定した住宅である。そこでは、起居様式については座床式がもはや不便であること、主人本位から家族本位に生活思想をあらためることといった、「新しい生活の場」16となる住宅の指針が示されていた。2-2.「住宅改良」という視点からの「収納」在来住宅批判のなかで住宅を改良するという視点があったことはすでに述べた。その視点は、大正期に入り、展覧会の開催、団体の結成、雑誌の刊行といったかたちでの動きとなってくる。あめりか屋の事業が軌道に乗りはじめると、橋口は「住宅改良会」を設立した。その設立には、三角錫子との出会いが大きく影響していた。三角は、家事労働の研究、女子教育に尽力した人物である。三角の家事労働の研究において重要だったのは「動作経済」という考え方であり、「最小の力で最大の効果を得る」17、能率の追求であった。三角が家事労働に能率という考え方を持ち込んだ背景には、明治期末に日本で「科学的管理法」(テーラー・システム)が紹介されていたことがある18。三角は日本の在来住宅では能率の追求が困難であることを指摘し、生活を変えるための住宅改良の必要を主張した。橋口は三角の考えに賛同し、住宅改良会の設立趣意書に「家事経済の基礎を確定するには、住宅の建築を改良するより急なるはなし」19と記した。住宅改良会の改良とは何であったのか。それは、不経済、非能率の悪因である和洋混在の「二重生活」20の廃止であった。「洋式を採用することが最も合理的」であり「合理的住宅こそ即ち改良、改善されたる理想的住宅」21とされ、都市の新中間層の住宅を洋式の椅子座式に統一していくことがねらわれた。二重生活の廃止というテーマは、その後の「生活改善同盟会」(1920(大正9)年設立)などの生活改善運動でも展開されることになる。住宅改良会は、1916(大正5)年に機関紙『住宅』を創刊している。日本で初めての本格的な住宅専門誌であった。そこで現在の「収納」に通じる記事が散見される。それらは『住宅』全号を通じてわずかな割合で掲載されていたにすぎないが、当時の住宅における「収納」への問題意識をみて取れる内容である。ここでは大正期の『住宅』における記事を簡単にみておきたい。創刊号での三角の記事では「経済」という文脈の中で、地代の節約のために「押入の中も台所の隅も出来得る限りの空間を利用」22ということが述べられている。また、台所の広さが狭い方が能率が上がるということで、収納場所が動作経済の妨げにならないよう配されることが注意されている。1920(大正9)年1月号でも「空間」の利用ということは触れられている。そこではさらに、「一つの器具に一つの場所を與え」ることで「一と目ですぐ解かるように」することというように、収納の仕方にも言及されている。一方で、居間の押入れをつぶし、「単純に生活に必要なもの丈け」を別の「空間」を利用した小さな収納場所に入れておくことを提案している。それは、居間に主婦の書斎を兼ねさせ主婦の居場所を確保するためであった。収納の仕方にも配慮するが、あくまで主婦の働きを妨げないように収納36