卒業生紹介

有本誠司

総合デザイン科 ビジュアルデザイン専攻
2012年卒業

有本 誠司 / ウェブデザイナ一

1986年 和歌山県生まれ
2009年 山形大学工学部中退
2012年 株式会社セミトランスペアレント・デザイン入社

「デザイン」という共通言語がつなぐ人びととの出会い
Webサイトのデザイン/コーディングをしています。コーディングとはWebサイトの骨組みを設計し、デザインを元に画面のなかでレイアウトして閲覧できるようすることです。最近では、写真家の「トーマス・ルフ展」において、サイトのデザインとコーディングを担当しました。 Webサイトのデザインには紙媒体のデザインとは異なる色々な制約があります。例えば見る人によって画面の大きさが違うので、PCで見る人とスマートフォンで見る人それぞれに対応しなければなりません。また、人が閲覧するものなので分かりやすい構造にする必要があります。とはいえ、制約をクリアするために「分かりやすさ/見やすさ」を優先すると凡庸なデザインになってしまうので、見やすさを担保しつつ情緒やニュアンスを出していくことがWebデザインの難しいところだと思います。同時に、そこがまたやりがいでもあります。

〈桑沢〉で一番印象に残っているのは、3年次からはじまる卒業制作ゼミです。このゼミの前期課程での半年間「Blサイズのシルクスクリーン刷りのポスターを、週に2枚制作する」というルールを自分に課しました。先生に毎週講評してもらい、色々なアドバイスをもらい、また制作する。筋肉トレーニングのように反復してつくることを通して、どんな見方や気概でデザインするかということを学べたように思います。この会社に入るまではWebサイトのデザインをしたことはなかったのですが、継続的にくり返し制作してきた過程で学んだことが糧となって、デザインの媒体がポスターからWebサイトに変わっても順応できたのだと思います。

東京・渋谷に学校があることも、〈桑沢〉の強みです。なぜなら多くの卒業生が活動する場所が東京だからです。私は卒業後、同じ校舎で学んだ先輩や同級生の変化をありありと身近に感じることができました。学生時代をともに過ごした同世代のデザイナーの変化はポジティブな刺激となり、卒業後に自分がデザイーとしてやっていけるのかという不安をかき消すのに充分でした。その背景には1、2年次に徹底的に基礎を学び、3年次にデザインと自分に向き合っていく、一連の過程で培われる「デザイン」という共通言語があるのだと思います。卒業後も続いていく、「デザイン」による繋がり。それはデザイナーとして成長するための助けになっています。

「トーマス・ルフ展」(2016-17年)のWebサイト。
有本さんがデザイン/コーディングを担当した

米山浩太郎

デザイン専攻科 ビジュアルデザインコース
2011年卒業

加瀬 透 / グラフィックデザイナー、アートディレクター

1987年 埼玉県生まれ
2010年 立教大学経営学部卒業
2011年 有限会社メルクマール入社
2015年 独立

正解は一つではない考え方の多様性に触れる体験
美術が好きな父の影響で、デザインに興味をもちました。大学の経営学部に在学中でしたが、デザインの仕事をしたいと思いはじめ、どんな仕事があるのかを調べていました。すると先生から〈桑沢〉の卒業生を紹介され、会ってみたらとても面白い方だったのがきっかけで、〈桑沢〉に惹かれました。〈桑沢〉に行くことを決めたのが大学2年生のときで、3年生までに卒業に必要な単位をほぼ取得し、大学4年生で〈桑沢〉の1年生として入学、ダブルスクールを経験しました。
経営学部で学ぶ自分がデザイナーになりたいというと、周りの人からは「どうして?」と不思議がられました。4年生になると大学の友人たちは次々と就職が決まっていきます。そんななかで不安になった時期もありましたが、人のことは気にせず、自分の得意なこと、興味のあることに打ち込もうと心に決めました。自分の気持ちに正直にやってよかったと、今でも思っています。

〈桑沢〉で学んだのは、正解が一つではないということです。学科ごとに全員が同じ方向に向かって課題に取り組みます。しかし、答えの出し方がみんな違う。「こういう考え方もあるんだ」と気づきました。ロジカルに考えて一つの答えを見つけていく数学などとは違う、多様なアプローチの方法があることを知り、とても勉強になりました。そして、グラフィックデザインを学ぶ上で、よい出会いがたくさんありました。先輩や後輩だけでなく、学外で会った人とも「デザイン」という仕事でつながることができました。いまだに先生とコンタクトを取り続けているのも、〈桑沢〉ならではのことだと思います。

私は現在、広告や雑誌、書籍、CD、Webなどのデザインをしています。独立して2年経ち、さまざまな仕事をして、去年から少しずつ自分の中でできること、デザインの中で達成したいことの根幹がはっきりしはじめてきました。雑誌や書籍など決まりごとの多い媒体の中で、自分の興味があるものを、持っている技術でどのように合致させるかを考えています。少しずつ実践し続けて、最近ではその成果を自分なりに実感できるようになりつつあります。
会社にいれば、アートディレクターが進行などを管理し、クオリティチェックもしてくれます。でも、独立するとすベて自分の責任です。デザイナーはみな、手がけている媒体自体に可能性や興味を見出して仕事をし、いつかは汎用性のある自分の技術をつくり出せたらと考えています。自分が面白いと思いつつ、相手にも面白いと思ってもらえるというバランス。こういう重なり合う視覚言語を生み出していけるよう、日々楽しく仕事をしています。

加瀬さんがデザインした書籍、およびイベント等のフライヤー

柴田匠矢

総合デザイン科 プロダクトデザイン専攻
2009年卒業

柴田 匠矢 / デザイナ一

1982年 福井県生まれ
2006年 成跛大学法学部卒業
2013年 デサントジャパン株式会社入社

スキル習得だけでなく デザインには企画や設計がある
フットウェア、スポーツシューズのデザインを担当しています。デザイナーという立場だけでなく、サンプルを開発したり、製品の売り上げ計画などにも参画しています。 〈桑沢〉ではデザインをーからみっちりと仕込まれました。入学当初はスキル以前に、「何をどうすればデザインができるのか」すらわかりませんでした。総合デザイン科の1年次に4つのジャンルのデザインすべてに触れて、「こういう世界がある」「こうすればいい」ということを理解したのは、半年以上経ってからだったのです。デザインにおいては、物事をゴールから逆算して考えなければならないと気づいたのがきっかけでした。 先生は第一線で活躍しているデザイナーでしたから、授業にはリアリティがありました。描く、つくるといったスキルを身につけるだけではなく、デザインをするためには企画があり、設計があると学んだことが現在、社会に出て活かされています。

デザインをするときは、物事をさまざまな側面から見るように意識しています。フットウェアに関しても、プロダクト、インテリア、アパレル、ビジュアルとさまざまな観点から見比べます。では、どのようにしてユーザーが買いたいと思うものにしていくか。現代のマーケティング手法では、機能や数値を根拠に優れたものだと強調する方法と、有名なプレーヤーとタイアップして、「これを履けば、あの選手のようになれるかも」というイメージをもたせてプロモートしていく手法があります。フットウェアは見た目だけではなく、ユーザーの憧れの対象として昇華させる道具であり、広告媒体でもあるのです。「憧れ」を買う。購買の動機をどうもたせるかを意識してデザインをしています。また、フットウェアはプロダクトの寿命としては短いので、リピートしてもらえるようなマーケティング的発想も、デザインに求められます。〈桑沢〉では手を動かしながらものを考えることを学びました。フットウェアという道具を企画してデザインしていくための私のベ一スは、ここにあります。人体の機能や形状は数年の単位で劇的に変わることはありません。しかし、材料は進化し、加工技術も発展しています。

私は人が身につけて使うものに一番興味があり、その分野で勝負していきたい。優れたデザインとは、人によく使ってもらえるデザイン、それは現代ではよく売れることでもあります。多くの人に受け入れられるものの中に自分の個性が活かされた製品が出てくれることが、社会で必要とされる人間だという証しかなと思うのです。

柴田さんがデザインしたシューズ〈UMBRO〉(スパイクタイプ「ACCERATOR」、ランニングタイプ「CROSS-TR」)

久家英和

デザイン専攻科 プロダクトデザインコース
2011年卒業

久家 英和 / デザイナー、クリエイター

1982年 福岡県生まれ
2001年 福岡第一高等学校卒業
2011年 株式会社super.Bを設立

さまざまなカルチャーが混ざり合う渋谷で学ぶ
中学校3年生のとき、BMX(バイシクルモトクロス)という自転車競技のプロ選手として2006年に上京しました。でも、2008年に11位で終わり、自分の中でスキルの限界が見えたので引退を決意しました。そのときに、自分のやりたいことは何かと改めて考え、幼いころからものをつくるのが好きで、つくるということを常にやり続けていた自分を再認識。つくったものが残せる人生にしたくて、デザイナ一を志望したのです。

12月まで選手でしたから、受験までは3カ月しかありません。毎日徹夜で勉強した結果、美術大学と〈桑沢〉に受かりました。〈桑沢〉を選んだ理由は、渋谷に学校があるということ。選手として海外へ行ったとき、いろいろな生き方があるのをこの目で見たのですが、渋谷にはその世界の縮図があり、さまざまなカルチャーが混ざり合い、自分の刺激になると思いました。学校で勉強すること以外に、社会的な部分を実際に見ながら通えるという強み。それは有名大学に行くよりも魅力的でした。デザインは社会を知らないとできない仕事です。きれいなものだけをつくるのは、デザインではありません。社会問題などを解決する能力を培うことが重要だと考えています。
また、〈桑沢〉の強みは小規模なこと。違ったコースの人でもすぐに友だちになれます。今も仕事を一緒にする〈桑沢〉の仲間は、私の支えになっています。さらに、フリーランスで活躍している先生が、セミナーや授業の中で自分の仕事を見せてくれます。個としての強さを学べたことは、私の生き方を変えました。

