PAGE | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |

デザイン教育の課題
阿部公正  


はじめに

 ここで私は、デザイン教育の改革について、ひとつの設計図を提示するのではない。私の述べるのは、望ましいと思われるデザイン教育へむかう道筋を、できるだけ明らかにしたいということである。したがって、カリキュラムの詳細に立ち入るよりも、むしろどのような考え方にもとづいてカリキュラムを決めてゆくのか、という点に重点がおかれることとなるだろう。

  私は、数年前からKDSはひとつの転期をむかえているのだ、と思ってきた。あえて転期というのは、ひとつには一般 にデザイン教育の状況 からみて、いまひとつにはKDS自身の歩みからみて、そうみなければならないと思ったからである。戦後のデザイン・ブームのなかからうまれたデザイン教育は、当然ほんとうの教育として立て直されなければならない時期にきているのだし、KDSがその初期に果 たしてきた役割も、今日的な次元でとらえなおされねばならない時期にきているのだと思う。こうした意識は多くの人びとに共通 する意識だと思うが、私もまた、KDSに参加してきたひとりとして、この転期をどのようにしてのりこえてゆくかについて、深く考えざるをえない。したがって、ここでは各種学校としてのKDSのあり方に焦点をおきたいと思うのであるが、そのためには、問題の性質上、当然デザインのとらえ方とか、大学におけるデザイン教育の問題にも多くふれざるをえないだろう。

1.デザイン教育の理念を求めて

 デザイン教育が学校組織のなかで行なわれる以上、そこには当然教育の理念が明確なものとしてあるのでなければならない。しかしながら、理念は現実の教育方法を導きだすと同時に、反対に現実の教育によってためされてゆく、というようなものでなければならない。なぜなら、私は−どこの学校案内にも見られるように−この領域におけるほど、教育の理念と実際との落差の大きいものはないように思うからである。見方によれば、これは当然の現象であるかもしれない。もともと、いったいデザインをどのようにつかまえるのか、という点についてのきびしい考察をぬ きにして、いわゆるデザイン現象の氾濫を追いかけるかたちで 教育が行なわれるならば、教育理念なるものを全然もちえないか、あるいはまったく高踏的な理念をかかげるだけにおわらざるをえないのは当然だろう。

  デザインの領域には、デザイン学とよばれるようなものが確立されていない現状なのだから、デザインにかかわるもろもろの操作や考え方のなかで、誤りとみられる部分を切り捨てながら理念を探求し、そのようにして求められた理念を現実の状況のなかでためしてゆく、という方法をとることが必要なのではないだろうか。デザイン教育が、他の領域の教育に比べて著しく立ち遅れているのだということ−しかも根本的な問題においてそうなのだということ−は、あらかじめ認めておかなければならないことだろう。

 今日、日本の大学(短大を含む)の数は、国立75校を含めて852校、学生数は約160万人といわれる。この数は、同年令の5人に1人という割合になる。一方、各種学校で学んでいる人たちの数は、現在約150万人だという。このような、高等教育機関に学ぶ多くの人たちのなかで、 デザインを学ぶものの数をここでいま明確に示すことはできないけれども、この10年来のデザイン教育ブームを考え合わせれば、おおよその状況は想像されるだろう。もしも、教えやすく、学びやすく、また役にたつというところからうまれたデザイン教育ブームであるならば、いったい何を教えているのか、何を学ぼうとしているのか、また何に役だっているのかということが、あらためて問われなければならない。

 いうまでもなく、デザイン教育ブームをささえてきたのはデザイン・ブームであった。だが、それはいったい何を意味するものであったか。デザインのとらえ方のひとつの例として、数年前の新聞紙上の記事にふれておこう−それは今日でもあまりにも広く認められている見方だといえよう。そこでは、<デザイン時代きたる>という題のもとで、日本における消費需要の増大が説かれ、そこから将来の商品についてデザインの必要が強調されている(<朝日新聞>、昭和42年6月8日夕刊)。そうして<この時代の消費需要は、消費者の直接欲求によるものでなく、 ほとんどが≪つくられる≫ものとなる>といい、自動車、電気器具、衣料、さらにデパートの共同によるカラー作戦などをあげている。そのとき<消費者行動は、商品の使用価値よりもむしろデザインによって決定される>のであり、それゆえ<これからのメーカーは、商品のメーカーであると同時にデザインのメーカーとなってはじめて需要のメーカーとなりうる>のだ、というのである。

