視覚構造の基礎概念について
下村 千早
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 最後に問題になる構造を一これは私の仮説であるが一「造形的構造」と呼ぶことにしよう。その概念の記述のみによってする定義はむつかしい。何故なら、記号媒体の性質上造形的=空間の言語は、それをまったく同様に文字言語へ変換することは本来不可能であるからである。ここでは、以下に述べる二人の作家の作品(読者が見てくださることを仮定して)の比較による性質の抽出によってこの論を進めてゆく。

 作品の一つは、スイスの画家、デザイナーであり「Kalte kunst?」「Designing programmes」の著者でもあるKarl Gerstner(1930-)の実験作「structure and transposition」である。もう一つの作品は、やはりスイスの建築家、彫刻家、画家、工業デザイナー、教育者、著作家等、総合造形家MaxBillの1955年からの連作「1black to 8White」「Four complementary color groups」……等である。マックス・ビルは、その生涯の初期は数的構造について、中期は現代の造形法の一つの集約である「The mathematical approach in contemporary art」1949が象徴する数的構造と心理的構造の論理的併用について、最近は前述の作品に試みられている造形的構造にという徹底した「構造」的作家である。この二つの作品は、共にその造形的基礎形態として格子(正方形の連続形態=碁盤状)を使用している。格子は、ゲルストナーによって数的構造として使用され、マックス・ビルによって造形的構造として使用されている。格子は両作ともに視覚現象を構成する要素(正方形)の相互関係=構造を規定している一つの様相として捉えられている。一見するだけでは単純と思われる格子であるが、それを構造という観点から分析するなら多くの種類の構造をその内に含めることが可能であることを知ることができる。したがってまた格子の構造の多様性は、要素の相互関係を規定する要素の置換結合の方法、これは構造の機能的側面であるが、一の多様性が含まれているといえる。格子にどのような関係が含まれているか、格子の造形における本質的関係は何か、換言すれば造形の真の存在性に係わるものは何であるかが基点となり、格子の構造的多様式を解釈する洞察の深さをもたらす。そしてその置換結合の方法の規定こそが、この規定に格子の性質に対する空間の存在のありかたの考察が物語られているのであるが、格子を数的構造と見なすか、造形的構造と解するかの分岐点である。そういう考察にしたがうなら、明らかにゲルストナーが示す格子に対する置換結合の規定は、数的連続性一或るものの後者―という概念にその基礎を有している。或るものの後者とは、或るものに対する他者の変位を規定している。他者は、或るものと前者と後者という方向性をもつ連関関係で結ばれ、前者の前者とは直接的連関性をもたない。したがって、その連続性は格子の要素の相互関係に方向性を規定するものであり、その機能する力を方向によって異ったものとして考察することに導く。それによって要素相互の四方への連続関係は分断される。要素の配置図形=構造は数的連続性に一対一応している。それに対してマックス・ビルは、格子を二つの異った集合の統合、すなわち下位集合と上位集合が組合さった複合集合とみている。下位集合は碁盤状の構造そのもので、要素は相互に等質で全方向に関係を有している。すなわちどの部分も置換可能である。それによって集合の要素は相互に或る連続性=空間的性質としての、を顕示する。上位集合はそれ自身さらに四つの同型なる集合の複合集合である。上位集合の部分集合の構造は、下位集合の構造と同型である。部分集合相互の関係は循環的浸透関係を示している。上位集合と下位集合との総合の方法、対応の規定が、すなわち構造が造形的性質のみにみられる連続性、位置関係を基礎としている。上位集合と下位集合、部分集合と上位集合下位集合がすべて全体集合と同型的に対応している。空間という限定がありながら全体集合とその部分集合が同型である。そこに数的連続性への変位を見ることはできない。視覚現象は、最も深い洞察によって造形的様相を現わす。そのような造形的構造にしたがって作品を具体化させることは、非常に困難である。ほとんど他の要因をもたない造形要素の選択と、ほとんど他の要因を有しない造形組織の探究と決定が必要であり、それには最も造形的に純粋であることを要求される。それに比較するとき、われわれは混合物としての、不純物としての視覚現象に取り囲まれている。造形的構造の形成、それは造形にとって空間の存在性とは何かを知る者のみに可能なのです。それは視覚的純化、すなわち理性の目の活動と直観のみによってできるのであるが、のことなのです。われわれは、そこにまったく新しい造形の世界を知ることができるのです。

視覚構造の内的分析

 視覚現象における構造の意味、構造の様相などを考察してきたが、それらをよく分析してみるなら、構造なる思考を可能にする基本概念として次の二つの問題「記号法」と「対象の究極化」があることに気づくであろう。前者は後者によってその機能をより正確に働かせることができ、後者は前者の考察の必然的帰結であるという相互関係をもっている。

