日本で最初の『デザイン』学校で未来を創造する【専門学校桑沢デザイン研究所】

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株式会社 良品計画 / プロダクトデザイナー 吉成渓太さん

1995年北海道生まれ。高校卒業後、職業訓練校で家具製作を学ぶ。
特注家具メーカー勤務後、2021年桑沢デザイン研究所 専攻デザイン科/夜間部 プロダクトデザイン専攻入学。
在学中から株式会社良品計画にアシスタントデザイナーとして勤務。
卒業後の現在は業務委託デザイナーとして主に家具デザインを担当。

―― 社会人を経てから入学されたそうですね。桑沢に入るまでの経緯を教えてください。

通っていた高校が美術や工芸に力を入れている学校で、木を削ったり加工したりするような授業が好きだったので、卒業後に進路を考えた時に、木工や家具の制作を仕事にしたいと思い、まず職業訓練校に1年間通うことにしました。そちらで制作に関わる実技や知識を一通り学んだ後、都内の特注家具メーカーに勤務することになりました。6年ぐらい勤めて、段々とさらに深く勉強してみたいという探究心が出てきました。デザインへの興味があったので、昼は働きながら通えることと、しっかりしたカリキュラムがあり社会人でも入りやすい学校を探してたら、桑沢の夜間部に辿り着きました。

―― それまでの環境を一新して学び直すことにした時、どんな心持ちでしたか。また入学にあたり準備したことはありますか?

不安がなかったわけではないですが、新しいことを始めるのであれば少しでも若いうちがよいと思っていたので迷いはありませんでしたね。仕事に関しては一回会社を辞めたとしても、今の日本に生きている限りはなんとかなると思っていた節もあり、単純に新しいことを勉強することへの期待感が大きかったです。

私は自己推薦で入学したのですが、審査内容は自分の将来の目標や好きなプロダクトを文章や図絵で1枚に表現する課題と面接でした。大まかな案は桑沢を受けようと決めた時からまとめ始めて、事前の体験入学の相談ブースでプロダクトの先生と話をし、直接アドバイスをもらいました。学校説明会の際には、当時の職場は年齢層が高めだったので、自分と近い若手世代の人がたくさんいて、切磋琢磨していけそうな雰囲気に感銘を受けたのを覚えています。

―― 桑沢への入学後、印象に残っている課題や転機になった出来事はありますか?

桑沢で一番転機となったのは、1年次の前期にあった「モデリング」の課題で取り組んだスピードシェイプです。私はアナログの技術は持っていたので、モデリング自体は満足のいくクオリティの作品に仕上げることができました。ただ一方で写真撮影や画像加工など、デジタルの技術と知識が乏しかったため、課題全体の評価は思うような結果にならず。その授業をきっかけに、自分の長所を活かしたことだけをやっていても、デザイナーとしてはやっていけないのだと改めて気づき、苦手意識を持っていたデジタルソフトも積極的に触るようになりました。

▲転機となった「モデリング」の授業で製作した作品。クレイモデルやモックアップモデルの制作と検討を通して、曲面と稜線の構成を学ぶ。

―― 在学中はどんな風に過ごしていましたか?

昼間は働き、夜に授業を受けて、深夜や朝方まで課題をやって…というような生活サイクルでした。桑沢で学べることはとにかく吸収し切るぞという気持ちで挑んでいました。あのやる気と情熱は当時だったからこそ味わえたものですし、もちろん大変ではありましたが、今になって振り返っても改めて密度の高い時間だったと思います。

夜間部は、高校卒業したばかりの人から、今まで自分が交わったことのないような経歴の人まで、世代もバックグラウンドも異なる人たちが共存していて、お互いが良いように作用し合う空間だったなと思います。自分の好みのデザインだけではなく、興味がないものでもとりあえず見てみよう・触れてみようと思える機会になっていたので、視野が広がりました。桑沢祭を運営している学生会に入っていたので、学年や専攻を超えて色々な学生と交流しながらイベントを盛り上げたこともいい思い出です。

▲2年生の桑沢祭では飲食店をやろうと、仲間とともに露店的な装飾を施した構造物も含めて製作。

―― 在学中に良品計画でデザインの仕事を始められたそうですね。

1年生の秋頃から今も続けて仕事をさせてもらっています。最初から良品計画を目指して動いていたというわけではなかったのですが、きっかけは1年次の夏頃にあった「プロダクトデザインA(機能と道具)」という授業でした。当時担当されていた斎藤大輝先生が良品計画でデザイナーをされている方で、大手企業の最前線で働いている方と直接接することのできる大きな機会だと感じて、全部の課題が終わった後に「インターンは募集していませんか?」と話しかけにいきました。すると「ちょうど今アシスタントを募集してるから良かったら面接してみますか?」と言っていただいて、先生の上司の方との面接を経て、働き始めることになりました。

