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浅葉克己 渋谷の桑沢> 渋谷の桑沢

2019.04.144.ストリートからの発信

ストリートは文化の発信地

 渋谷駅を出て、神南1丁目交差点からPARCO Part1の前を通り、渋谷公会堂や区役所脇へ続く緩やかな坂道。この「公園通り」が、まだ喫茶店や映画館が並ぶ「区役所通り」だったころ、通り沿いの東京山手教会の地下には、若者たちの集まる小劇場・ジァンジァンができました(1969年)。同じ頃、寺山修司の率いる天井桟敷が、渋谷駅線路沿いに日本初のアングラ劇場・天井桟敷館をつくります。新宿で沸騰した若者文化が次第に渋谷のストリートに移り、新たな発信拠点ができていったのです。
 1973年、渋谷PARCOが坂を登り切った場にオープンします。劇場を併設し、若者文化を牽引していったPARCOの名が、イタリア語で公園という意味だったことから、通りは「公園通り」と改称されました。そして通りや街そのものを文化拠点と捉える、新たな発想の街づくりが始まりました。

続々誕生したストリート名

 拠点となる施設を中心に、親しみやすい名前の通りが続々登場します。1978年に東急ハンズが開店すると「井の頭通り」の一部は「ハンズ通り」に、Bunkamuraがオープンすると「東急本店通り」が「文化村通り」へ改称。消防署のあるファイヤー・ストリートはともかく、由来がはっきりしないキャットストリートやイエローストリート、楽しい雰囲気を醸し出すオルガン坂やスペイン坂、コシノ・ジュンコが命名した外苑前のキラー・ストリートなど、ヴィヴィッドなネーミングは通りと街の全体を活気づけました。

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ダンスやファッションを見せ合う、若者たちの広場

 1980年代になると、アメリカのロックやポップ音楽の影響から、ストリートカルチャーがさらに盛り上がります。代々木公園脇の通りは、日曜日に歩行者天国とされ、その路上にラジカセを持ち寄って大音量で音楽を流しながら踊る若者たちの姿が見られるようになります。路上は、若者たちの新たな広場となりました。
 派手な衣装で踊る「竹の子族」のブームが起こり、ヒップホップやロックの流行から「ロックンロール族」が誕生。ブレイクダンスのブームがくると、段ボールをしいて背中でくるくる回るストリートダンスも見られるように。公園通りにはスタジャンを来た大学生たちが多く行き来して、路上バンドブームも起こりました。
 今も駅前や百貨店前の通りでライヴが行われ、奇抜なファッションの若者たちが集まる渋谷は、この頃から若者文化のメッカとなっていったのです。

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