〈桑沢〉を卒業した年に、会社を立ち上げました。当初、目の前にあった仕事は専攻したプロダクトデザインではなく、Photoshopで絵を描いたり、建築3DモデリングやCADを扱ったりするもの。でも、そこに不満はまったくありませんでした。何でも学んでやるという気持ちで、映像も独学で身につけ、今手がけている自社ブランドのルアー設計も1年でつくりました。ルアーはデザインやデータ、裏書きからロゴ、そして広告映像まで自分ひとりで行ったものです。そして去年、ルアーで唯一、グッドデザイン賞を受賞しました。
自分が持っているスキルは何か。これから何をやり、スキルアップしていくのか。〈桑沢〉に入学したら、常にそのことを考えながら動いてほしいと思っています。今はものを考えない時代に突入して、創造するスキルがとても低いレベルになっています。創造することは、相手を思いやることにつながります。常に自分のために何が投資できるかを考えて行動する。私にとっての最大の投資は、〈桑沢〉だったと思います。

久家さんの自社ブランドで製造販売している、ルアー「ダヴィンチ」

鄭愛香

総合デザイン科 スペースデザイン専攻
2016年卒業

鄭 愛香 / 建築家

1992年 愛知県生まれ
2013年 朝鮮大学校美術学科卒業
2016年 山本理顕設計工場入社

考える訓練と伝える技術〈桑沢〉にいたからこそできたこと
入社2年目で、今は主に集合住宅の設計をしています。設計の仕事は建物を建てるだけではありません。建物を建てたことで周りに与える影響や、住む人の暮らしのスタイルなどを、設計を通して提案していきます。これは〈桑沢〉の基礎デザインの授業と通じるものがあります。
入学したときは、建築を仕事にしていくとはまったく考えていませんでした。スぺースデザインは、内装や素材、外観を考えることだと思っていたところ、すべてのデザインを学ぶ1年次の基礎デザインの授業で、そのイメージが一変しました。課題は「渋谷との関わり」で、渋谷と人をつなぐにはどのようにしたらいいか、ハチ公広場に新しいものを建てたら、渋谷に来る人がどんなことを思うかを考えるものでした。デザインされた空間が人や街に影響を与えるというのは、私にとっては新しい視点でした。この授業から受けた衝撃がきっかけで、空間、建築をもっと考えていきたいと思い、スぺースデザインを専攻しました。

絵が得意だから、ものづくりが好きだからという理由で、〈桑沢〉に入学する人も多いでしょう。私も大学では美術を学んでいました。でも、もっと社会と緊密に関わることがしたくなり、「デザイン」ならそのアプローチができるのではと考えて、〈桑沢〉に入学しました。デザインとは、ある課題が与えられて、その要求にどう応えるか、何がふさわしいかを考えていく課程です。自分という枠を超えて、広範囲でものをつくり提案していく。絵は自分との対話でしたが、デザインは求める人がいるぶんもっと広い視野が求められます。建築の場合は実際に街へ出ていったり、暮らしている人を観察したりして実態を学びます。社会や人の役に立つことがとても嬉しく、楽しいです。

〈桑沢〉の授業はすべて大変でした。例えば1週間で家具をつくり、インテリアを考えて、授業のためにたくさん調べ物をし、模型をつくり、ということをしなくてはなりません。
また、アイデア出しだけでなく、どうしたらもっとよくなるか、どうすれば自分の伝えたいことが作品に反映できるのか。食事中も、アルバイト先でも、通学中も、寝る前もずっと考える日々でした。仕事の世界では、自分が考えたものを相手にしっかり伝えなければ評価をもらえません。考え提案したものがまったくそぐわなかったり、方向が違っていたりすることもありますが、それをしっかりと受け止めて、また考える。なかなか難しいことですが、〈桑沢〉にいたからこそ、それに対応できる姿勢を身につけることができたと思っています。

鄭さんが担当した、大学のプロボーザル案

三上司

総合デザイン科 ファッションデザイン専攻
2004年卒業

三上 司 / ファッションデザイナー

1982年 広島県生まれ
2001年 修道高等学校卒業
2014年 デザイン事務所xerographicaLLC.を設立

根源的なことからはじめる刺激的な授業
ファッションに興味があり、高校生の頃から自分で服をつくっていました。美術大学か専門学校か、進路に迷っていたとき、美術の先生に「美術大学と同じアカデミックな教育もありながら、ファッション科という専門の授業もある」と勧められて、初めて〈桑沢〉を知りました。調べてみると、グラフィックからプロダクトまで4つのデザインをまんべんなく学べるのがとても興味深かったので、〈桑沢〉を選びました。

入学して感じたのは、〈桑沢〉はものづくりの好きな人たちが集まっている空間だということです。だからどんな人と話しても楽しく、授業も刺激的でした。
たとえば、3年次の選択授業のテキス夕イルでは、糸を紡ぐところからはじめたことに驚かされました。また、先生と対話をしながら、時間をかけてコンセプトを固めてものづくりをしていく、コンセプトワークの授業。これは社会に出た今、私の糧になっています。根源的なことからはじめよう、手を動かしてやってみようという〈桑沢〉の授業は、私にとって大変勉強になりました。
総合デザイン科では、2年次までに布などの素材に親しんだり、パターンなどの技術を学んだりといった、ファッションとしての実際的なものづくりの授業を受けます。そして3年次では、ものをつくる前段階としての「なぜつくるのか」「自分は何なのか」という根源的な問いを掘り下げ、考えを深めます。これは、デザイン以前のあらゆるものづくりの基礎です。考え方がしっかりしているだけでは、ものはつくれない。技術があるだけでは、デザインとしては通用しない。〈桑沢〉の授業では、デザインの基礎を徹底的に叩き込まれました。
2014年に、「キセログラフィカ」という名称でデザイン事務所を立ち上げました。キセログラフィカとは、空気中の栄養分を吸収して成長するエアプランツ。この植物と同じように、周りの環境で育っていく会社にしたいという思いで命名しました。常に新しい視点を提案することが、ブランドのテーマです。メッセージ性があり、着た人の気持ちが新しい方向へ変わっていくようなデザインを目指しています。

〈桑沢〉はグラフィックからスペースまで、他の授業とシームレスにつながっています。自然と横のつながりが増え、考え方も専門分野に偏りません。同級生にも、専攻はファッションでもグラフィックやプロダクトなど自然にできる人が多い。実は今回の展示会の写真を撮ってくれたのはファッション専攻の同級生ですが、今はフォトグラファーとして活躍しています。若いからこそ幅広い考え方や手法を見て、たくさん学んでいくことが、とても大切だと思います。

自身のブランド「TSUKASA MIKAMI」の展示会にて

阿賀岡恵

デザイン専攻科 ファッションデザインコース
2001年卒業

阿賀岡 恵 / 靴下デザイナ一

1978年 東京都生まれ
1998年 青山学院女子短期大学芸術学科卒業
5年間、福助株式会社商品本部に勤務
2007年 株式会社アヤメウィーブスを設立

自分のスタイルを確立できたアイデア出しの授業
肩書は靴下デザイナーです。「靴下にもデザイナーがいるの?」と思われる方が多いと思います。学生時代は私も同じでした。〈桑沢〉に靴下デザインの授業はありませんでしたし、自分が想像していたファッションデザインの仕事は、オンワードやコム・デ・ギャルソンなどのアパレルでした。靴下の会社に就職が決まったときに、「靴下のデザインって、何をするのだろう」と思ったほどです。
入社当時、靴下の値段は1200円くらいが上限でしたが、インポートは3000円もして、その間の価格帯がすっぽりと抜けていました。しかも、大きい会社は売れるものをつくりたいわけですから、べーシックなアイテムではないピンクや黄色の靴下の大量生産は躊躇します。ここにすき間があると思って、2007年に靴下のブランド「Ayame」を立ち上げて以来、運営から営業、デザインまですべてを一人でやってきました。

〈桑沢〉に入学した理由は、1990年代に渋谷系と呼ばれていたサブカルチャーが大好きだったからです。〈桑沢〉の卒業生のラップグループ•スチャダラパ一や、ソラミミストとしても活躍している安齋肇さんの大ファン。個性的で幅広いカルチャーに根づいた〈桑沢〉に惹かれました。
いっか独立をしたいという思いもあり、ファッションデザインを専攻しました。当時は一般的にはまだ、ファッションという洗練されたものはサブカルチャーとは対極にありましたが、渋谷や原宿ではファッションで独立している人たちが身近にいて、その双方が結びつくことも現実的に思えたのです。
〈桑沢〉では、デッサンを含め基本的なことをみっちり特訓されました。特に、アイデア出しの授業は、社会に出てから役立っています。甚礎がなかったら実社会では行き詰まるでしょう。

先日、部屋を掃除していて、〈桑沢〉時代の作品が出てきました。カビやホコリなどを写真に撮り、それを展開して柄や服にする企画です。先生から「面白い」とほめられたことを覚えています。アイデアは何でもよいのです。例えば、パッと目に入ってきた景色も柄にできるでしょう。現在私はテキスタイルが専門ですが〈桑沢〉で学んだことは、織物に変換する力として役に立っています。
観察する力、発想を転換する力、それを創造する力を〈桑沢〉で培いました。クリエイションは頭を使う仕事で、特にファッション業界は、若い感覚を重視するために移り変わりが早い。そんな中、デザイナーとして自分のスタイルを確立できたのは、〈桑沢〉で身につけた基礎があったからだと思っています。

阿賀岡さんがデザインし、商品化されたもの

米山浩太郎

総合デザイン科 ビジュアルデザイン専攻
2016年卒業

米山 浩太郎 / デザイナー

1994年、東京都生まれ
2012年、聖徳学園高等学校卒業
2016年、株式会社 たき工房入社

デザインの仕事をしたいと思いはじめたのは、18歳の頃からです。幼い頃から、絵を描いたり物をつくったりするのは得意でしたが、大人たちから「絵がうまいね」と美術の道を勧められると、子どもだった自分は反発しました。かえって「絶対その道には進まない」と。一般の大学に進もうとしていました。ところが高校3年生のある放課後、黒板に落書きした絵を見た友人から勧められて、今度は素直に美術やデザインの道に進むことにしました。美術大学を目指しましたが失敗し、浪人しました。2回目の受験もうまくいきませんでしたが、二浪はしないと決めていたので、たまたま募集していた〈桑沢〉の二次募集に応募して、入学することができました。