▲のちに良品計画へ採用されるきっかけにもなった「プロダクトデザインA(機能と道具)」で製作したテープカッター。自分をアピールしつつ、なんとか就活等に結びつけられないかという思いのもと製作したそう。今となってはもっと自分の好きな形状やデザインを突き詰めてもよかったのかもしれない、と当時を振り返る。

▲木工の組手を魅せる椅子『Tenon』。卒業制作として、仕事ではできない学生のうちだからこそできるデザインをやろうと、自分の好きな要素を全て詰め込んで製作した卒業制作。隠すことが美徳とされる木工の組手をあえて表に出すことで新しい面白さを探求した。

―― 卒業時には進路をどのように考えていましたか?

他の家具メーカーに就職することも考えましたが、その場合は家具のみに集中する仕事がほとんどです。良品計画は食器から家電、家具まで生活に関わることすべて網羅していて、色々なジャンルから刺激を受けられる環境だったので、続けさせてもらうことにしました。自分としても1人で取り組むより集団の中にいる方が合っているように感じています。マーチャンダイジングや生産管理などの部署と密接に関わって常に調整をして進めなければならないので大変ではありますが、逆にわからないところがあればそれぞれのプロフェッショナルにすぐに聞けるので自分の学びにとってもこれ以上にない環境だと思います。

―― 自分の手で作業をしながら一つ一つ作るところからスタートして、今はより広い範囲での「生産」に関わっていらっしゃるのですね。ものづくりに対する感覚の変化も気になります。

そうですね。桑沢に入る前に勤めていた会社は一点一点自分の手を動かして製作する特注の家具メーカーだったので、必要であればある程度自己判断で手間暇をかけて作っていました。良品計画の仕事では、工場生産に向けて質の差が出ないようにするにはどのような構造にすればいいか、工程も含めて考えていきます。単価や時間の制約もあるためそれまでとは全く違う感覚で、メタ的な視点でのデザインと言えるかもしれません。そのためにはやはり、チームで知識を出し合って進めていく必要があるので、その過程に楽しさとやりがいを感じていますね。中には特注家具メーカー時代での経験と知識があったからこそ進められた仕事もあり、これまでやってきたことも巡り巡って自分のためになっていることを実感しています。

▲良品計画で手がけたプロダクトデザインの中で、初めて販売された「家屋の廃材を利用したサイドテーブル」。現在、無印良品 有明店限定で販売中とのこと。

▲サイドテーブルのデザインで、検討のため硬質ウレタンで制作したモックアップ。

▲中国で買い付けた古い家具を補修して販売する、昨年始まった良品計画の新しいリサイクル事業。現在は無印良品の有明店、グランフロント大阪店のみの取り扱い。(今後拡大予定)

▲補修作業中の風景。前職の経験を活かして補修作業の実務にも月数回携わる。補修が完了したものから店頭に並ぶ。

―― これから先、デザイナーとして大事にしたいと思っていることはありますか?

自分が手掛けたデザインや家具が後世まで伝わるような、いわゆる名作家具のようになればそれ以上の喜びはないです。それは最終的な目標として、そのためにもこれからも学び続けつつ、目の前のことを着実に取り組みながら、その時々で求められるものにしっかり寄り添っていきたいなと考えています。

―― 最後にこれから入学する人や在校生に向けて、メッセージがあればお願いします。

新しい環境に飛び込むにあたって、人間関係を作れるか不安な部分もあったのですが、同じ不安を抱いてる人に向けて、全然そんな心配はないよということを伝えたいです。とにかく多様な人がいるので、自分はこの領域の人だからと視野を狭めるのではなく、積極的にコミュニケーションをとってみると思わぬ刺激を受けることがたくさんあります。卒業してから少し時間が経って改めて思うのは、学生時代は自分が好きなデザインを突き詰める一番のチャンスだということ。人によって目的やモチベーションに違いはあるとは思いますが、桑沢は課題や学びに対して全力投球できる場所です。せっかく桑沢の学生になるのであれば、そんな時間を過ごしてみることをお勧めします。結果はその先についてくるはずです。

桑沢スペースデザイン年報(2021-)の編集などを担当
元行 まみ


<2024年3月>
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