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ホーム 渋谷の桑沢一覧 5.文化のホットスポット

浅葉克己 渋谷の桑沢> 渋谷の桑沢

2019.04.275.文化のホットスポット

伝説となったPARCO

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 新しいものをつぎつぎに生み出していく街、渋谷。そのカルチャーを方向づけた大きな存在が、西武百貨店渋谷店と渋谷PARCOです。その親会社であった西武は、関東大震災で被災した下町の名店を渋谷に誘致し、百軒店を開き、街づくりに深くかかわっていました。1968年には当時の責任者であった堤清二が、宇田川町の映画館跡地に西武百貨店渋谷店を開業します。 女性と若者をターゲットとする新たな戦略で、ショッピングを楽しむ年齢層は若年化していきました。
 そして堤清二により、「公園通り」の由来となった渋谷PARCOが1973年に開店します。百貨店ではなくファッション専門店の集積として、ビル全体のコンセプトからフロア構成、街との連動、エンターテイメントの情報発信までを創造する存在となり、若者文化をリードしていきました。劇場、ギャラリーやミュージアムも併設され、ダンスや演劇、デザインやアート、ファッションなどの多ジャンルにわたって新しい才能を発掘。若手の登竜門として発表の場を提供しました。

サブカルチャー発信

 1974年には、PARCOが出版する読者投稿雑誌『ビックリハウス』が、劇団天井桟敷出身の榎本了壱と萩原朔美の編集で創刊されます。読者とともに本気でふざけるノリのよさ、「ヘンタイよいこ新聞」(糸井重里主宰)などのコーナーが人気を呼び、サブカルチャーの震源地となっていきました。
 西武百貨店の「おいしい生活。」という糸井重里のコピーが象徴したように、暮らしに通じる身近なものを、斬新で意識の高いデザインやファッション、遊び心にみちたメッセージにのせて発信しつづけた百貨店の広告戦略は、渋谷をファッションとカルチャーの街へ変えたのです。

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きらめく大型商業施設群

 PARCOの成功により、PARCO・Part 2(1975年)、PARCO・Part 3(1981年)、ライヴハウスのCLUB QUATTRO(1988年)がつぎつぎに開業します。
 一方、ライバルである東急は、“ギャル”の殿堂となったSHIBUYA109を1979年にオープン。東急百貨店に映画館・劇場・美術館を併設させたBunkamura(1989年)は、ハイカルチャーからサブカルチャーまで、幅広いジャンルで楽しむことのできる複合文化施設となりました。2012年には商業・文化複合施設である渋谷ヒカリエを開業。今後も渋谷駅周辺には巨大なビルの建設が予定されています。
 実験的な商業施設がファッションや暮らしのニーズを引き出し、新たなブームをつくり出していく。こうした動きを原動力として、文化を発信してきたのが渋谷という街なのです。

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