〈桑沢〉の授業では、与えられた課題に応じて制作していくのが単純に楽しかったです。なかでも印象に残っているのは、3年のときに受講した、ドイツのバウハウスを再現した授業です。世界のなかで自分の知らない国をプレゼンする、あるいは音楽を聴いてわいてくるイメージを 形にすることなどの課題でした。それは私にとって未知の、新しい発想でした。いろいろな分野に触れることで、ジャンルを超えて通じるデザインの考え方があることがわかったのは、〈桑沢〉での一番の収穫でしょうか。それまではデザインといえばグラフィックだと思い込み、ファッションなどの分野にはまったく興味がありませんでした。〈桑沢〉でいろいろな分野で活動する人たちと学校のイベントなどで制作をともにすることで、ビジュアルデザインがスペースデザインなどにも通じることがよくわかったのです。学校の課題のほかにも、自分自身を確かめるために自主制作に取り組みました。文字そのものに関心があったので、新しい漢字をつくったり、知人同士で展示会をしたりすることで、表現の幅を広げられたと思います。

 いまは駅の構内に張り出される広告や新聞広告など、広告媒体の仕事をしています。プリントメディアもウェブなどの電子メディアの広告もあり、予算も規模も大きなものが多い。在学時代は小さな作品を多くつくりましたが、大画面の広告制作となると、掲出時の状態を想定して微調整していくことが必要です。ロゴをつくるときにも、周囲の環境に合わせたり、さまざまなルールを守ったりする配慮がいる。そういう事情は先輩のアドバイスを受けながら知り、模索しています。その都度異なる環境のなかで、大勢の眼に触れる媒体をつくる。そのために試行錯誤していく過程そのものが、新鮮です。

左=中部経済新聞「AI記者」新聞15段、中=中部経済新聞「AI記者」WEB、右=中部経済新聞「AI記者」ロゴ

巽奈緒子

デザイン専攻科 ビジュアルデザインコース
2015年卒業

巽 奈緒子 / デザイナー

1983年、大阪府生まれ
2002年、神奈川県立神奈川総合高等学校卒業
2007年、東京外国語大学 中国語学科卒業
2007年、電通台湾支社入社
2015年、佐藤卓デザイン事務所入社

幼い頃から、描くのが好きでした。大学進学時にも、小さい頃から絵を習っていた先生に教えてもらって知っていた〈桑沢〉か、語学を専門とする大学に進むか、迷いました。そのときは、語学を選択。卒業後、学んだ中国語が活かせる台湾で就職し、広告代理店の仕事をしていましたが、デザイナーの仕事を横で見ていて「私もやりたい。手に職をつけたい」と改めて思うようになりました。28歳で仕事を辞め、デザインを学ぶために帰国。周囲の人に聞くと「〈桑沢〉 の夜間がいいよ」と。講師の方々も魅力的でしたし、働きながら通えるため、迷いなく受験しました。最初は中国語のアルバイト、最後の半年はデザインのアルバイトをしながら通学しました。

〈桑沢〉に入ってから、それまで仕事のなかで見て知っていたつもりだったデザインのことが、実はまったくわかっていなかったことを体感しました。発注する側とデザイナーの視点は、驚くほどに違う。デザインではタイポグラフィーがとても大切だということもはじめて知りました。ほかにも、有名な現役デザイナーの講演や、同級生同士でプロジェクションマッピングの展覧会を企画したり。面白くて刺激の多い2年間でした。

卒業後、知人の後任として、佐藤卓デザイン事務所でアルバイトをしました。そのまま働かせてもらい、正社員となりました。現在は、主に三宅一生関連の仕事に携わらせていただいています。アシスタントとして関わった「MIYAKEISSEY展」では、会場構成、告知ツールのビジュアルデザイン、会場の模型づくりなどに関わり、服選びの打ち合わせなどにも参加しました。また、「BAOBAO ISSEY MIYAKE」のグローバル広告の担当デザイナーとして、毎シーズンの広告案の提案から撮影立ち会いまでに携わりながら、日々勉強の毎日です。最近は、商品デザインの成り立ちを「解剖」して見せる「デザインの解剖展」の企画に携わりました。ライターとやりとりしながらビジュアルデザインや展示内容を考える仕事です。ほかには、化粧品のパッケージやプレステージ・インターナショナルの各種ツールデザイン、そのプロスポーツチームのキャラクターデザインなども担当しています。グラフィックデザイン以外の仕事も多くあります。たとえば、店舗に新しい棚をつくること。店員の方からの要望を聞き反映したものを提案していくのですが、スペースデザインやプロダクトデザインにも近い仕事です。基本的な考え方はグラフィックもスペースデザインも変わらない、と仕事のなかでいわれますが、いまは必死でついていっています。

左=2016年3月~6月に開催された、「MIYAKE ISSEY展」チラシとパンフレットのキービジュアルの制作に、案出しから関わった/右上=クリエイションギャラリーG8主催「藍色カップ」展出展作品/右下=書籍『デザインの解剖』(平凡社)。企画からレイアウト、図案制作等を担当

門倉さゆり

デザイン専攻科 プロダクトデザインコース
2011年卒業

門倉 さゆり / プロダクトデザイナー

1987年、東京都生まれ
2006年、東京都立四谷商業高等学校卒業
2008年、社会福祉法人入社
2012年、日都産業株式会社入社

働きながら〈桑沢〉で学んでいたので、仕事と学校の両立が大変でした。デザインは、それまでの人生でずっとやりたかったこと。課題にしっかり取り組まないと意味がないと思い、徹夜してでも頑張りました。課題を終え、朝仕事に行き、夕方は〈桑沢〉へ。いま思えば楽しい日々でした。自由に使える工作室は、大好きな場所でした。先生は、ときに厳しく学生に接しますが、そのぶん最後まで見放さずに導いてくれます。印象深かったのは、入学して最初のオリエンテーションでの先生のこの一言。「みなさんがデザインの能力を培い、活躍してくれることが私の生きがいです」。実際に授業を受けて、改めてこの言葉の意味を実感しました。

最終課題では、流れ星に連動して光るイルミネーションをつくりました。流星が出現した際に反射する電波をキャッチする「流星電波観測」のシステムを利用した作品です。流星電波観測の研究者で、本を出版されていた方に連絡をし、協力をお願いしました。「それは面白い、おそらく世界初の試みです」と興味をもってもらえ、嬉しかったことを覚えています。

私は現在、公園遊具メーカーで低年齢児向けのぶらんこやすべり台、ベンチなどのデザインを担当しています。子どものことを知れば知るほど、子どもが何を喜ぶか、どんな危険があるか、感覚的にわかってきます。仕事をしているうちに、「デザインとは何か」という考え方が変化してきました。以前は、デザインとはアーティスティックなもので、いかに奇抜なもの、世にないものをつくり出すかについて必死に考えていました。でも、実際のデザインの仕事は違う。正解はないけれど、限りなく正解に近い答えがあるものなのだと知りました。問題に対して自分はどういう答えを導き出せるのか。地道に人の話を聞いたり、観察したりしながら正解に近づく努力をします。そしてその答えの必然性を論理的に説明することがとても大切だと実感しています。「世界を変えるデザイン」という言葉があるように、デザインには、美しい形、新しい価値を生み出し、環境を変える力があります。そして対象によって、アプローチを無限に組み立てられることが興味深いと感じます。それにいまの仕事を進めるうちに、自分自身への理解も深まりました。「遊ぶ」=「育つ」。人のアイデンティティを形成するのは、自発的な遊びから得る経験です。この「遊び」に特化してデザインをしていきたい。そしてこの路線を突きつめて、私といえば「こういうもの」という回答を、多くの人びとに認識してもらえるようなデザインをしていきたいと思っています。

左=「葉っぱの日よけ」、右=1~3歳向け遊具「りぐりぐシリーズ」より、「いもむしすべり台アン」

阿部 允宏

総合デザイン科 プロダクトデザイン専攻
2009年卒業

阿部 允宏 / エクステリアデザイナー

1987年、新潟県生まれ
2006年、茨城県立笠間高等学校
工芸・デザインコース卒業
2009年、株式会社 本田技術研究所入社

主に車の外観デザインにおける先行段階の開発をしています。世の中を広くリサーチして、車を使う人の暮らしや志向に合ったデザインを提案していく仕事です。HONDAは取り扱う車種のラインナップが多く、デザインは多種多様で、四輪車以外の開発を担当することもあります。それらのデザインを考えるためには、ただかっこいい車を調査するのではなく、使う側の「人」の研究からはじめることから求められます。使う人や社会の変化を見て、人が移動するときに必要なあらゆること、環境まで考えていきます。いざつくるとなると、デザインを描く際にも立体造形を担当するモデラーにきちんと伝えられるような配慮が必要です。高校の頃からデザインを専攻していました。しかしデザイナーとしてやっていける自信がなく、普通に会社に就職するのだろうと思っていました。しかし知り合いに〈桑沢〉の講師がいて、高校3年のときオープンキャンパスに出かけると、卒業生たちの作品が魅力的でした。自分で描いたスケッチを持参して先生に見せたところ、もっと学ぶことを勧められ、〈桑沢〉を選びました。〈桑沢〉一本でした。

当初はビジュアルデザイン志望でした。広告や雑誌の編集をやりたいと思い、車のデザインには興味はありませんでした。〈桑沢〉の1年目に、基礎造形をやってデザインの基礎が身についたのはよかったと思います。はじめはそれほど立体デザインに力を入れていませんでしたが、作品への評価が思いがけず高かったので頑張りはじめました。取り組みながら、自分の得意分野がわかってきた感じでした。高校のときにビジュアルを学んでいたこともあり、せっかくなら知らないジャンルを、という思いがあったことも事実です。一番大変だったのはカー・スタイリングの授業です。難しい、立体的にならずうまく描けない。何枚も何枚もスケッチを描いて格闘しましたが、やがてやりがいを感じはじめました。ほかに面白かったのは、メディア文化研究論の授業。デザインや表現の社会的、歴史的な背景を考えるものですが、その考え方がいまの仕事に役立っているような気がします。自分が車のデザインしか見ないほどのカーマニアでなかったことが、逆によかったのかもしれません。

振り返ると、別々の夢を持った色々な人がひしめき合って課題をつくっている〈桑沢〉の環境がよかったと思います。個性的で尖った人も多い。別の分野を専攻している人が一緒の課題に取り組むことで、思わぬ発見があったり、刺激を受ける。狭いなと思っていた〈桑沢〉の小さな建物は、シェアハウスのように親密な雰囲気など、ほかでは得られない経験ができる場でした。

