研究体制の改革
矢野目 鋼
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<工学部の問題点>

 以下は雑誌「自然」(1969〜4)より得た資料によっている。
 工学部の教育は急速に困難の度を増しつつある。それがここ数年のあいだに深刻化した理由は第一に学生数の急激な増加という点にある。昭和32年度から実施された「科学技術者養成のための理工系学生増募計画」による8,000の定員増、ついで昭和35年「国民所得倍増計画」とともに、科学技術会議からでた「10年後を目標とする科学技術振興の総合基本方策」が実施され、昭和45年までに17万人の科学技術者という目標のもとに工科だけで毎年2万人の増加、昭和32年からの10年間に工学部学生数は3倍にもなり42年には20万人を越えた。これと並行して大学院生の急増計画もすすめられ、昭和36年に工科系修士課程学生1,396、博士課程458であったものが5年間に修士は約6倍の7,479、博士1,593と増加し、あたかも工学部教育が6年制に移行しつつあるかの感がある。そして大学院の教育は院生の増加によって今や学部と同様のマスプロ方式となってきている。これは即ち学部教育がよりいっそう困難になることを意味し、周知のように現在の学部卒論研究ははなはだしく密度の薄いものになっている。政府は、必要な教育内容充実の計画もないままで学生・院生を計画的に急増させたそれに対して数量的に、施設・設備・教員・職員の拡充はひどく不充分であり、公正さを欠いている。国立大学の総予算の20%は東大・京大に、20%をそのたの5旧帝国大学に、残り60%を68大学に分配している。さらに全学生の7割をかかえる私立大学は、国立の2,500億円に対して、270億円の国家貸付金と75億円の補助金のみであり、公立では補助金はわずか1億400万円にすぎない。学生数では、旧帝大:国公立新制大:私大の比は1:2:6であるのに対して、教授数の比は、1:0.9:1.1である。旧帝大でさえ教員は少いのに他はもっと恐るべき状態である。これに加えて政府は大学院大学を大学から分離させるをどの格差拡大の方針を明らかにしている。

 つぎに教育の内容に関する面をみよう。そこには工学の考え方と理学の考え方の対立がある。技術者側からは、科学はそれがいかに精緻なものであっても理論だけでは工学技術の直接の基礎としては役に立たたないといい、科学者側からは、技術は科学の応用である、技術者は経験的伝統的工学に固執していて新しいものを生みだすことができないという。それら両様の考え方からでてくる「工学の基礎」を大きく類別整理すると次の8点になる。@数学教育の強化、A理学(自然科学)の強化、B基礎工学または技術科学またはエンジニアリング・サイエンス(ES)の強化、C数・理学にもとずき技術上の問題を原理的に解決する教育、D要求に応じて製品を設計する能力、E実際に製品化する能力、F科学・技術と社会との関連をみきわめる能力、G以上の手段として一方通行的講義に終らず、演習、ゼミナール、実験、実習を行い、とくに自発的にテーマをもちこれを解決する研究的学習を重んずる。−科学と技術の関係について銭学森は次のようにいう、創造的を技術者を養成するには、科学と工学の混合教育ではなく、科学と工学技術との化合によって生れた新しい部門の知識、そこでは工学自体が科学研究の対象となり技術の科学的体系のつくられる「技術科学」の教育が必要である。技術科学は生産過程の経験のなかから実際の問題をみつけだし、科学の分析と精錬をへて工学技術の理論をつくりだすものといってよい。つまり工学教育は工学の基礎として技術科学を核とするカリキュラムを組むべき時代に来ていると。一最近MIT大学院に留学した人の話によると、MITでは、現代の複雑化し発展の急な科学技術の知識のすべてを教えることは無理であるうえ、最新知識もすぐ古くなるため、そのような具体的専門知識を学校で教えることはやめて、各会社で必要に応じて与えてもらう、学校ではむしろそれらの基礎とをる学問を教えようとしている。米国工業教育協会のレポートによると、ESは、基礎科学(数学、物理、化学、地学、生物学、細菌学そのた自然科学の広汎を領域を含む)にその根底をおき、それらの基本的法則および通有の原則に基いた論理的思考をもって工学的を解析、設計、綜合に関する基本的な問題を全廃し説明しようとする。カリフォルニア大学ロスアンゼルス工学部では学科を解決し、全学生に統合ESカリキュラムを与えた。それは次の三つの根幹からなる。@設計(工学組織または資源を最適条件で望みどおりの目的物に転化させる生産手段を発展させるため、操りかえし行う決定をさす)、A人文・社会科学、B自然科学と数学。