 たしかに今日の商品の姿を見るとき、ここに指摘されたような局面を認めないわけにはいかない。だが、デザインが商品の使用価値とは別 の付加価値-しかもメーカーの側からつくられるものとしての-として理解され、それゆえにこそ<デザイン時代きたる>とうたわれるのであったならば、デザイナーとは、つまるところかってのインダストリア ル・デザイナー誕生期におけるのと同様に、<魔術師>的役割の持主とみられるのだろうか。このような方向からは、今日のような各種学校の隆盛がみられることとなるのは当然であるにしても、デザインの理念や デザイン教育の理念が育ついわれはないだろう。

 今日においても、各種学校としてのデザイン学校についての一般の見方は、それほど大きく変わっていない。ここにも、ひとつの例として新聞紙上の記事を引用しておこう。(<朝日新聞>、昭和44年12月20日夕刊)。デザイン教育のあり方を考え直そうとするこの記事では、デザイナーをトータルな力の持主と規定することによって、反対に各種学校としてのデザイン学校を職人養成の場とすることをすすめる。すなわち、<ここ数年来、わが国では雨後のタケノコのように、デザイン系各種学校がつぎつぎに現われた。恐らく世界最大のデザイナー大量 生産国なのであろう。いったいデザイナーとは何か。・・・・・・デザイナーは、ものの形をきめる作業に、直接的に携わる職業とすれば、ものの形をきめる≪き めて≫となるのは、端的にいって、ものの形に結集できる総合的な力ということができる。・・・・・・しかし、わが国のデザイン系各種学校の修業年限は、1年か2年で、これではすべての時間を専門課題にしぼらざるをえないありさま。従って、デザインの技術者-職人を作ることしかできない。デザインの職人とデザイナーは違うし、デザイナーの養成を看板としている限り、ほんとうの職人にもなり得ない。>それゆえ<各種 学校が、その存在価値を発揮できる道は、デザインの職人の養成に徹することだと思う。そうすれば、ドラフトマン(製図工)、イラストレーター、モデルメーカー(模型製作者)、あるいはそれに類した関連産業に、もっと地道な需要が期待できるのではなかろうか>という。

 私は、この考えは各種学校に向けられると同時に−むしろそれよりも先に-デザイン系の大学に向けられなければならないと思う。<デザインの職人>から区別 された<デザイナー>の教育が確立されていないかぎり、日本全体の教育としてみるとき、そこには高級と低級の差別 を伴った<デザインの職人>の養成が行なわれるのみだ、といわなければならないだろう。また、めざされているところの<デザイナー>と<デザインの職人>との、労働の場における関係が明らかにされなければ、<職人>のほんとうの社会的役割はつかまえられないだろう。

 私は、デザインにおける<技術的>ないしはく職人的>部分をけっして軽視するのではない。だが、そのような部分が、具体的にものとどのょうに結び合ってゆくか、ということを深く考えておくのでなければ、 技術訓練を行なえても、教育は行なえないはずだと思う(1)。各種学校に<デザインの職人>の養成をすすめ、大学に<デザイナー>の養成を期待することは、きわめて常識的な見方であるにはちがいないけれども、今日のデザイン教育の状況-普通 教育におけるデザイン教育から、大学における専門教育としてのデザイン教育にいたるまでを含めて−からすれば、一方で<ものの形に結集できる総合的な力>をもった<デザイナー>の教育が確立されているのでなければ、<デザインの職人>の 養成を手放しで肯定するわけにはいかない。

 たとえ各種学校としての、いわば宿命的な機能があるとはいえ、混乱した状況のなかからデザインの理念をつかまえ、デザイン教育の理念を 探してゆくことは、転期に立つKDSに課せられた重要な課題であろう。



注(1) いうまでもなく、手仕事の時代には<職人>的なわざをとおして全体をつかまえることが可能であった。だが、機械時代においては、それは可能ではない。かつてウィリアム・モリスが、つくる人の労働のよろこびをねがい、つくられたものの社会的意義を考えることができたのは、-社会についてのかれの思想によることはもちろんだが-もっぱら手による生産者としての職人(クラフツマン)の復活を考えていたからである。近代の生産方式に積極的に関与するものとしての<職人>を考える場合には、その社会的意義をどのようにかんがえるのか、またそうした<職人>養成の教育理念はどうなるのか、を考えてみなければならない。



Next