HONDA CIVICの先行スケッチHONDA CIVICの先行スケッチ

本橋 麻衣

総合デザイン科 スペースデザイン専攻
2012年卒業

本橋 麻衣 / インテリアデザイナー

1990年、東京都生まれ
2009年、東京都立工芸高等学校
デザイン科卒業
2012年、コクヨマーケティング株式会社入社

オフィスの空間設計の仕事をしています。どうしたら社員の方々が心地よく仕事できるのか、どんな会社にしていきたいのか。経営層の方々と対話しながら、企業理念をオフィスとして具現化し、働く人たちに使いやすい空間設計ができるよう努めています。〈桑沢〉での友人知人の関係はいまでも続いています。とりわけスペースデザイン専攻は縦横のつながりが深く、〈桑沢〉の卒業生がたくさん活躍しています。みんなで集まると「面白い学校だったね」と話し、またデザインの話題で刺激を与え合ったりしています。しかし学校では最初の頃、先生がアドバイスしてくれる内容が、まるで理解できませんでした。課題を見せても「前の方がよかったね」といわれたり、何度やり直してもダメ出しされたり。「先生は何を考えていて、どういう意図で発言しているのか」についてよく考えるようになり、だんだん問題点が見えてきました。自分なりに読み解こうとする力が培われ、それがいまの仕事につながっていると思います。仕事でも疑問を感じたらすぐに調べて、不明なところをなくす。そのうえで必要なもの、不必要なものを選別しながらデザインするという、論理的な方法を学びました。

また「構造」の授業では、好きなものに対して誠実かつ一生懸命な先生がいて、「こういう人になりたい!」という目標ができました。授業は学生にとって高度な内容でしたが、誰もがわかるように説明してくれて、失敗しても「ここはよかった」と褒めてくれる。専門性に生きる人の理想的なあり方を知りました。著名な設計者を調べて研究し、解釈したうえで、自分だったらどういう住宅を建てるのかを考える「住環境デザイン」も、中身の濃い授業でした。模型をつくり、プレゼンテーションをし、クラスでの講評会を経たのち、展示構成を考えて、パンフレットやDMを作成しました。多くの人に見に来てもらい、感想をもらった貴重な経験は、現在にも生きています。

デザインはものを形にするだけではなく、その人の行動を変えること。いま手がけているオフィス空間の設計は、色や形はもちろん重要ですが、そのなかで人がどう動き、どう感じるか、どんな体験をしてもらいたいかについて考えていきます。クライアントやそこに集う人たちに「お願いしてよかったです」といわれると、シンプルに嬉しい。それは学生時代には味わえなかった感情であり、開かれた社会性を獲得できてこそのデザインだと実感します。これからも楽しみながら人に影響を与えるデザインをしていきたいです。

某企業オフィスデザイン室某企業オフィス デザイン室

小田竜太郎

デザイン専攻科 スペースデザインコース
2012年卒業

小田 竜太郎 / 建築家

1989年、宮崎県生まれ
2008年、宮崎県立延岡星雲高等学校卒業
2010年、日本デザイナー学院卒業
2012年、磯崎新上海アトリエ
2015年、HMA Architect & Designers
2015年、株式会社 松山建築設計室

高学歴の人たちが多い建築業界のなか、私はバイタリティーで勝負しているのかもしれません。現在は、住宅やクリニックの設計を主とする建築事務所に所属しています。仕事の新しい依頼が入ると社内コンペで案を出し合うことになっています。そういうときは誰よりも多く案を出しています。上司からは、仕事で大事なのは学歴よりもデザイン力よりも、まずは人間力だといわれます。施主と予算やスケジュールの話をするためには、相手に信頼してもらえる人間でなければなりません。建築の面白さに目覚めたのは、18歳で入学した東京の専門学校を卒業する1年前でした。偶然、ある大学の卒業設計展を見て衝撃を受けました。「もう一度建築を学ばせてくれ」と親に懇願しました。友人や知人に聞いて評判のよかった〈桑沢〉の夜間部に決め、働きながら通いました。

 興味深かったのは住宅の授業で、建築史や基礎造形も好きでした。また自分が所属しているコースとは違う、昼間部の人たち、さらには他の分野を学ぶ年の近い人と出会えたことがすごくよかったなと思います。学生時代に面白い人と縁があるかどうかで、その後の自分が面白くあれるかどうかが変わってくると思います。いろんな背景をもちいろいろなことをやっている人たちに囲まれていると、自分ももっとやろうと思えてくるからです。〈桑沢〉には、ひとつのことにとらわれず、気軽にやりたいことに取り組む変化球タイプの人が多いです。先生たちは個性的で、ゲスト講師にも魅力的な方が来られます。それが刺激になり、柔軟性が自然と身につけられる環境があります。社会に出ると、特に建築の分野では勉強ができる堅いタイプの人が多い。でも周りからさまざまな圧力がかかる環境のなかでは、堅いだけでは折れてしまう。芯をもちながら柔らかくしなることが強みになります。

卒業後は日本を出たくなって、妻と一緒に上海に飛び出しました。しばらくして先生の紹介もいただき、日本人スタッフを募集していた磯崎新上海アトリエに入りました。驚くほど力をもった人が集まっていましたし、中国語と英語が話されるアトリエではじめは言葉もわかりません。8000平米もある博物館を担当したとき、現場との調整ストレスなどで体調を崩してしまいました。しかしその後もいろいろな縁をいただき建築の仕事を続けています。私自身、仕事をする場所は面白ければどこでもいい。フレキシブルにやってきた経験が、いまにつながっています。

模型(上)と平面・立面図模型(上)と平面・立面図

       

リブル 流可

総合デザイン科 ファッションデザイン専攻
2014年卒業

リブル 流可 / エディトリアルデザイナー

1990年、高知県生まれ
2009年、高知県立高知西高等学校卒業
2014年、株式会社 fairground入社
2016年、株式会社 ハースト婦人画報社入社

私は現在、雑誌『エル・ジャポン』の誌面レイアウトをするなど、エディトリアルデザインの仕事をしています。ポスターやサイネージ広告の制作も行っています。〈桑沢〉ではファッションデザインを専攻していましたが、入学以前からファッションに絞ることなく、広くデザインの仕事に興味を抱いていました。それは桑沢の卒業生でもあるデザイナー吉岡徳仁さんの作品を見たことがひとつのきっかけです。ジャンルにこだわらず、あらゆる素材を用いて、今までにない発想でものづくりをされている。そのクリエイターとしての柔らかな姿勢に憧れていました。幸いにも、〈桑沢〉では1年次にすべてのジャンルにわたってデザ インの基礎を学ぶことができます。グラフィックやスペース、写真など多岐にわたって自身の創作への思いを刺激する機会となりました。そうした多種多様なデザイン、素材やツールに触れるチャンスを得られたことが、現在の仕事においても、ジャンルや素材に囚われることなく挑戦しようとする自身のスタイルを形づくってくれているのだと思います。

〈桑沢〉での学びはどれも印象深く、興趣が尽きないものばかりですが、特にファッション論の授業は、現代のトレンドから時代ごとのデザインの変遷までを学ぶ、とても貴重なものでした。なかでも記憶に残っているのは「Fashion is always fake(ファッションはフェイクである)」という言葉。こうした授業でデザインの広範な考え方を知りました。また、プレゼン資料を作成するためにフォトショップやイラストレーターといった、仕事をするうえで欠かせないデザインソフトを習得できたことも大変実用的な学びでした。学生同士で行ったファッションショー も思い出深いものです。自分がデザインした服を出展したり、他の人がデザインした服を着るモデルをしたりと、ショーの舞台裏を経験することができました。イベント運営は慣れない工程も多く、大変ではありましたが、その中でたくさんの先輩や後輩たちと出会い、多くを学びました。

〈桑沢〉は人と出会う環境としても恵まれています。授業は少人数なので、お互いにゆっくりとつき合うことができます。私は先輩や先生、友人たちにとても恵まれたと思います。同じ専攻の人だけではなく、ジャンルを超えて得られた出会いが自分にとっての宝物です。社会人になったいまも、仕事で困ったことがあると真面目に相談にのってくれたり、あるいは一緒にふざけたりもできる。別の仕事をしていても、ともにデザインの話ができる仲間がいる。かけがえのない学生生活が送れました。

ELLEJAPON『ELLE JAPON』 2017年1月号

長嶋 千耶子

デザイン専攻科 ファッションデザインコース
2003年卒業

長嶋 千耶子 / デザイナー

1982年、神奈川県生まれ
2000年、川崎市立川崎総合科学高等学校
ビジュアルデザイン科卒業
2003年、株式会社 ラピーヌ入社、以後
株式会社 ワールド
株式会社 イッツ・デモを経て
2011年、Ever Green-weddingを設立

オーダーメイドのウエディングドレスを制作しています。ブライダル関連のアクセサリーデザインや製造も行っています。ウエディングドレスは普通、一度着て終わりです。しかしいまはアニバーサリーウエディングとして結婚から何周年の記念にもう一度着たり、よりシンプルなワンピースに直したり、染色して着続けたりする方もいます。お客様の希望を聞きながら、生地の素材やデザインを考えています。この仕事をしたいと思ったきっかけは、中学3年生の頃に母親に連れられて行った「ザ・ウエディングドレス」展(伊勢丹美術館)でした。プレタポルテやオートクチュールのファッションショーで最後に登場するドレスだけを集めた展覧会で、あるブランドのウエディングドレスにとても感動しました。その瞬間、自分のブランドを立ち上げたいと思い、その日から毎日、ドレスのデザイン画を描き続けました。当時の展覧会のチケットはまだ手元に置いています。高校でデザインの勉強をしていましたが、卒業後の進路を選ぶときに、デザインの仕事をしていたことのある叔母から、〈桑沢〉を勧められました。私も、大きな学校ではなく少人数でじっくりと学んでいける〈桑沢〉が自分には合っていると 思いました。

〈桑沢〉の授業では、ファッションとはまったく関係のないものから得た着想を、ファッションに落としこんでいく授業が面白かったです。数寄屋建築の写真集を見て、自然に融和しようとする建て方や、庭の木漏れ日がつくる陰影から形やテキスタイルを考えました。あるいは自分の好きな芸能人をモデルにして、その人のファッションプランを考えたりすることも印象深い。何もないところから考え、実際に着られる形に落としていくためのデザイン力が、この時期に身についたと思います。