 早稲田大学理工学部の場合は、「基礎教育には専門教育の準備という面もあるが、学問が進歩するにつれて、それまでばらばらであった専門領域のあいだに密接な繋りができることは珍しくなくなった。基礎教育の重大な役目は、各領域のあいだに新しく確定された共通の基盤の上に立って、絶えず各学科再編成に寄与することにある。」といわれ、また電気工学科における改革については、学問分野の再編成に対処するためと、大巾な学生増加を考えて、@ESと基礎理論の拡充、A教育助手(TA)制度の採用、B教育の機械化、C小グループのコース別教育の併用などを採用したという。大阪大学基礎工学部の理念は、理・工の区別なく新しい技術の開発に従事し推進してゆける人材をつくりだそうとするものとされている。それは例えば生物工学では、制御などでプロセスをどう作るかというようなことより理論を重視する。実際にすぐに工学に役立つとは思っていない。生物は、体内で巧妙な情報処理・制御の機構をもって生存に必要な機能を営んでいる。生物を大きを制御システムとみて、工学的にみていこうとしている。原理の発見から応用まで見きわめる人を作りたい。しかし本当の意味の基礎工学、工学と理学との融合によってできる科学を教えることのできる人は日本にはまだほとんどなく、現在は理・工の協力により次の世代に基礎工学なる新領域を専門的に教育できる能力ある人を養成しつつあるといったところだろう。

 以上のようを進んだ教育構想も、さきにのべた学生増加とそれにかかわる悪条件のもとに、教員たちの大きな犠牲によってになわれているところに問題がある。早大のTAのようを補佐員制度も、一大学院をもつところは院生をもってそれにあてることが多い。専任のTAをおこうにも、このよう将来性の乏しい地位によい人材を得ることは困難である。現に実験・演習を担当する助手は教育業務に追われ、自分の研究時間はもてず、教員としては無権利で昇進もあまり望めない。電子顕微鏡操作そのた専門家として存在する技官においても事情は同様である。昨今の大学紛争にもみられるようにもっとも闘争的を先鋒に自主的を権利を主張する助手、院生があるのは当然なのである。

 「科学技術基本法」は次のようを方針を示している。技術は国家社会の要請にこたえるべきであり、政府が選定する「基本計画」のなかの「計画研究」は国家社会から強い要請があり、政府が計画に基づいて促進する必要のあるものであり、これらの施策は学術会議のように選挙によって選ばれた機関で民主的に討議されたものには基づかず、政府内に1959年につくられた科学技術会議を中心に莫大な財政的裏づけをもって国家統制の下に進める。具体例はさきに「ビッグ・サイエンス」でふれた原子力、宇宙、海洋開発の三大プロジェクトにあらわされている。

 以上医学部の問題から新しい大学をめざす動向をたどってきたが、それらのほとんどがまだ構想の域にあり、本格的になるのはこれからである。根源的を要請にこたえようとする改革への模索に抵抗する反動的を陣営は隠然たる勢力を保ち、ノンポリ的安逸をよろこぶ階層も厚いとき、混迷はなお永く続くであろう。省りみるまでもなくわがデザイン研究所もデザインという実践的分野における組織的専門知識と技術の教育と研究の場である限りは同じ種類の要請にさらされているわけであり、頽廃と改革の渦に無縁でははないことをおもい、つねに惰性的を自己合理化をいましめなければならないだろう。

矢野目 鋼


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