日本の縞文様
近藤 英
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能衣裳における縞文様

 15世紀始めから前半にかけて、茶の湯と共に武家社会の教養・嗜の場として時の権力者であったところの将軍・大名の裕かな支持をうけて発展して来た能楽の衣裳は日本の染織技術の最高峰を示すものであり、幽玄な能の舞台に果す衣裳の演出効果は大きかった。

 これは実用の衣裳ではなく、あくまで鑑賞を目的とする舞台効果を考慮されたものでありながら、外面的な華やかさに陥ることなく抑制された鮮やかな発色は、意匠の大胆・自由・豁達さと共に桃山期を背景にクリエティブな美を表現している。これらの衣裳は彫刻的といわれる能の「型」をかたち創り、演技における最少の動きによって無限の空間を観客に感知させるためにも、素材のボリューム感が重要な要素となってくる。唐織・厚板・縫箔などに見られる重厚・華麗な能衣裳が、それぞれの時代の最高の素材・技術を包含して、江戸幕府のたびたびの奢侈禁止令にもかかわらず特別の庇護をうけ、近世日本の染織工芸の粋を集めて創られている。

 これら能楽の衣裳は、能の象徴性の中に現実には存在しない大胆な意匠感覚を文様自体に凝縮している。自然界にモチーフを求め金糸・銀糸・箔・縫いで表現された絢爛豪華な自由構成の文様に対して、格子厚板・段厚板・縞熨斗目[しまのしめ]などの縞文様が文様意匠の一方の極として、現代感覚に通じる新鮮さで果すべき役柄に応じ艶麗・端麗・酒脱と多様な表現を見せている。縞熨斗目[しまのしめ]は裃の下に着用される小袖で、無地の紋付の胸の下あたりから腰にかけて緯縞[よこじま]の文様を置いたものである。段厚板・格子厚板は能の男役の着附に用いるものであり、この格子文様には文様構成の色調と共に織技の変化で瀟洒な表現を見せている。段は巾広の緯縞であって、格子と無地の段・格子と亀甲・花文の組合せの格調高い段形式が創られている。小巾で直線裁断する小袖の服装構造では段を併行させ、または互の目に形造ることによって、ダイナミックな文様効果をあげている。

 能装束における縞文様は日本の縞文様に多い民芸的なものに対し、数少い上手物の一つに位するものであろう。

 重厚華麗な技巧美の極致をゆく能装束に対応して、庶民にテーマを求め野趣性の中に瀟酒・素朴を表現する狂言の衣裳には格子と共に経縞[たてじま]の文様が多い。武家の服装形式をそのままに踏襲している能装束に見られるように、上層のものの装束には格子・緯縞[よこじま]が多く経縞は能の役者としては比較的身分の低い庶民および僧形役の着用する水衣[みずごろも]などに使われていることから、古くから用いられている縞文様が近世に入って一つの型を造り出しているように考えられる。よこ・たて・格子の文様の中では、よこ・格子の文様が比較的古くから用いられて来たが、経縞[たてじま]の文様は庶民を対象として発展していったように考えられる。

段厚板   大格子に亀甲文様厚板
段厚板   大格子に亀甲文様厚板


庶民の縞文様

農民の縞

 織機から自然発生するところの素朴な縞文様は、中世末から近世にかけて渡来した多彩な第2次外来染織品の明の間道、南方諸地域の島ものに影響をうけ、それらを日本の風土の中で淳化させ、日本の縞文様を生活の中で創り上げていったのは、近世庶民自身の手であった。庶民の中に縞文様が定着していった原因の一つと考えられるものに染織素材としての木綿の登場があげられる。桃山期末から徳川初期の半世紀にかけて木綿が栽培される約千年もの間「貴人の絹・庶民の麻」として、当時85パーセントを占める農民のほとんどは衣料として大半は麻を用い、その他労働着として苧麻・藤・紙・かやなどの繊維が用いられ、防寒にはそれらを刺子としてわずかに寒さをしのいでいた。山繭・獣皮・絹の類は租税の対象として「農民着用を禁ず」と江戸期の禁命にあるように、日本の染織文化を誇る金襴・銀襴・綾・綿・緞子・唐織などの織物や纐纈・爽纈・蝋纈・辻ケ花などの模様染も仏教・朝廷の儀式にまた貴族・朝廷官吏武家などの権力者たちのものであり、7世紀の冠位12階に始まる染色の身分制・平安期(794〜1184)延喜式弾正台による衣服の色と織物に対しての専制・そして幕府の身分制によって衣食住の干渉をうけ、優れた染織品の制作には従事し得ても、それらの美しいものはいうまでもなく、軽くあたたかい絹をも身につけることは自由でなかったように考えられる。

 紡糸・染色工程においても、麻より容易な木綿の登場は庶民の衣生活に根本からの改革をもたらした。木綿の栽培が可能になり、需要が増加するにしたがって米作地帯にも木綿の栽培が拡張し白木綿と共に縞木綿が本来の農民の自給自足の生活を支える手工芸から天明年間には流通商品即ち換金商品として、順次衣生活の向上にともなう縞木綿の需要の増加によって幕末には専業的に生産するマニファクチュアも行なわれている。

 自給製品として出発した縞木綿は農家の女性の手によって生産が奨励され、農家では縞帳または縞手本と呼ばれる縞文様のサンプルが大切に保存され、これらの縞文様は主婦の腕の見せ所として素朴ではあるが美しい縞文様を作り出している。これらは細い格子または唐機風の経縞など決して華やかなものではないが、植物染の深い色調と手紡ぎの布の風合は見倦きぬよさを持っており、織の縞見本には柄・配色共に今日的感覚にマッチする優れたものが多い。商家の小僧の着る紺無地の木綿のきものを盲縞というように縞文様ときものとは密接な関係を結ぶまでになっていた。

  障子格子の文様  
  障子格子の文様  


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