〈桑沢〉では専攻以外のジャンルのデザインも学べるため、それが発想の幅を拡げる訓練になったかもしれません。現役で活躍する講師が来られているのも魅力です。現代は晩婚化が進み、女性は30代で結婚する人が全体の半数以上になっていきます。しかしウエディングドレスのデザインは20代を想定したものが多いようで、その世代に合うレンタルのウエディングドレスが少ない。独立当初にオーダーをくださったのも40代の方です。「やっと私の着られるドレスに巡り会えた。これで自分も結婚式をやっていいと思えた」と。その言葉を励みに、この道をどんどん進もうと思っています。

オーダードレススオーダードレス。〈桑沢〉同級生に作ったもの

本名 夏美

総合デザイン科 ファッションデザイン専攻
2007年卒業

本名 夏美 / バッグデザイナー

1985年、千葉県生まれ
2003年、東京学館総合技術高等学校卒業
2011年、髙野縫製に入社

鞄のデザイン制作と販売をしています。鞄の面白さは、それ自体は大きくないのにひとつひとつに、そしてひとりひとりに世界観がしっかりとあるところです。ものを見て、その型を起こす技術は〈桑沢デザイン研究所〉で学びましたが、素材である使う革についてはまったく知らなかったので、カバンをつくる教室に通いました。
大きな会社ですと売上げを数字でしか把握できないものですが、いまの仕事は目の前で自分のつくった鞄が売られていく、その現場を肌で感じられるのが魅力です。「思い描いていたとおりの鞄です」という言葉をお客さんからいただくのがうれしいですね。

高校生のときからファッションを勉強し、当時は進学先に迷っていました。しかし、カリキュラムの選択肢が多いことが、〈桑沢〉への決め手となりました。講義で先生のお話を聞いているだけで十分面白い。着物が好きでしたから、荒井修先生の「江戸の文化と美意識」の授業が特に印象に残っています。
課題でジャケットをつくる機会がありましたが、自分のなかではしっかりとしたイメージができているにもかかわらず、経験不足ゆえに思い通りの形にならないことが悔しかった思い出です。好き勝手につくりたいものをつくるのではなく、何のために誰に向けてのものかという目的意識をもち、ひとつひとつ経験を積み重ねていく大切さを学びました。イメージ通りにいかなかったところを認識し改善するのは仕事をしていく上で重要なことです。

〈桑沢〉のファッションの強みは、少人数制なので疑問に思ったことや聞きたいことはすぐに聞くことができる点です。また秋の「桑沢祭」では自分でやろうとすれば何でもできるチャンスがあります。私は友人に誘われて、舞台衣装を制作しました。生地やモデルのサイズを渡されて、型紙を引いていく作業はいまの仕事と繋がっているのかなと思います。

千年トート(大)千年トート(大)

パッチトートパッチトート

比嘉 一真

デザイン専攻科プロダクトデザインコース
2009年卒業

比嘉 一真 / プロダクトデザイナー

1983年、沖縄県生まれ
2010年、バルミューダ株式会社に入社

現在はプロダクトデザインを担当しています。製品のデザインからパッケージ、取扱説明書など製品にまつわるすべてのデザインに関わっています。また、Webデザインやカタログ、販促用のCG、製品写真の撮影など、外部へ委託することなくすべて自分たちでつくります。「製品の最初から最後まで、すべてをきちんとつくり込む」妥協のない姿勢は、〈桑沢デザイン研究所〉で学んだことを実践しています。

〈桑沢〉に入学する前は、専門学校でインテリアの勉強をしていました。そのときは昼間部でしたが授業中に居眠りする人がいたりと、切磋琢磨できる環境ではなく、もう一度学ぶのであれば本気で学びたい人たちが集まりそうな夜間部への入学をと思い決断しました。
〈桑沢〉ではとにかくすべてが楽しかったですね。年齢も幅広く、自分にはないバックグラウンドをもった人たちがたくさんいてとても刺激になりました。カリキュラムでは「発想ワークショップ」がとくに印象に残っています。製品コンセプトを着想し、確立。そのコンセプトから導かれる形状を検討し、模型をつくって最終的に発表するという流れは、いまやっている仕事にそのまま直結しています。私はスケッチが苦手でしたが、限られた時間のなかで学べるものを絞りました。それが模型でした。
昼間はインテリア雑貨のセレクトショップで働き、休みのときなど時間があれば工作室に行って手を動かしていました。その当時の技術指導員の先生の紹介でいまの会社に入ったのですが、現在は50人ほどの会社も私が入社した時はたったの3人。まだまだ大きくはない会社だからこそ、チームで自由に製品をつくることも、チームの誰が何をつくっているかが明確にわかることも貴重な経験になっています。

時代に沿った製品をつくり、世の中へ貢献できる技術と美しいデザインをあわせもった製品を送り出せるように、これからも精進していきたいと思います。

Green Fan JapanGreen Fan Japan

RainRain

佐々木 絵美

デザイン専攻科ビジュアルデザインコース
2006年卒業

佐々木 絵美 / シューズデザイナー

1979年、千葉県生まれ
2002年、千葉工業大学工学部工業デザイン学科卒業
2006年、コンバースフットウェア株式会社に入社

性別や世代を問わずあらゆるタイプの靴をデザインするのが基本です。シーズンによって異なりますが、リボンやフリルのついた女性ターゲットのものや、メンズ、そして子ども向けの商品を最近は担当しました。

〈桑沢デザイン研究所〉に入学する前は大学で工業デザインを専攻しており、そこでの研究テーマは靴と歩行の関係でした。靴は服以上に、人間工学の側面も強く、ずっと靴のデザインをしたいと思っていました。しかし望みはかなわず、スポーツ用品の卸売りの会社に就職し、担当はカタログなどのデザインでした。そこでデザイン力が足りないことを痛感。高校の時に先生から薦められた〈桑沢〉のことを思い出し、ビジュアルデザインを勉強するために入学しました。
〈桑沢〉では分野を超えてデザインの基礎から学ぶことができます。機械を使う以前に手作業で1からものを考えることを教えてもらえます。大学時代はパソコンを使ってデザインをしていましたが、〈桑沢〉は手でつくるのが中心です。この手でつくる経験は社会に出て働いてみて、靴のように、色々なデザインの要素で成り立つ立体物を扱う際に役立ちました。現在の仕事では1カ月に20アイテムほどのデザインをこなさなければならないこともよくあります。在学中に大変だった、短い時間内にクオリティの高く、しかも同じ週にいくつも重なった「課題」が血となり肉となり、いまを支えているのかもしれません。

靴のデザインの1番難しいところは、ただ「かっこいい」や「かわいい」デザインを考えるだけでは足りず、機能性、そして市場のニーズを意識しながらつくらなければならないところです。そうした条件のなかで、サンプルがイメージ通りに上がってきたときや、街中で自分が苦労してつくったものを見かけたときに喜びを感じます。将来の夢や希望は、デザインだけでなく、製品の包括的なコンセプトを考える企画などに携っていけたらと思っています。

(左)オールスターシャービーOX/レディース向けの商品。かかとのリボンが自分で結べるようになっている(右上)。(右下)ベビーキャンピング/ベビー向け商品。クラシックアウトドアを意識。(左)オールスターシャービーOX/レディース向けの商品。かかとのリボンが自分で結べるようになっている(右上)。
(右下)ベビーキャンピング/ベビー向け商品。クラシックアウトドアを意識。

日下部 昌子

リビングデザイン専攻科・グラフィックデザイン研究科
1995年卒業

日下部 昌子 / グラフィックデザイナー

1973年、新潟県生まれ
1992年、文化学院高等部美術科卒業
2000年、佐藤卓デザイン事務所に入社

化粧品や食品のパッケージ、手帳本体と手帳カバー、書籍、店舗のロゴや内装、子ども向けテレビ番組のグラフィックなどを担当しています。
高校は美術科で学び、グラフィックデザインに親しみがあったので〈桑沢デザイン研究所〉への入学を決めました。1年次で受けた授業はどれも面白く、2年次になるときは専攻を何にしてよいのか逆に迷いました。思い出深いのは、テープディスペンサーをつくる授業で、素材から使い方や置かれる場所まで考えながら、とても楽しく制作をしたことです。

〈桑沢〉の学生はさまざまな個性をもちつつも、共通項である「デザイン」と真剣に向き合っている雰囲気に、私自身大いに刺激されました。凝縮された2年間のうち、日々の課題をこなすだけでなく、デザイン会社でアルバイトをしたり、〈桑沢〉のある渋谷という場所柄、展覧会やデザイナーのトークショーなどへ足を運んだりと、忙しくも充実した学校生活でした。
〈桑沢〉の授業では課題の内容だけでなく、仕上がりにもクオリティの高さを求められました。1年次の基礎的な立体課題では、先生方に厳しくチェックされることで細部もていねいに仕上げるよう鍛えられました。基礎の授業において再三これを行ったことで、無意識のうちにていねいに仕上げる癖が身についたので、デザインの構想を練る部分に集中することができるようになりました。このことは、その後の課題制作や卒業制作のみならず、いまの職についてからも自然と生かされています。

現場で大切なものはデッサン力と、アイデアの元となる情報のインプットです。インプットされたものの中から自分のイメージ通りにアウトプットを行う際に、デッサン力が必要となります。私は生活の場に置かれることを想像し、使う人のことを考えて日々デザインしています。今後も、日常で使っている間に知らず知らずに意識のあり方や生活が潤っていく、そういうものをデザインできればと思います。

NHK Eテレの番組「にほんごであそぼ」関連商品NHK Eテレの番組「にほんごであそぼ」関連商品

写真絵本『手から、手へ』写真絵本『手から、手へ』

NHK Eテレの番組「にほんごであそぼ」関連商品ほぼ日手帳〈世界の伝統柄シリーズ、SSACK〉

荒井 貴文

総合デザイン科ファッションデザイン専攻
2005年卒業

荒井 貴文 / シューズデザイナー

1983年、長野県生まれ
2002年、私立和光高校卒業
2014年、Diesel Italy propsに入社

イタリアでアパレルブランドの靴部門のデザインを担当しています。会社内でデザインのほかに、休日に外注、アウトワーカーとしてクラシックなオーダーメイド革靴の底付け作業をすることもあります。ファッションアイテムのなかでも特に独特な構造バリエーションやデザインパターンの豊かさが靴の魅力のひとつです。

