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LUKA YASUKAWA DESIGN 代表 / 家具デザイナー 安川流加さん

1995年神奈川県横浜市生まれ。2018年桑沢デザイン研究所スペースデザイン専攻を卒業後、株式会社藤森泰司アトリエに入社。 2023年にLUKA YASUKAWA DESIGNとして独立。
空間と家具の関係を模索しながら、プロダクトデザインをはじめ、公共施設、展示会什器、住宅など幅広く日々家具のデザインを行なっている。また他分野のアーティストと協働して展示、インスタレーションを行うなど活動の幅を広げている。

―― 桑沢に入るまでの話や、デザインの道を目指すことになったきっかけ・経緯を教えてください。

小さい頃からスポーツをやっていて、特に美術的なことをやってきた訳ではなかったのですが、工作は好きでした。木で自作のおもちゃを作ったり、中学校の木工の授業がとても楽しかった記憶があります。その楽しさから、ものづくりに興味を持ち、最初に工学系の大学に入りました。ただ、入った学部がロボットの分野やエンジニアを目指すところだったのでやはり自分の手を動かして作ることをしたいという思いが募り、1年で辞めました。家具の職人になろうか考えていた時に、両親や知人に「まずはデザインを学んでみたらどうか」と勧められ、桑沢のことを知り受験を決断。実技の試験のために美術予備校にも入ったのですが、1週間後が試験だったのです。それまで絵もほとんど描いていなかったので、その1週間はとにかく絵を描き続けて、なんとか受かりました。

―― 在学中、どんなことが印象に残っていますか?

1年生の時に段ボールでスツールを作る課題が、初めて体重を預ける家具らしい道具を作る授業で面白かったのを覚えています。とにかく模型とモックアップを色々作ってみて、精度を高めていく感覚は、この時に掴んでいったような気がします。ものを作るのが好きだったのでプロダクトデザインの方向に進もうかと考えていましたが、その授業ではスペースデザイン専攻の大松俊紀先生と今は亡き北岡節男先生が当時の担当講師で、北岡先生から「君はスペース分野に行きなさい」と半ば強制的な助言を受けて、進路を決めました。 大松先生の課題で、篠原一男の住宅を研究して、その横に建つ住宅を想定して設計する課題も印象に残っています。今でこそ彼がどんな思想だったのかが多少は理解できるものの、当時は住宅論を読んでもほぼ理解できず苦戦しました。ただ、そこで諦めるのではなくわからないなりに頑張って考えてみる馬力のようなものは、独立した今でも非常に役に立っているなと感じます。 藤森ゼミに入ってからは、自分が何に興味があるのかを知るため、街中を歩きながら写真を撮るリサーチから始まりました。私はもの同士が関わり合う状況を写していることが多く、2つの部材が合わさってできる構造体を検討することに。PVC(ポリ塩化ビニル)を熱すると接着する性質を利用して、柔らかいPVCと骨材が一体化するようにパッキングする方法を発見し、「ものをおいたら変化する家具」、さらには「座ると形が変わる椅子」へと発展させていきました。最終的にはプロダクト化を想定し、合皮の生地のカバーとアクリル板を入れて成立しました。

▲PVCでのプロトタイプ

▲構造のスタディ。加重が加わるとシェル構造を形成する仕組みを見つける

▲素材のスタディ。ものを薄い膜で包むことで、一体化する「パッキング」によって成立する新しい構造を研究した

▲左がアクリルが入っていない状態。アクリルをポケットに差し込むことで立体的に立ち上がる。

―― 卒業後の進路、ご活動について教えてください

進路を考えるために、まずこれから自分がどういう世界に身を置くかを知ることから始めました。講評に来てくださった講師の方に話を聞いたり、設計事務所を中心にひたすらオープンデスクへ出向き、最終的にはゼミの先生である藤森泰司アトリエへ入所しました。藤森さんは自身も建築家と仕事をすることが多く、家具を単にプロダクトとして位置付けるというよりは、空間の中に家具がどうあるかを考えている人なので、そういった面に興味をひかれて入りました。自分の区切りとして5年務めたら一度辞めて次のステップを考えようと決めていたので、それを伝えた上で働き始めたこともあってか、1年目からいきなり担当してもいいのかというくらいに色々な種類の案件を任せていただきました。

特に初めて担当した神戸の北神図書館でかなり鍛えられたと思います。仕事の流れなども手探り状態だったので、わからないことだらけで必死でしたが、その経験のおかげで今があるように思います。

▲既存のショッピングセンターのワンフロアをリノベーションした北神図書館(市立図書館)。フロアの内外に、本を媒介に訪れる人の身体と関わるさまざまな ”居場所”を計画した。

▲藤森アトリエ在籍中に担当した、coしぶや(神南ネウボラ子育て支援センター)。各ユニットの断面形状を工夫することで内外部の奥行きが変化し、輪郭を変えずにベンチやトンネルなど用途を変えることができる合理的なシステムを考案。

▲昨年竣工した名古屋造形大学の家具(建築設計は山本理顕設計工場)。大学オリジナルの5種類の椅子をゼロから設計する機会に恵まれ、印象に残っているそう。

―― 仕事の幅も相当広いですよね。どのように学ばれたのですか?

