衣装造形制作 / 桑沢デザイン研究所 ファッションデザイン分野非常勤講師 佐藤日奈多さん
桑沢デザイン研究所 昼間部 総合デザイン科ファッションデザイン専攻卒業。
テーマパークの衣装や小道具の製作会社を経て、現在はフリーランスで舞台やイベント衣装の制作に携わる。
小さい頃からアニメや漫画が好きだったこともあり、ずっと絵を描いている子どもでした。描くこと自体も楽しいし、描いたら友達が喜んだり褒めてくれたというのが原体験としてあります。中学校で美術部に入って、将来は美術やものづくり系の仕事につけたらいいなと漠然と思っていました。それで高校も都内の美術コースがあるところへ進学しました。高校では粘土や木工の彫塑など立体の授業がとても楽しく、自分に向いているなと思ったのですが、受験や進路を考え始めた段階で、将来的に生計を立てていく想像ができたのがデザイン系の分野だったので、高校3年生の時にビジュアルデザインを専攻しました。 元々は美大志望でしたが、学費の面で厳しくどうしようかなと考えていたところ、武蔵美出身の担任の先生が「もし専門学校に行くなら、桑沢以外認めない」とおっしゃって(笑)。その時に初めて桑沢を知って、学校説明会へ行ってみたんです。すると1年次に色々な分野を広く学んでから、2年次に専門分野に分かれていく仕組みになっていて、そういう環境で学べるところが良いなと思いました。先生はきっと桑沢の教育方針やこれまでの歴史と実績に共感して勧めてくれていたのだなということがわかり、その後押しもあって桑沢への入学を決めました。
―― 桑沢入学後、ファッションの道に進路を定めたきっかけと印象的な授業を教えてください。入学した当初はビジュアルデザイン志望だったのですが、やはり1年次の授業で色々と経験して、自分で手を動かして立体物を作りたいという思いが強くなりました。それができる分野として、まずプロダクトかファッションの2つに絞りました。考えていくうちに、プロダクトだとパソコンの作業や平面的な要素も多いので、ファッションが一番手作業が多くて面白いかもしれないと思い立って最終的にファッションを専攻しました。結局入学時点では一番進む可能性はないなと思っていた方向に進むことになりました。
―― ファッションの分野に進んでからはどのように過ごしていましたか?日々の授業や課題に取り組みつつ、ファッションを専攻したからにはファッションショーが名物でもある桑沢祭(文化祭)に出展してみたいなと思って挑戦しました。毎年テーマが設定されるのですが、その年は「たまご」だったので、私は「誕生の過程」というタイトルで、卵の中で生き物が生まれて形が変化していく過程を服に落とし込んでいきました。当時の同級生と2人でチームを組んで、授業終わりや夏休みの間に時間を合わせて、ひたすら学校が閉まるまでずっと制作に明け暮れて、ファッションショー当日を迎えました。ショーに関する工程を自分たちだけでやっていかなければならず、しんどさもありましたが実際に形になった時には達成感がありましたね。
卒業制作は「起源」というタイトルにしたのですが、毎週ゼミの先生に意見をいただいて、それを反映して少しずつアップデートし続けたものを、最終的な完成形にしていきました。幼少期に祖母に世話をしてもらった記憶があったので、祖母をテーマとして取り入れることにして、全ての服に祖母の顔をシルクスクリーンでプリントしました。人は老いていくにつれて皮膚に皺が入りますよね。リアルな祖母に近づけるためにその皺を表現したくて、制作した衣装にも皺の入る加工を施しました。授業でテキスタイルの先生に教わった技法なのですが、「塩縮加工」といって苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)を溶かした水に布をつけると布が縮む性質を利用したものです。縮むことを前提にしているので、まず人間の5〜6倍のサイズの服を作って、粗ミシンを入れて絞り、液体につけて縮むことでちょうどよく着れるサイズになる、という仕様にしました。また私の起源に加えて、カラーのテイストをアフリカやエスニック系の色にすることで、地球や人類の起源みたいなのものと掛け合わせて考えた作品です。卒業制作では特に技術やコンセプトの考え方なども授業を通して強化されていくので、制作において必要なことが一通り身についていった実感があります。
―― ご卒業されてから現在に至るまでのご活動について教えてください。まず桑沢卒業前の最初の目標が、テーマパークの衣装の仕事がしたいということでした。というのも、桑沢で毎日こなさなければならない課題が大変すぎて疲れてしまって、一度何人か同級生を集めて授業に出ないでテーマパークに遊びに行ったんです。その時に見たショーが華やかで煌びやで素敵な世界で「こういう方面の仕事したいな」と強く思いました。当時周りは卒業制作と就職活動に全ての時間を費やしていた中で、私の場合は生活費や材料費を全てアルバイトで捻出する必要があり、アルバイトと卒業制作に集中して、就職活動は全くしませんでした。当然進路は決まらず、ファッション科専任講師の金子先生が助手をやらないかと声をかけてくださって、卒業してから半年間は桑沢で教務助手をさせていただきました。その間にテーマパークの仕事をするにはどうしたらいいかを模索して、未経験で入るのは難しいと思ったので、まずはテーマパーク以外の会社でネームバリューがある会社の求人を探しました。それで運よく日本で一番名の通った衣装造形制作会社にアルバイトで採用いただいて、そちらで働きながらテーマパークの仕事の求人を見ていたら、小道具制作をしている会社の募集が丁度出たタイミングがあったので、応募して採用という流れです。やはりその造形会社にいたことが採用の決め手の一つになっていたので、とにかく行動することが大事なのだなと思いました。それで念願の小道具制作、舞台やパレードカーのメンテナンスに携わった後、現在は独立してフリーランスになったという経緯です。