現在は靴に魅了されていますが、高校時代はやりたいことがわからず、ファッションに関係する仕事にぼんやりと興味があっただけでした。〈桑沢デザイン研究所〉へ入学したのは、母の母校でもあり総合教育という面でさまざまな分野のデザインに触れることができると聞いていたので、志望する仕事を見つけていけたらいいなと思い決めました。〈桑沢〉に入ってから色々な分野のデザイン、ファッションの学習を通して靴に出会いました。
学生時代の私は優等生とはほど遠いもので、課題以外は本当に靴づくりに没頭していました。平日の夜は毎日のように浅草の靴工場に通い、仕事を終え残っている職人さんを捕まえては自分がつくったものを見ていただき、靴づくりに関するパターンメーキングから製甲、底付け作業までたくさんのことを教えてもらいました。学校の課題だけでは得られない、「積極的に突き詰める」面白さ、そして大切さに気づかされました。
『東京コレクション』の際は授業を抜け出しジャンルを問わずショーを観たり、有名デザイナーの講演会に参加したりと他の分野に幅広く触れたこと、最終学年次に「靴」という形で自分を自由に表現したものを先生方に見ていただけたのは、とてもよい思い出です。このような活動、行動を見守りやりたいようにやらせてくれるのも〈桑沢〉のよいところだと思います。その経験はいまの道に進む大きな助けになりました。

将来はファッションの中心パリで、トップブランドの靴をデザインするのを目標に、流行に流されない、ずっと残っていけるような靴をつくることができたならと思っています。

ITS 2014出品作品ITS 2014出品作品ITS 2014出品作品

ITS 2014 アクセサリー部門YKK特別賞受賞作品ITS 2014 アクセサリー部門YKK特別賞受賞作品

髙平 洋平

総合デザイン科スペースデザイン専攻
2011年卒業

髙平 洋平 / インテリアデザイナー

1985年、東京都生まれ
2005年、東京都立豊島高等学校卒業
2011年、株式会社内田デザイン研究所

「内田デザイン研究所」に入所して4年目、内田繁所長の指導のもと、ホテルや旅館の改装や展覧会会場のデザインの仕事などを担当しています。
〈桑沢デザイン研究所〉で過ごした時間は、ゼミの担当教員がいまの上司であることにもつながっているのですが、デザインの現場に近く、新しい発見や次の一歩を踏み出すためのヒントに充ちていました。

もともと大学で情報デザインを学んでいましたが、1カ月ネパールを旅して、デザインを根本的に勉強し直したいと思い立ち、〈桑沢〉に入りました。空間デザインを選んだきっかけは、1年次の基礎デザインの授業と、旅行で行ったニューヨークでの体験が決め手でした。ディア・ビーコンという現代美術館で、リチャード・セラの彫刻作品を見たのですが、巨大な鉄板の塊の中に入り、巡回して辿りついた円形の空間があまりにも劇的で、感動をおぼえました。もともとビジュアルデザイン専攻を希望していましたが、それらの体験から、迷うことなくスペースデザインに進みました。
2年次に取り組んだ、篠原一男設計の住宅横に、住宅を設計するという課題も印象に残っています。現代は透明で軽やかな建築・デザインが主流ですが、篠原氏の空間がもつボリューム感と、その魅力を最大限に導き出す象徴的な視点に驚かされました。当時の自分にどこまで理解できていたかは、はなはだ疑問ですが、現代に逆行するようなプロポーションや量感が体に染みてきて、作品のリサーチを通しその時代の人たちの思いを深く体感することを学んだように思います。

今の仕事では、自分が描いた線が形になるのが面白いと思う反面、ここは足りなかった、神経を払うべきだったと反省することも多い日々です。しかし、私が経験したように、いつか人の心を動かせる空間をつくっていきたいと思っています。

内田デザイン研究所展2012  写真=Satoshi Asakawa内田デザイン研究所展2012 写真=Satoshi Asakawa

福島ホテル辰巳屋 しのぶの里  写真=Satoshi Asakawa福島ホテル辰巳屋 しのぶの里 写真=Satoshi Asakawa

「THE MIRROR」展 レセプションデザイン「THE MIRROR」展
レセプションデザイン
写真=Takahiro Fukumori

黒江 美穂

総合デザイン科 ビジュアルデザイン専攻
2010年卒業

黒江 美穂 / 展覧会企画

1987年、神奈川県に生まれる
2012年、D&DEPARTMENTに入社
「d47 MUSEUM」を担当する

渋谷ヒカリエ8階にD&DEPARTMENTが展開している3つのスペース、ミュージアム、ストア、食堂のうち、私はミュージアムの企画を担当しています。3店舗とも、47都道府県の魅力をデザインの視点から紹介しています。

仕事の内容は、どういう展覧会にするかの企画の案を出すこと、そして企画をどう見せるか、出展品のリサーチ、交渉、展示……と、すべてに関わります。地域や地方の魅力を伝えるものとなると伝統工芸品などを連想しがちですが、例えば、スーパーで売られているものなど、身近な日用品も47都道府県ごとに見ると、その土地の個性が見えてきます。企画のリサーチでは、D&DEPARTMENTの活動に賛同してくださる各地の協力者の皆さんから、その土地ならではの話を聞くこともできます。仕事が東京に集中するので自分が出かけていく機会はそれほど多くないですが、企画や展示をするなかで、行きたい場所、会いたい人がどんどん増えてきています。

就職のきっかけになったのは、〈桑沢デザイン研究所〉でD&DEPARTMENTの創業者であるナガオカケンメイのゼミに参加したことです。いま振り返ると、どうデザインするかではなく、どうプレゼンテーションするかを延々と演習する内容でした。いまの仕事も、ある意味で日本の面白さを人に伝えるプレゼンテーションです。人に何かを伝えることは難しいですが、そこに挑戦し続ける面白さと大切さを〈桑沢〉で学びました。

糸にまつわるものづくり、「繊維製品」をテーマにした展示の様子糸にまつわるものづくり、「繊維製品」をテーマにした展示の様子

「お中元」をテーマにした展示の様子。 2013年「お中元」をテーマにした展示の様子。 2013年

高橋 俊之

グラフィックデザイン研究科
1994年卒業

高橋 俊之 / アートディレクター

1972年、埼玉県に生まれる
1997年、有限会社G設立
2006年赤城乳業と共同出資で有限会社ガリガリ君プロダクション設立

1999年以来「ガリガリ君」のパッケージ、CF、広告など、デザインのみならず、イラストも含めすべてを手がけています。ポッカサッポロの「リボンちゃん」に関わるイラスト、パッケージ等も主な仕事の一つです。
どちらも、自分が子供の頃からあった商品のキャラクターです。僕の仕事は、それらのキャラクターを見つめ直して、本来備わっている魅力を見つけ、強めてあげることだと思っています。「みんなが知っている」ものに携われるのは、責任感もあり、やりがいがあります。

中学3年生のときに、父に尋ねたんです。「僕は将来、絵を描いたり、ものを考えたりする仕事に就きたい」と。すると美術教師をしていた父が「それは、デザイナーという仕事だろう」と。〈桑沢〉のことは、そのとき進路として勧められてはじめて知りました。

〈桑沢〉は立地が素晴らしいですね。故郷の埼玉から原宿、渋谷に出てくるのはワクワクしました。学校近くの東急ハンズは大好きで、よく画材を物色しに出かけました(いまでもよく子供たちと行きますね)。そういう場所の面白さが、頑張って勉強しようというモチベーションに一役買っていたように思います。

111111999年からの「ガリガリ君」全面リニューアル、現在デザインのすべてを手がける

喜屋武 タケル

デザイン専攻科プロダクトデザインコース
総合デザイン科プロダクトデザイン専攻
2006年卒業

喜屋武 タケル / プロダクトデザイナー

1983年、沖縄県に生まれる
NORI INC..(ノリインク)に入社
2014年、同社取締役デザインディレクターに就任

私はいま、プロダクトデザインの仕事、主にカーデザインを担当しています。
〈桑沢〉に入学して驚いたのは、課題の量。毎週、作品の提出が求められ、在学中はいつも手を動かしていたことを強烈に記憶しています。課題に追われる毎日。でも、不思議とその生活をつらいと感じたことはありません。そのおかげでいまでも机に向かうと、すぐにエンジンがかかります。

印象深かったのは、「ハンドスカルプチャー」。手でもったときの心地よさを頼りに、木片を削っては握り、握っては削る。「無」から「有」へ。感覚だけで作品をつくり上げた経験は、いまもプロダクトデザインの現場で役立っています。

そして、さまざまな経歴や年齢の同級生たち。自分のやりたいことに前向きで、真剣に取り組む姿勢は大きな刺激になりました。みんなでお金を出し合い、「動物」をテーマにしたプロダクトで展覧会を開いたこともあります。

私がやりたかったのは、大好なオートバイのデザイン。卒業制作ではバイクをつくりました。いまではバイクもデザインする機会があり、〈桑沢〉で学んだことがつながりました。プロダクトデザイン、特に車のデザインはずっと続けていきたいと思っています。

