2019.04.033.建築の実験
渋谷の顔をつくった建築家
渋谷駅の東側が焼け野原となった第二次世界大戦後、モダンで実験的な建築群が続々と渋谷に現れます。日本初のデザイン専門学校「桑沢デザイン研究所」が創立された1954年、ターミナル・ビルを発展させた東急会館がオープンしました。
地上11階、地下2階、軒高43メートル。建築家・坂倉準三が手掛けた初めての大仕事でしたが、当時の日本で一番高いビルとなり、湾曲する巨大コンクリート壁で構成する最先端技術が駆使されました。その大きな壁の中を貫通して銀座線が出入りし、その上に東横百貨店へつなぐ3階建てのブリッジが架かる、大胆な建築となったのです。
続けて、板倉準三の代表作となった東急文化会館も開館(1958年)します。塔屋含め地上11階建ての鉄筋コンクリートビルは、階高を上げて浮かび上がるような直方体の上に「五島プラネタリウム」の半球がのぞく、近未来的な複合文化施設でした。
建築と都市を一体のものとして作り変えるというル・コルビジェ譲りの坂倉の理念は、東急百貨店東横店南館(1970年)や、「宇宙船」をコンセプトにした渋谷駅地下空間(設計:安藤忠雄)、渋谷駅と道玄坂を縫い合わせるようにつなぐ渋谷マークシティや渋谷ヒカリエにも、引き継がれています。
新たな街のモニュメント
東京オリンピックが開催された1964年には、世界に類のない吊構造の国立代々木競技場体育館(設計:丹下健三)が建設され、新たなシンボルとなりました。横120m、縦44mの柱のない空間に、最高点27.5mからつられるワイヤーロープが描き出す、緊張感ある曲線は今でも新しく目にうつります。同年、渋谷区総合庁舎・渋谷公会堂(設計:建築モード研究所/高橋武士)も建ち、1966年には逆三角形のラインが美しい日本基督教団東京山手教会(設計:毛利武信+山口文象)もできます。紅白歌合戦でおなじみのNHKホール(設計:日建設計)も1972年に建設され、賑わいの新たな拠点ができました。
華やかなフェイス(面)
雑木林のように多様な渋谷の街には、実験的な商業施設も馴染みやすく、建て替えも頻繁です。エレベーター・タワーと109のロゴが新たなランドマークとなったSHIBUYA 109(設計:竹山実+駒田友彦)。観光客が集まるスクランブル交差点では、QFRONTや109-②の巨大スクリーン、渋谷駅のファサード(設計:隈健吾)が華やかに囲い、訪れる者を圧倒します。立ち並ぶ大小のビルやオフィス、ショップなどはその壁面をきらめかせ、時代の変化を映し続けています。