ブックタイトル桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.45 2017

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概要

桑沢デザイン研究所 教員研修会 研究レポート No.45 2017

と先に述べたが、収納の為手には読者層であった主婦だけが想定されていたわけではないということは本節で確認したとおりである。『婦人之友』における住宅関連記事は、同じ大正期といっても、関東大震災が起きた1923(大正12)年の前後では少し内容が変化する。それは『婦人之友』に限ったことではなく他の婦人雑誌でもみられた変化であった。小関孝子はその変化について「大火に襲われた東京では、持ち物全てを消失した罹災者が多くあり、震災後の婦人雑誌の論調は、物をたくさん持つ暮らし方を見直すという主張に変化した。」39と説明している。『婦人之友』では、その後「持ちものの少い競争」40という企画が組まれるなど、生活を簡素化する指向が強くなっていき、収納されるものの数を減らすということにより注意が払われていく。ヨーロッパにおける近代デザイン運動の洗礼を受けた人々が、同時代のヨーロッパの住宅や家具、日用品を合理化の実例として『住宅』や『婦人之友』で紹介する機会が増えていく。『住宅』では川喜田?七郎、桑沢千代(のちの桑沢洋子)などが記事を執筆することになり、『婦人之友』には型而工房を主催した藏田周忠や山脇巌などが寄稿していくことになったのは知られるところであろう。型而工房は『婦人之友』に広告を掲載し家具の販売を行ってもいた。その後日本は1937(昭和12)年の日中戦争の勃発、1938(昭和13)年の国家総動員法の公布を経て本格的に戦時体制下に入っていく。戦時体制下においては、「生活」の問題がそれまでとはまったく異なる様相を帯びていくことになり、「収納」の語られ方もまた変容していく。来年度は第二次世界大戦終戦までを目処に資料の収集・調査を行いたい。4.おわりに―今後の課題本レポートでは、明治期末から1920年代までにおいて「収納」がどのように語られたのか、その文脈と内容をみた。今年度は『住宅』と『婦人之友』を中心に資料を収集したが、「はじめに」でも述べたように、まだ網羅できていない文献もある。例えば、家政学、家庭科教育関連の文献や、明治期の住宅関連の一次資料の調査にまだ不足がある。そのため、来年度はまず、今年度の研究の不足を補うかたちで作業を進める。その作業と同時に、1930年代以降の「収納」にまつわる言説の集積にも着手する。『婦人之友』は、1930年代以降、生活の簡素化という理念を土台にしながら、「生活の合理化」を課題としていく。そのなかで「収納」にまつわる事柄・行為が合理化のための要件となっていくことになる。また、40