コンパクトカー:コンパクトカーのデザイン提案コンパクトカー:コンパクトカーのデザイン提案

グッドデザイン賞を受賞したクローラークレーングッドデザイン賞を受賞したクローラークレーン

北山 博文

デザイン専攻科プロダクトデザインコース
2009年卒業

北山 博文 / パッケージデザイナー

1977年、埼玉県に生まれる
大学卒業後、自動車部品会社で営業職として勤務の後、ザ・パック株式会社に入社

紙、段ボール、フィルム。多様な素材のパッケージを手がける会社で、紙箱(紙器)の形をデザインしています。
包装は商品の第一印象を左右するものですから、 商品を保護する機能のほかにコミュニケーションツールとしての重要な役割があります。組み立てやすさやコスト要件をクリアした上で、売り場で商品を際立たせ、お客様に選んで頂ける包材を生み出すことが私の仕事です。「紙器」は、ほかの多くの工業製品と違い、平面から立体に変化する点に面白さがあります。複雑な形状の箱も、展開すると一枚の紙になったりします。制作にはCADという設計ソフトも使用しますが、そこにいたる過程では切ったり折ったりを繰り返し、平面からカタチを生み出していきます。
〈桑沢〉では、コンピュータを使った作業よりも「手を動かすこと」の大切さを学びました。特に工作室には友人たちと入り浸ってモノをつくっていたことを覚えています。考え、スケッチをして、モデルをつくる。
手を動かして発想をする、〈桑沢〉はその原点だったのだと思います。
 また年齢も経歴も違うクラスメイトからたくさんの刺激を受けられたのも、〈桑沢〉の良さだったと思います。「千円で何ができるか」という発想とプレゼンテーションの課題では、千円でインスタントカメラを購入し、クラス一人ひとりにメッセージを掲げてもらって写真撮影をしました。卒業目前の課題で、仲間の「思い」をパッケージしたいと思ったのです。クラス全員でギャラリーを借りてグループ展を開いたり、連帯の強い仲間たちでしたので、いまでもよく顔を合わせていますし、卒業した後も皆お互いに刺激し合えているのではないかなと思います。

お菓子や缶飲料のためのさまざまな形の箱お菓子や缶飲料のためのさまざまな形の箱

携帯電話の内箱(緩衝材)。組立式の段ボールを採用するケースが増えている。樹脂や成型品に比べコストメリットがあり、また環境負荷が低く、ゴミの減量に繋がる携帯電話の内箱(緩衝材)。組立式の段ボールを採用するケースが増えている。樹脂や成型品に比べコストメリットがあり、また環境負荷が低く、ゴミの減量に繋がる

粟野 雄介

デザイン専攻科スペースデザインコース
2012年卒業

粟野 雄介 / インテリアデザイナー

1986年、東京都に生まれる
nendoに入社

nendoは、建築、インテリア、プロダクト、グラフィックと幅広くデザインを手がけています。社内は大きくは、「クウカン系」と「モノ系」に分かれていて、私は「クウカン系」を担当しています。とはいえ、両チームには連携が不可欠で、厳密な区切りはなく人が業務を行き来しているイメージです。仕切りのない同じフロアにすべてのスタッフがいるので、離れた席での打ち合せも耳に入ってきて、それが自然な形の情報共有として役立っています。
〈桑沢〉では4、5人で組んで作品をつくるグループ課題が印象に残っています。当時はクラス委員をやっていて、クラスをまとめる役割を担っていました。作品づくりも力を入れていましたが、同時に、人間関係を築くことも大切にしていました。デザインは、一人の力で生まれるものではないと考えていたからです。
グループ課題のチームメンバー達とは、毎日のように食事に行っては、デザインについて議論を繰り返していました。そして現在、nendoでも同じスタイルで仕事に取り組んでいます。スタッフ間でよくコミュニケーションをとり、アイデアを出し合います。常にチームの「総力戦」という意識でプロジェクトに向かっています。

2013年11月に代官山蔦屋書店で行ったnendoの展示会「blue rooms 」2013年11月に代官山蔦屋書店で行ったnendoの展示会
「blue rooms 」

西武渋谷店の婦人服セレクトショップ「COMPOLUX」西武渋谷店の婦人服セレクトショップ「COMPOLUX」

西尾 健史

デザイン専攻科スペースデザインコース
2008年卒業

西尾 健史 / インテリアデザイナー

1983年、長崎県に生まれる
2009〜2012年、建築設計事務所に勤務
2012年、DAYS.設立

空間デザインを中心に、家具製作、ワークショップの主催など幅広く活動しています。共通しているのは「人とモノ、人とまちの関わり方」です。きっかけは東日本大震災でした。当時は設計事務所に勤めていましたが、復興のために自分にできることを模索しました。大工なら家を建てれるし、料理人なら食事をつくれる。
ではデザイナーは目の前の人に対して何ができるだろう、と。それを機に生活観だけでなく仕事観も変わりました。例えば椅子をデザインするときでも、完成品の少し前段階から使い手に関わってもらう提案をするようになりました。素材やプロセスを提示して、制作に参加してもらう。すると、もし壊れたときでも、買い替えるほかに修理という選択肢が生まれます。いわば、関わり方をデザインしているわけです。

〈桑沢〉では既成概念をどう壊すかを学びました。印象に残る渋谷をテーマにした課題では、自宅から学校までの地図をコラージュして、家の間取り図として再構成する図面をつくりました。その意識はいまも一貫していて、例えば、近くにある銭湯や仲間の集まれる食堂は、自分にとっての離れのお風呂やダイニングスペースのように捉えることができるなど、住んでいるまち全体を使って暮らしの間取りを描くような意識を持っています。
地域のまちづくりグループと共にまちなかでイベントを企画したりと、まちとの新しい関わり方のなかから、豊かな暮らしとは何か、と試行錯誤する日々です。

Ever and Never: the art of PEANUTS。森アーツゼンターギャラリーで2013年に開催のスヌーピー展のための物販スペースの設計Ever and Never: the art of PEANUTS。森アーツゼンターギャラリーで2013年に開催のスヌーピー展のための物販スペースの設計

左)Play Wood Light 右)U chair。石巻工房と協力した家具左)Play Wood Light 右)U chair。石巻工房と協力した家具

伊藤 智之

ファッションデザイン研究科
1996年卒業

伊藤 智之 / パタンナー

1996年、株式会社オンワード樫山に入社
入社以来レディスパターン担当
ICB、組曲、anyFAMなどのブランドパターンを経験
2011年3月より現在の技術開発担当となる。技術開発では海外工場への技術指導、マニュアル作成、社内パタンナーに向けた技術研修の講師などをおこなっている

パタンナーの仕事は、デザイナーが描いたデザイン画をもとに服の形をつくる(型紙をつくる)ことが仕事です。しかし実際にはもっと幅広い業務があります。
たとえば、工場とのパイプ役になる、つまり工場に委託をし、具体的に商品にするための仕事もおこないます。私は今、新しい生産計画、新ブランド立ち上げなどの際、中国などの工場に行き、技術指導をしています。また、社内パタンナーに対し技術研修をおこなうことで工場とパタンナーをつなげる仕事もしています。

仕事はとても大変です。でも〈桑沢〉で課題に追われたあの厳しさを振り返れば、大抵のことはやっていけるという思いがあります。たとえば構成の授業で徹底的に基礎を学んだ形、色に対すること。それが今『服の形をつくる』『マニュアルをつくる』などさまざまな場面で生かされていると感じます。いつ役に立つのかわからない。でも将来、自分のためになる学びが〈桑沢〉ではできるのではないでしょうか。

そして、グラフィックデザインやプロダクトデザインなどさまざまな分野の同級生、先輩、後輩たちとの出会い。それは社会に出た際に、違う業界の人たちと〈桑沢〉でつながるきっかけにもなります。

ファッションの世界でも急激なグローバル化が進んでいます。しかし服をつくるということはなくなりません。そんな中で自分が携わった服を着ている人を街中や広告などで見るとワクワクし、この仕事のやりがいを感じます。気に入った服を買うとき、そして着ているときの高揚感。
一人ひとりの「笑顔」に結びつく商品をつくる。それが私の夢です。

ジャケットシルエット見本と製品見本工場(中国)での研修の様子

工場(中国)での研修の様子ジャケットシルエット見本と製品見本

平井 崇史

デザイン専攻科ファッションデザインコース
2008年卒業

平井 崇史 / テキスタイルデザイナー

1983年、埼玉県に生まれる
株式会社Good job でファッショングラフィックとテキスタイルデザインを手がける
2011年、独立。〈F design office〉を設立
2013年より、埼玉県立越谷総合技術高校服飾デザイン科非常勤講師

自分の力を試したくなり、勤めていた会社を辞めて独立したのが2011年。Webや口コミで仕事が広がっていまにいたります。

仕事ではさまざまなブランドのテキスタイルやグラフィックデザインを担当しています。ブランドごとに世界観がありますので、そのブランドの世界観に合わせたテキスタイルを提供する事を意識しています。
担当デザイナーが何をやりたいのか、どんな服が好きなのかをじっくり伺い、ブランドの公式なイメージから、デザイナー個人の嗜好に耳を傾けたりと、できるだけ実際に会って話をします。ともすれば、メールや電話で打ち合せをし、パソコン一つで完結することもできますが、生の声を聴き、コミュニケーションをとることは意識的に実践しています。
ファッションデザイナーは信念を強く持ち、個性がぶつかることもありますが、〈桑沢〉の夜間クラスに在籍して、癖の強い人たちと毎日接していた経験が生きているかもしれませんね。

〈桑沢〉では、デザインの基本をきちんと学ぶカリキュラムが組まれていたことが印象に残っています。現在私も非常勤講師として高校の授業を受け持っておりますが、画用紙のなかで色や形を構成する生徒たちの課題を見ながら「基本は大切」とあらためて気づかされます。モチーフに大小のメリハリをつけたり、差し色を入れたりといったルールは、〈桑沢〉で学び、現在の仕事にそのまま発揮されています。

平井さんの手がけたテキスタイルデザイン平井さんの手がけたテキスタイルデザイン

片岡 徹弥

デザイン専攻科ビジュアルデザインコース
2011年卒業

片岡 徹弥 / イラストレーター

1986年、宮崎県に生まれる
2009年、宮崎公立大学卒業
2011年桑沢デザイン研究所卒業後、 イラストレーターとして活動を始める。
主に書籍や雑誌の挿絵、ミュージシャンのグッズやアートワークを手がける。

現在はイラストレーターとして、雑誌の挿絵、ミュージシャンのグッズやライブのチラシなどのアートワークを手がけています。

絵に関係した道に進みたいと思い始めたのは、高校時代です。ラグビー部を引退した秋から美術部に入ったため、受験には全く間に合いませんでした。一年浪人をし、美術とは関係のない地元の大学へ進学しました。
どうしてもデザインをやりたい。〈桑沢〉を知ったのは、大学のゼミの先生が昔、〈桑沢〉の先生だったことと、ひとつ上の先輩が〈桑沢〉に入学したことです。このふたりから授業などの話を聞いて興味が強くなりました。
〈桑沢〉に入って最も刺激を受けたのは、同級生の存在です。「デザイナーになりたい」と自分と同じ意志を抱く人たちです。彼らが授業や課題でつくった作品を見たときに、まず出てくるのは「すごい」「くやしい」という感情でした。地元にいたときにもっていた自信はすっかり失いました。また、デザインに対する考え方 も変化しました。授業では「こういう場面を想定してつくりなさい」という実践的な課題が出ます。ここで初めて、クライアントの存在を意識しました。

