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イメージ概念について
林 進  


 最近、芸術やデザインの分野だけでなく、マス・コミやマーケッティングの分野などでも、イメージ(image)ということばが盛んに使用されている。しかし、一般にはイメージということばは明確な意味規定なしに、きわめて多義的に使用されている。現代はイメージの時代といわれるが、イメージということばもまさにイメージ的に使われ、氾濫しているといえよう。

 心理学では、イメージを「刺激がない時に中枢的に起る感覚的印象(1)」と定義している。イメージは感覚的刺激によって生ずる神経興奮過程と同じような過程であるから、すべて感覚的性質をもっている。だからイメージを視覚的、聴覚的、触覚的、運動感覚的などの感覚の種類によって分数することができる。人間は視覚系が発達しているから、イメージも一般的には触覚的イメージを中心としているが、対象によってイメージの感覚的性質が異なるし、人によっては視覚以外の感覚のイメージが強いこともある。視覚的記号を視覚によって受容するビジュアル・コミ.ニケーションの発達によって、イメージをとりわけ視覚的なものとして理解する傾向が生じているが、これはまちがっている。視覚的記号によって表現されるイメージは視覚的イメージに限られないし、視覚を受容器官とするコミニュケーションが受け手に視覚的イメージだけを伝達するとはいえない。たとえば、テクスチャ(texture)といわれているのは触覚的イメージの視覚的表現であり、それは受け手に触覚的イメージを喚起する。また、視覚的イメージも視覚的に表現されるとは限らないのであって、よく知られているようにベートーヴェンの田園交響楽は田園の視覚的イメージの聴覚的表現でもある。イメージということばを使う時には、まず、イメージの感覚的性質とイメージを表現する記号の感覚的性質とを区別しなければならない。サルトルは、この区別をイメージとイメージの類同代理物(analogon)の峻別として述べている(2)。イメージは意識の形態であり、その事物化はイメージではない。記号として知覚の対象となる事物化されたイメージは、イメージの類同代理物にすぎない。イメージは知覚と異なり、想像力によって非現実の世界を志向する意識であるとしている。現在、イメージということばの意味の重要な混乱は、記号として事物化きれたイメージを意識であるイメージと区別することなく、同じくイメージと呼ぶことにある。とくに、写真、映画、テレビの記号としての映像がイメージと呼ばれることが多いが、イメージと映像を混同してはならない。なぜなら、この混同によって、イメージが人間のアクティブな思考作用である想像力の所産であることが見失われ、映像コミュニケーションの受け手が受動的にイメージを受容していると見なされる危険があるからである。


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