そうですね。藤森アトリエでは、メーカー相手にプロダクトの商品開発をするような仕事から、図書館や大学のように公共空間を建築家と一緒に作る仕事まで、それぞれ全く違う要点や時間軸で動いています。例えば商品開発では、プロダクトができるまでに2〜3年かかるので、安全性の管理や制作費の回収、どのように商品を売り出していくかまで考えなければならないし、公共案件の場合には予算の制限から使える材、法令のことも踏まえて設計する必要がある。自分では制御できないこととのバランスをとりつつ、その都度形を変えながら家具が出来上がってくるプロセスは、自分としては結構心地がよかったので、毎回楽しんでいました。家具を作ることそのものが変化するわけではないので、その時に付随する必要な作業が変化する、という捉え方をしていたように思います。

―― 独立されてからはどのように活動が広がっていったのでしょうか?

藤森事務所にいた時に案件を担当していた建築家の方が、独立後も一緒にやろうと声をかけてくださって公共案件に携わったり、藤森アトリエとも引き続き外注先として取り組んでいる仕事もあります。

▲TOKYO ART BOOK FAIR 2023 会期終了後に移設され、常設展として再び展開される予定のため、移設を前提とした什器を設計。

東京都現代美術館で行われた TABF が企画する展覧会「清里現代美術館アーカイヴプロジェクト」。展示物を入れる"箱"とそれを支える"台"に分け、箱を左右から台でクランプする事で一体化する什器を考えた。

▲現在ギャラリストとして、Marian Goodman Galleryを営むマリアン・グッドマンらによって1965年に設立された出版社Multiples, Inc.によるコレクションの展示台。過去にロンドンなどで展覧会を開催していることから、その際の空間性や見せ方などを考察した上で什器を設計。展示面を上段が180°回転する二段構成とし、移設先の空間や用途に合わせて二段状または直線状に簡単に形を変えることができるようにした。

▲UCHIDA YOKO×Karimoku Furniture。前職から独立後も継続で設計を担当していた内田洋行とのオフィス家具の商品開発案件。国産木材に対しての豊富な知見と、高度な木工技術を有するカリモクとの協働で試行錯誤を繰り返し商品化に至った。

個人的な広がりだと、桑沢卒で環境音楽を作っている友達が高円寺のギャラリーで展示をやるので什器を作って欲しいという相談をしてくれたことがきっかけで、そこに繋がる人たちとのプロジェクトがいくつか生まれました。展示を見て、自分のお店の什器や自宅用の家具を作って欲しいという依頼です。またそのギャラリーでは、店長の方から声をかけていただき、自分の自主制作の作品展示も行いました。

▲「フォーム(形)」をテーマに、若いデザイナー4人が作った作品を展示する企画。安川さんは「重り」に注目し、枯れ木や石、塩ビ管などを使って、重りがあるからこそ成立する形を研究。重さを可視化することを試みた。

―― 自主制作や作家活動について、関心を持っていることを教えてください

ペデスタルシリーズと題して作っている制作物があります。ペデスタルは英語で台座ですが、家具の根幹の概念に通じる部分があり、魅力的だなと思って興味を持ち始めました。台的な振る舞いって何なんだろうというのを自分で色々と実験しつつ、今後も自分の研究として続けていきたいなと思っています。普段の仕事は制約があって、使いづらくないように真面目に設計しなければという意識が働くのですが、一旦そういうリミットを外すようなことをしていかないと、本当にただ家具作っているだけの人間になってしまうなと思って。このシリーズでは自分で普段はやらないような構造や収まりを試して、他人からどう見られているかはあまり気にせずに自分の表現の幅を広げる意味で実験しています。

―― これから先、デザイナーとして大事にしたいと思っていることはありますか?

近年の「環境に配慮してものを作りましょう」「捨てることまで考えて設計しましょう」という視点ももちろん大事だとは思うのですが、デザイナーである以上そもそも捨てたくないものをいかに作るか、ということを特に意識して最近は設計しています。例えば家で朝起きた時に朝日が当たってどう見えるか。その家具が日常にどう立ち現われているか、触れた時にどういう感情が起こるか。そういう愛着や情緒的な部分にもっと寄り添えるものを作れたらいいなと考えています。

―― 最後にこれから入学する人や在校生に向けて、メッセージがあればお願いします。

必ずしもデザイナーになる必要はないのかもしれません。私自身もただ家具を作るのではなく、プロダクト開発から展示計画、公共の家具設計、作家的な活動まで、どれもデザインに紐づきつつも、幅広く活動してきたいと考えています。桑沢は自分の好きなことへ情熱を注ぎ貫き通せる場所です。そして先生はそれを突き詰めてきた先輩。課題や授業で全然わからないことも多々出てくると思いますが、わからないなりに理解しようと取り組んだ経験は、この先活かされる時がくるので、あまり躊躇せず飛び込んでみてもいいのではないでしょうか。課題にも正解があるわけではないので、毎回自分がやりたいこと・好きなことを信じて突き進んでみたら、今までとは違った世界が見えると思います。

桑沢スペースデザイン年報(2021-)の編集などを担当
元行 まみ


<2023年10月>
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