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世界の偉大な写真家たち
矢野目 鋼  


写真展「世界の偉大な写真家たち」
ジョージ・イーストマン・ハウス・コレクション
昭和43年9月7日〜9月18日/東京渋谷・西武百貨店 

 もうだれも写真に驚きはしない。しかし機械的にうつしとられる画像には驚いてしかるべき理由があるらしいのだが、写真の非常な早熟性と増殖力のゆえに、初期の無邪気でありえた期間は短く、そのご現在にいたるまで多くの写真師は過剰な自意識を免れなかった。それは主として絵のような写真ではいけないだろうということである。
 しかし実はいまや逆に絵には驚かされる、絵には気を許せない時代となった。James Rosenquistの広告写真のような絵、Andy Warholによるケネディ家の嫁の一人ジャッキーちゃんの顔写真を四列四段にはめこんだ絵など。これらに較べれば写真は絵に対してさして侵略的攻撃的ではなかったといってよいだろう。ボードレルは「もっとも致死的な芸術の敵」があらわれたといったが、そのごの経過からも明らかなように、絵画芸術は写真によって害されるよりも、利益することの方が大きかった。このたびの展示にはでなかったが、同じコレクションに1863年フランスの写真師Etienne Carjatによるボードレルの肖像があり、それをみると華美(かどうか黒白写真からは分らないが)ネクタイをつけた彼が遺恨にみちた眼をもってこちらをにらんでいる。これは肖像写真の名作であるので知る人も多い。

 George Eastman House Collectionとはジョージ・イーストマン・ハウスの所蔵する写真史始って以来の写真50000点と映画3000点、それらに関する器機、書籍、文書を含む世界屈指の収集であり、ジョージ・イーストマン・ハウスとはイーストマン.コダック社の創設者であり会長であったジョージ・イーストマン氏を記念してその名とした写真博物館である。コダック社史によると彼は財産のすべてを合衆国ロチェスタ市のロチェスタ大学に遺贈した。そして邸宅は1947年州の理事会により公認され財政的にも支持される博物館の建物となり、1949年より一般に公開された。種々の写真展を企画し、とくに国内巡回の展覧会の編成に力を入れているといわれる。今般わが国にもたらされたのは初めての海外巡回であり、300点の白黒写真が陳列された。それらはすべてオリジナルの印画であって、従ってサイズは17インチから4インチくらいににわたっていた。内容は………

写真史の初期19世紀後半の24名の写真家による数点づつの作品
45点
Eugene Atget (1857 〜 1927 ) の作品 55点
Edward Weston (1886 〜 1958 ) の作品 50点
Wynn Bullock (1902 〜    ) の作品 25点
Aaron Siskind (1903 〜    ) の作品 25点
Harry Callahan (1912 〜    ) の作品 25点
Eugene Smith (1918 〜    ) の作品 25点
Robert Frank (1924 〜    ) の作品 25点
Bruce Davidson (1933 〜    ) の作品 25点

 以上の目録をみて分るようにこの写真展は世界の写真史を概観させるものではないし、「偉大な」写真家を網羅したわけでもないので、結局それと思いあたる顕著を主題はなかったといえる。もし、後世の作家にとって容易には凌駕しがたい表現に到達しているところの初期の名作だけに限って編成しても、それが300点もあればたいへん衝撃的だったろう。この写真展の興味の焦点は、一つにはオリジナルの印画そのものをみせたことにある。このようを機会はこんごも稀であろう。  

 しかし写真においては「ナマ」と「再生」「レコード」「複製」などとのちがいは音楽や油絵におけるほど重大ではない(このことが写真の著作権問題を重大ならしめている一要素になるがここではその面は扱わない。)印刷の写真でもそこに適切な印刷技術が充分に施されれば、オリジナルにあらわれたものの重要な性質を歪曲しないでよく再現することが可能である。これは多分写真画像を形成する銀粒子ののっている平滑を印画面は、マティエール・フリーであって、アート紙上の画像の組成と酷似しているからであろう。だからナマ写真の感激をいう人はたいていなんらかの暗示にかけられているので、ナマの愉悦は些細微妙を点にしかなく、それはあまりに専門的を技倆などの問題にかかわりすぎると思われる。しかし私は出版物ではあまりみない種類の、展示番号1番エドワル・バルデュによる1860年頃ルーブル美術館正面の写真や、T・H・オサリヴァンによる1873年、キャニョン・ド・シェルの精妙微細を極めた描出には賛嘆せざるをえなかった。またユジュヌ・アジェの写真では、画中の時計文字盤上にほとんど消えかかっている長針の影から露光時間を推量したり、彼がシャッタしたときパリの街路を吹きぬけた風を感じたり、愉みの大きかったことには感謝している。


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