写真教育の一つの方向
平野 久
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 このようにして、1963年、大学で写真を教える教師の有志のよびかけで、写真教育協会が設立され、写真教育上のあらゆる問題に関する情報の交換や、会議開催の斡旋機関としての活動をはじめた。協会のプログラムは、次のように要約される主張に基き、長期の展望に立って、進行しつつあることが伺える。

 写真は何よりもまず、1人の個の表現手段であるべきで、ジャーナリズム、広告、PRなど、コミュニケーションの手段としていかに有力であっても、写真自体の成り立ちにとっては二義的な問題でしかない。

 協会の世話役であり、イーストマン写真博物館の副主事でもあるネイザン・ライアンズによって編まれ、昨年出版された文献学的教科書 “Photographers on Photography(写真についての写真家の主張)” も、この線にそったカリキュラムの確立のための、一つの具体的な指標と理解すべきものであろう。19世紀中葉以後、絵画的写真の唱導者として活躍したロビンソンに始り、現代に至る23人の写真家の39篇の主張が、発表当時の全文で収録されている。その特色は、収録の論文に時代の流れを読みとらせようとするよりは、むしろ写真を写真独自の表現に高めるために尽力した作家たちの、それぞれ個性に富んだ考え方を学生自からに検討させ、1人の個の表現への学生各々の模索の道程に、一つの指針を与えることにあると考えられる。(編者と、この協会の主張に由来し、人選に若干の偏よりは感じられるが、類書もなく、写真専攻の3年生には、解説を加えずにぜひ読んでもらいたいと思い、そのための準備をしている)

 現在125名の会員を擁するに至った写真教育協会の、創立会員数人の中で、特に注目されるのはイリノイ工科大学のアーロン・シスキンド、マサチューセッツ工科大学のマイナー・ホワイトの2人の教師兼作家であろう。

 組織的な写真の教育問題検討の機運が熟しつつあることを、最初にわが国にもたらしたのは、1965年11月号の“カメラ”誌であったろう。学生の作品11点とともに、彼らの指導者、アイオワ大学のデザイン・写真の主任教授(この人も熱心な創立会員の一人である) ジョン・H・シュルツが、控え目な言葉ながら、従来の教育における、写真独自の美学の欠除を反省していた。

 しかしながら、マイナー・ホワイトが中心人物となると、その主張するところは極めて旗色鮮明であり、事情は多少かわってくるの ではなかろうか。マイナー・ホワイトは、スティーグリッツの精神の真正な後継者を自負する、教祖的熱弁者であり、外部世界を借りて自巳の内部世界の表現、深化を説いて止まない。

 写真の美学を確立することは、画家、建築家、彫刻家、科学者に対して新しい座標系を提供することになり、それらの人びとが自己の選んだ手段を、別の観点から確認する手だてとなると同時に、写真への敬意をかちうることになるとも主張する。

 さらに加えて、写真は巳を知り、内部世界の不安定さを知り、他を富ますという意味において、科学・宗教・芸術の創造的な合体へ至る道だとも説くのである。

 根強いフォトジャーナリスト派の伝統、狭義の記録一社会学的性向をおびるドキュメンタリー写真などの大勢を向うにまわし、教育の場では、これらの人びと―アメリカでは一般にクリエイティブ・フォトグラファーと総称される、むしろスタティックな、否定的立ち場からみれば“象牙の塔のなかの写真家”が主導権をもちつつあるのか、表面的には理解しがたい点もあろうかと思われる。

 モホリ・ナギの精神を継承し、精力的に視覚伝達理論を展開しつつある、ジョージ・ケペッシュの“ヴィジョン+ヴァリュー”叢書を、写真家と写真の教師たらんとするものの必読の書と推しながらも、シリーズ中の一冊、“ヴィジョンの教育”にスチール写真の加えられていないことにマイナー・ホワイトは大いに不満の意をあらわし、具体的な提案を行なっている。

 “ヴィジョンの教育”中の諸論文から、マイナー・ホワイトの極力推す、普通教育における視聴覚教育の有効性、よく知っているはずだったものを不思議に思わせ、古くからある問題に新しい解答をみつけださせる類推法などを、マイナー・ホワイト自身の提案と、教室で実際に実施、比較検討することが、勢い今後の私に課せられた課題となるであろう。


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