入学当初は、グラフィックデザイナーになりたいと思っていましたが、思うように自分のデザインができません。「デザインってどうやったらいいんだろう」と悩む日々。1年生の終わりごろ、授業の課題に自分のイラストを入れてみました。それが思った以上に周りからの評判がよくて、自分がイラストに向いているかもしれないと思ったのが、イラストレーターになるきっかけです。

在学時にイラストを描き始めると、いろんな展覧会に行くようになりました。そこで他の学校でイラストを描いている同世代の学生たちと仲良くなり、影響を受けました。
自分よりいいイラストを描いている人たちがたくさんいる、「みんながんばっている」と。イラストレーターとして仕事ができるようになったのは、彼らに負けたくないという気持ちと、「大丈夫、自分ならなんとかなる」というある種の自信がもて るようになったからだと思っています。

かんたんdancyu『ハンバーグラブ』(プレジデント社・プレジデントムック) 千年トート(大)

太田 みなみ

総合デザイン科ビジュアルデザイン専攻
2009年卒業

太田 みなみ / グラフィックデザイナー

1988年、東京都に生まれる
2009年、株式会社ヘルメスに入社
チーフデザイナーとしてパッケージを中心に担当

チーフデザイナーとしてパッケージを中心に担当しています。具体的には、パンやゼリー、ジャム、化粧品やネイルのパッケージ。そして、リーフレットなどの販促物、季刊誌などの冊子も手がけています。

パッケージデザインは、商品に合った形状から考えて制作する場合と、形状やサイズが決まっているなかでデザインする場合があります。この仕事でやりがいを感じるところは、私がデザインしたものがスーパーなどに並んでいたり、身近な人や自分も生活のなかで使っていたりすることです。

〈桑沢〉は一年生でいろんな分野を経験し、そのうえで専門に絞っていきます。実践に近い授業が多くあって、幅広く学べることができたことがよかったです。3年時の卒業制作「ゼミ」は、少人数のアットホームな雰囲気でのびのびと制作できました。ゼミには専用の部屋があり、私は友だちと一緒にその部屋で、勝手に自分たちの作品を並べて、展覧会をしたこともありました。
ゼミでは全体の講義とは別に、外部から実際に現場で活躍しているデザイナーを講師に呼んでくれました。有名な講師の方たちからいろいろ話を聞くことができ、よい刺激を受けました。特に、アートディレクターの森本千絵さんの講義が印象に残っています。さらに、森本さんの事務所に遊びに行かせてもらい、自分の目でデザインの現場を見ることができたのは、貴重な体験になりました。

私は、卒業制作で「ぎょうざ展」という作品を制作しました。ぎょうざが好きなので、小さい布でつくったぎょうざをお風呂に敷き詰めた「水ぎょうざ風呂」や、鉢のなかにぎょうざを入れて、金魚に見立てた「金ぎょうざ」。さらにはぎょうざの皮のパックなど、ぎょうざにからめたいろいろなものを制作しました。
先生が今でもゼミでこの卒業制作を紹介していると伺います。以前、私が会社の採用の窓口を担当していた頃、うちの会社に受けに来てくれる〈桑沢〉の子に「『ぎょうざ展』の方ですよね」と言われることがありました。それがとてもうれしかったです。

ジャム「Sun&Table」(ソントン株式会社)のロゴ、パッケージデザイン 季刊誌『W.PLEASURE』(株式会社京王プラザホテル)のレイアウトデザイン

岡崎 利憲

総合デザイン科プロダクトデザイン専攻
2013年卒業

岡崎 利憲 / プロダクトデザイナー

1987年、福島県に生まれる
2010年、東洋大学卒業
2013年、シチズン時計株式会社入社

〈桑沢〉の3年間は楽しいけれど忙しい、充実した毎日を送りました。私は大学を卒業してから、〈桑沢〉に入学しました。大学との違いは環境です。周りの同級生たちも、デザインという同じ方向に向かって切磋琢磨している。授業では求められる質が高い。そのために、大学時代よりもスケッチを描き、モックアップも高い品質のものを提出しなければなりません。でも、周りのモチベーションが高いので、それにつられてがんばることができました。

私は会社で海外に向けた時計をデザインする部署にいます。海外と日本では規格が違います。文字盤のテイストや時計自体のサイズなど、国によってバリエーションが違います。世界で受け入れられるデザインを考えなければいけないので、狙いどころがなかなか見えないのが大変です。

社会に出て、〈桑沢〉で学んだことで役立っていることが、3つあります。
まずひとつは、手を動かすということです。私は、最初から3Dソフトを使わずに、手描きで形を取っています。それは同じ時間内でも手描きの方が、圧倒的に多くの形状やアイデアを考えられるからです。またリラックスして作業を行える為、発想の幅を広げることができます。
ふたつ目は、新入生のときに受けた紙で立体をつくる基礎的な授業です。ここでは精度を求められる課題が出て、何度もやり直しをしました。とても細かい作業なので、細部にまで注意を払うことの大切さを学びました。これは応用が効きます。たとえば、簡単なプレゼンシートでも細部まで気を使うことで、見る人への説得力が増します。
最後は、プレゼンテーションをする機会が多かったことです。プレゼンシートを使って、どのように自分の想いを伝えるかを明確にする。これが仕事でも活きています。
普遍的に見える時計のデザインでも、デザイナーによって違いが出てきます。絶対的な正解のない仕事です。でもいいものは大多数の人がいいと思ってくれる。ここには人を魅了する何かがあります。こうした違いをさらに求めていこうと思っています。

CITIZEN Ti + IP  CITIZEN Eco-Drive Chronograph

小川 暢人

デザイン専攻科スペースデザインコース
2008年卒業

小川 暢人 / インテリアデザイナー

1983年、茨城県に生まれる
2008年、Wonderwall Inc. に入社
2011年、BROOK として独立

「デザインとは何か」。デザインの根本とデザインを考える上でのプロセスの 重要性を〈桑沢〉で学びました。
僕はインテリアデザイナーをしています。手がけているのは、主にオフィスの内装デザインです。オフィスのデザインは、企業ブランディングも含め、その会社が思っているものを空間で表現し、アピールする目的があります。そして、働いている人たちがよりよい環境で働ける空間をつくること。また、少子化で人材確保が難しいなかで、いかに採用に結びつけるオフィスをつくるかという課題もあります。

僕が手がけている仕事のクライアントの多くは大きな会社の社長です。一代で上場企業に登りつめる社長は、プレゼンテーションの際に内容がからっぽだとすぐに見抜き、核心を突く質問をされます。スペースデザインは知識と経験があれば、何となくそれっぽいものがつくれてしまう。でも、それではよくない

〈〈桑沢〉で教わったプロセスの重要性がここで役立ちます。それは、その会社のブランドに対してどういったことを考え、表現することで、どういう効果が得られるかをしっかり組み立てるということです。ふわっとしていて、何となくカッコいいだけでは、プレゼンテーションはできませんし、相手に伝わりません。

〈桑沢〉に入るまでは、デザインとは特別な人がやる大変なものだと思っていました。しかしあるとき、先生の話に衝撃を受けました。それは、「八百屋のおじさんもデザインしているんだよ」という言葉です。八百屋の商品、果物や野菜をどこにどうやって置くのかを考えることが、もうすでにデザインだ、ということです。
誰もがデザイナーであり、クリエイティブなものはデザイナーに限ったことではない。デザインは一般的なものだと視野が開けました。
デザインとはどういうものか、考え方にはいろんな角度があるということ。そして、基盤をしっかりと組んでから、それをどうやって形にしていくか。〈桑沢〉で学んだことを、今でもしっかり実践しています。

CITIZEN Ti + IP  CITIZEN Eco-Drive Chronograph

渡辺 奈菜

総合デザイン科ファッションデザイン専攻
2007年卒業

渡辺 奈菜 / ファッションデザイナー

1983年、新潟県に生まれる
2007年、株式会社イッセイミヤケに入社
2011年、株式会社メルローズに入社
2014年、フリーランスとして独立

数あるデザインの学校のなかで、〈桑沢〉を選んだ理由は、入学試験でデッサンがあることを知ったからです。デザインの基本はデッサンだと思っています。だから、入試で基本をしっかり見てくれることが、学校のスタンスとしてとてもいいなと思ったからです。

入学して一番印象深かったのは、ファッションだけでなく、他のデザインの授業を受けることができたことです。プロダクトやビジュアルなど他ジャンルの課題が出たり、普通のファッションの学校に行っていたら、聞けないような先生の講義が聞けたりして、勉強になりました。
ファッション専攻の生徒と同じ課題をやると、どうしても想像がついてしまいますが、他の専攻の人と同じ課題を出すときは、まったく違う視点のものを見ることが できて、刺激になりました。

私はフリーのデザイナーをしています。病院や飲食店のユニフォームのデザイン、テキスタイルの柄やTシャツなどのポイントになるようなグラフィックを作成しています。ユニフォームのデザインは、プレゼンテーションがとても大事。いかにきれいに見せるか。そのプレゼンテーションでの見せ方を〈桑沢〉で学びました。
ファッション専攻の学生はパソコンをあまり使えないので、完成度が高くありません。でも、他の専攻の授業に出たら、みんなきちんとプレゼンボードをつくっているのを見て、プレゼンテーションの大切さを痛いほど感じました。

ビジュアルでわかりやすく伝えられるようにつくること。制作過程などをクロッキー調に描き、きれいに加工してプレゼンボードにのせるだけで違って見える。そういう小さなところで説得力が生まれます。
今、浴衣のデザインを手がけていますが、店頭に並んでいる浴衣は、伝統的な柄や妖艶なテイストばかり。だから、私は明るいテイストの浴衣をつくっています。
〈桑沢〉で学んだほかとは違う視点で、浴衣や洋服だけでなく、雑貨など、小さいロットでも自分のこだわりを通したものをつくっていたいと思っています。

CITIZEN Ti + IP  CITIZEN Eco-Drive Chronograph