 「記号法」とは、ライプニッツの章で結合法として述べられた理念がその基本となっている。記号法とは、現象の集合の要素を記号化し、その記号の演算規則を設定し、それによって思惟を導こうとするものです。記号法はまず、複合的現象を単純な現象に還元することを要求する。そしてそれから現象を単純現象の結合置換によって成り立つと解する。すなわち、もし単純現象が規定され、それらの結合の様式が示されるなら、すべての現象は単純現象の結合によって説明されることになる。そして結合の様式には、あらゆる現象の理解にとって普遍的形式である数論的な結合法を一般的にもちいる。単純現象、それは記号化すれば要素=記号であるが、は一定の記号によって表わされ、要素の組合せあるいは変換を記号の組合せあるいは変換は翻訳するのである。その結果記号の取扱いは全く一般的、形式的に行なわれることになる。要素の記号化によってその結合は、自由に操作可能な抽象的形式がもつ関係にしたがって行なわれる。そのような記号化と記号の形式的組合せ、変換によって、まったく新しい現象の発見と探究を可能にすることになる。記号法による新しい現象の発見と探究、思惟の論理的展開という、まさにその点にこの方法論の真髄がある。造形の分野においても、記号法という理念がもつ考えかたは大きな役割を演じてきた。視覚現象はその単純なる要素の結合として理解しうる。その要素は記号化される。すなわち記号として思考の対象となる。その結果すべての造形制作過程、造形思考過程は、一般的、形式的記号操作に変換される。造形作品は、抽象的形式の諸関係に従った形式記号操作による要素の置換結合によって構成されることになる。モンドリアン(P.Mondrian 1872-1944)は、造形の分野において、この記号法的操作に従って作品を制作した最初の作家であるといえる。「造形芸術の働きは、空間表現ではなくて完全な空間決定である。形と空間との等価値の対立を通じて、それは現実を純粋な生命力として表出する。空間決定は、ここでは不同な、然し等価値の部分に形と線との手段によって空間を分割することと理解される。それは空間を制限することとは理解されない。」「本質的な現実、すなわちダイナミックな動きは、アブストラクト・アートにおいては、形と空間の構成の正確な決定によって、いいかえれば構図によって確立される。絵画においては、カンバスを形(平面)あるいは線の手段によって分割することを通じて構造が確立される。こうして、構造は造形的手段を生み、そしてこんどは、それらの造形的手段が構造を生む。構造の機能の明確さは、抽象の度合と釣り合う。構造が、それ自身を一層明らかに示せば示す程、自然的な表現は消滅する。構造は、形と空間とし等価値の表現を決定する機能を持っている。」Mondrian 造形の分野内では、最も記号法の導入と使用が容易であるべきはずであった建築の分野においてさえ、モンドリアン以前にそれは意識されていなかった。モンドリアンは、記号の形式的操作の可能性、すなわち造形要素の自律的な置換結合操作の可能性によって、まったく新しい対象の探究と、造形思考の展開とを意識的に行なった。彼が行なった方法によって、われわれは新しく、豊かな自然の事象を知ることになった。われわれの世界像は、より単純で容易に、美しく理解できるようになった。さらに進んで、記号法の理念を造形の分野で一般化したのが、マックス・ビルである。彼は、1938年の連作「15 variations about a thema」に示される方法、操作によって、造形分野における記号法の一般的解釈と具体化とはいかなるものであるかを視覚的形象にして見せてくれたのである。

図-19 図-20
図-19   図-20
与構造は要素=立体の形体と回転の変化を規定している。外側の立方体に組入れられた角柱はすべて立方体と等体積であるという他の規定をも満足している。等体積変化によって現われる級数は美しい。

 構造概念にとって、他の重要なる基礎概念は、「対象の究極化」すなわち対象を点という概念に抽象化すること、およびそれの派生的問題である。

 デデキントは事物について次のようにいっている。「「事物」とは、われわれの思考の対象となるものなら何でもよいという意味である。」さらにデデキントはその事物を記号a、b、c、……で表わし思考を進めてゆく。そこにおいて事物は、或る特殊な段階に抽象され、そうすることによって思考の対象となっている。すなわち、集合を構成する要素一視覚現象の領域においては点、線、
色、光、ボリューム等―を、「思惟可能なる対象である」という認識の可能性の究極的、内的段階において抽象し、他のすべての個別的性質を捨象するならば、対象は関係という存在性のみを残すものとなり、その結果、要素は思惟の上で認知、操作しうる観念の点=記号の普遍的形態という考察の対象に還元される。観念の対象としての点と、視覚空間的対象としての点との関係は、文字における類似、比喩関係であって、その意味、存在性においてもまったくなんらの必然的関係をもたない。感覚、経験に関するどのような連想も、事象も、観念の点によって構成される事象、思惟によってのみ可能な事象に関係づけることはできない。「私が数論を論理学の一部分に過ぎないといったところを見ても私が数概念を空間および時間の表象または直観には全く依存しないもの、この概念をむしろ純粋な思考法則から直接流れ出たものと考えていることを表明している。」Dedekind