―― チャンスを待ちながらもすぐつかめる状態にしておくというのは、ある意味戦略的というか、野心を感じます。今はフリーランスということですが、転機になった制作はありますか?技術者としての転機は、やはりテーマパークの仕事かもしれません。所属して働いている時ではなく、辞めてからフリーランスで受けた仕事の中にも、テーマパークの衣装や制作物があるのですが、とにかく要望が細かく基準が厳しい現場です。1mmのズレでも審議に入るレベルで。最初の方は1mmや2mmのズレでも提出していたのですが、そこで言われて初めて求められているクオリティを満たしていないことに気づいて、修正を積み重ねていった結果、より精密なものが作れるようになると同時に、自分自身の制作に向き合う意識が変わりました。他にもゲームショーやフェス、舞台系の仕事もしてはいるのですが、これ程細かい仕事を要求されるのは、そのテーマパークの仕事だけです。その経験がなければ、そこまで制作の過程や完成形へ意識が向く人間になっていなかった気がします。
―― 今年から桑沢でウェアラブルの講師をされていますが、教える上で大事にしていることや学生を見ていて思うことを教えてください。コロナ禍も経て人と会ったり手を動かして作業するリアルな感覚が薄れていたりもするので、ものづくりの現場って楽しいんだよと伝えられたらいいなと思っています。私は昼間部の1・2年生が自由選択で受講できるウェアラブルを担当しています。仕事であれば縫製の綺麗さを一番に見るのですが、専門課程の手前ということで、ミシンを全く扱ったことがない学生も含まれているので、例えば講評でもラフのデザイン画をもとに、個々がこだわったポイントややりたいことの実現性に重きを置いてみるようにしています。
学生たちを見ていると、これは完全に私の主観ですが楽しそうでいいなと思いますし、社会を知らないからこそ満ち溢れている自信や希望みたいなものが眩しいですね。かくいう私も学生の頃はそうでしたが、社会に出てその自信をぽっきり折られたんですよね。就活をしなかったのは確かに忙しかったのもありますが、卒業制作で新人賞も取ったし大丈夫だろうとどこか楽観視していたこともあって。それが社会に出た途端に、こんなことも知らないの?と言われる場面も多かったので、今の学生たちがそうならないようにしていきたいという思いはあります。技術職でやってきたからこそ、分からなくて苦しんだり躓くところが分かるので、縫い代は何cmとか、返縫いは3針ぐらいとか、教科書にも載らないくらいの初歩中の初歩の知識もなるべく丁寧に教えるようにしています。
―― 社会に出て自信がぽっきり折れられた経験は、どのように立て直していかれたのですか?自分の至らなさというか、知らないことがこんなにたくさんあったんだと気づいたことが一番大きかったですね。そこからはもうとにかく勉強していく方向にシフトしていきました。その経験を経てからは、自分ができないことを知ることがとても大事だと思っていて。それに気づけないとその先がないので、できることに目を向けるのではなくて、できないことに目を向けて一個一個潰していくことで、技術力を上げていくしかないなと思って、今でもそれは継続しています。
―― 技術者としてデザインへの向き合う上でどのようなことが大切だと思われますか?私の仕事はデザイナーが描いたものを実際のものに落とし込んだり、アニメやゲームショーの衣装であれば元々あるキャラクターの衣装を作るので、世界観やコンセプトを読み取ってそれに適した素材を提案することが重要だと思っています。桑沢にいた頃から生地やテクスチャへの探究心があり、元ある素材をそのまま使うということをあまりしてこなかった気がします。桑沢祭も卒業制作でも必ず1・2工程手を加えて作っていましたし、テーマパークの仕事でもすでにある素材をそのまま使うことはなく、例えば劣化した感じを出すべくエイジング加工をする、といった形で手を加えることが前提でした。そういう意味では、平面構成やデッサン・絵の具など、専攻以外のことを桑沢の1年次に幅広く学べだことも今にとても生かされています。素材もアップデートされていくので、日々学び続ける必要はありますが、自分の提案が採用されたりデザイナーさんにお褒めの言葉をいただくと嬉しいですね。
―― 最後に、これから桑沢へ進学を考えている方に向けて、メッセージがあれば教えてください入学する前は特に、やりたいことが漠然としていて細かい方向性は決まっていないことの方が多いと思います。桑沢は昼間部の場合は3年間あって、2年次くらいの段階では、やりたいことが確実に見えてくるような授業内容になっている学校だと思います。それが決まれば、あとはもうとにかく実行していくのみですし、桑沢は打ちこみ切れる環境です。課題の量が多い分、学校でやることを着実にこなしていくだけでも、その先の未来に繋がる大きな一歩になります。なので、今の段階で方向性が定まっていない人でも、安心して飛び込んでみてほしいなと思います。
桑沢スペースデザイン年報(2021-)の編集などを担当