 要素を観念の点という記号に抽象することによって事象は、次のような変位を要求される。観念の点への抽象化によって要素それ自身の意味、性質の相異が消去される故に、要素の置換結合によって生ずる要素の性質に依存して現われた現象は、まったくこの形式による思考作用の対象から除外される。従ってその結果、その事象では、理想的要素=観念の点、の図形配置、関係図式=構造と、理想的要素の置換結合の過程のみが問題とされることになる。そこに構造についての概念の最も基本的、普遍的な層を認知することができる。理想的要素によって構成される事象は、点なる要素をその内に含んだ存在であるが、それがあらゆるものに対して普遍的であるが故に、事象=構造そのものとして理解し、思考することが可能になる。すなわち、そのような考察の結果、構造が事象の在り方、存在性を規定し、決定する最も本質的な要因であることが明確となる。事象とは、存在とは、構造的体系なのだ。

 感覚的に経験的に、その性質上まったく類似性をもつとは思えない多くの事象が、その要素を抽象化し、観念の点という記号に変換されることによって、直接的に現われる構造の比較対応から、それらの関係を研究することが可能になる。その結果、例えば数学の構造、生物の遺伝の問題、人間の伝達機構、機械の生産過程、動物の運動制御機構、学習と記憶の構造等が、構造という共通の場で比較研究することができ、例えば情報理論という、それら構造のみを取り扱う新しい学問の分野が形成されつつある。それは、要素の意味の除去による一定なる内的要因をもたない構造は、それ故にかえって対象を普遍的に示すことができるという基盤に立つことによって達成される。以上のような要素の観念の点への記号化という形式主義的方法は、造形の分野における思考対象、思考方法にも適用可能である。しかし、それを行なった瞬間に、造形の分野と他の分野との境界線を、基礎分野と専門分野との境界線を意味のないものにする。それは逆に、芸術と科学との、理性と感情との、人間と自然との連続を可能にする。造形の分野で、それを行なったら、観念の点という究極的抽象段階において構成された造形事象は、まったく具体的形態をもたない思考的構築物である。「具体芸術は、一つの特色すなわち、構造によって性格づけられる。イデー内の配置構造、真実における視覚の構造、イデーの構造の真実性、真実の構造としてのイデー。」 M.Bill 構造概念の正しい適用は、新しい世界像の認知へ導く。


図の説明

 「視覚構造の基礎概念について」という論文と共に載られた写真は、論文の主題である視覚現象は集合と構造という因子によって構成されているという考え、造形観にもとづいて制作された作品を示している。そういう考えに従って造形要素と造形方法が具体的に設定され、そして構成された視覚現象である。集合の要素には、点、線、色、立体等の造形の基本的要素が使用されている。構造、種々な要素の相互関係、は立体作品、平面作品を問わず、「要素の連続的変化という考えに規定されてできる全体=全体の連続的微分化による要素の変化の様相」という規定が与えられている。そのような構造は、多くは他の要因と複合的にではあるが、われわれが日常関係するあらゆる対象に、思考形式から具体的実在物にまで、含まれており見ることができる事象である。この構造の基本的概念は、ニュートンとライプニッツによって、事象を合理的に、より容易に理解するために、初めて把握され導入された自然に対する概念である。

 この作品はすべて、私の指導によって、桑沢デザイン研究所の1年次基礎コースの学生に演習として課せられ、制作されたものである。

写真撮影・平野 久

 この美しい写真の撮影と処理はすべて、写真家、同研究所員平野久氏によってなされ完成された。

写真撮影・平野 久

 これらの学生作品の真実の声を伝えるこの素晴らしい写真は、すべて桑沢デザイン研究所写真科講師、平野久氏の撮影による。この人を魅惑する写真が共になかったとしたら、この論文はその価値を半減したであろうことを私は疑わない。平野氏は、その多忙なる時間を私のために気軽に裂かれ、私の無理な注文を周到な用意と、細心な注意、適切な処理、驚くべき忍耐でそれを解決し、この立派な写真を現実のものにした。このような研究所員の相互の創造的な関係を当然のことと考えている同研究所の理念に、私は新たに多くのことを学んだ。特にデザインの領域においては絶対に必要であるが、真に創造的な結果はセクショナリズムをもたない広い視野に立脚した諸分野の人々の自律的闘争によって形成される。

 この論文と共に載せられた写真が示す作品すべては、私の指導によって、桑沢デザイン研究所の基礎コースの学生に演習として課せられ、制作されたものである。

 この論文の文章の、写真のレイアウト等デザイン処理は、構成分科会の諸先生の助言を受け、すべて私が行なった。


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